雑念

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雑記とか雑談とかは書いたことあるけど「雑念」と書くのは初めてのような気がします(笑

乖離(괴리)という言葉が大まかにどんなものなのかは知っていましたが・・最近、「私」が韓国からさらに乖離されることを強く感じています。

韓国にいたとき、私がシンシアリーだと知っている人たち(極めて少数ですがいるにはいます。歯科医師とか弁護士とか・・)から「なにが目的なの」と言われたとき、「過程が目的だよ」と答えたりしました。シンシアリーのブログを書きたいように書くことが目的であるため、その結果に何かの目的を置いてはいない、という意味です。うまく言えたのかどうか自分でもよくわかりません。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

日本に来てからは、「なんで韓国を捨てましたか?」と言われて、「韓国を捨てたのではなく、日本を選んだのです」と答えたりしました。その過程もまた、ある意味では「目的」だったかもしれません。

目的を「したくてしたくて仕方がないこと」として考えてみると、「好きな方を選ぶ」という、人の生き方としての合法的権利を行使しただけであり、日本に来た目的は何だ?ではなく、日本で暮らすこと自体が1つの目的だったわけです。

もちろんそれがまた新しい人生の始まりでもあるので、さらに良き人生にするための、いろんなことを経験しないといけないでしょう。それらの目的がつながって目標になることもあるでしょうけど、「目標」については複雑なことは考えていません。身の回りに迷惑かけずに生きて、著述家として少しでも誰かの役に立てれば、それだけです。

 

ただ、最近になって、韓国という存在が「家族が住んでいるところ」位しか思えなくなりました。好きでも嫌いでもなく、物理的に近いとか遠いとかでもなく、法律的なことや行政的なことでもなく、うまく言えませんが、ものすごい距離感があります。

この過程も、私という人間の人生の路上にある、何かの目的なのでしょうか。あと3年で、帰化を申請できるようになります(在留期間5年が必要です)。その後には、いったい韓国とどれだけの距離感があるのか、良いとも悪いとも思ってませんが、不思議ではあります。

 

シンシアリーとしてブログを書いていると、読者の方々(の極めて一部)から「韓国は嫌いだけど、シンシアリーは例外かもしれない」と思われることもあるでしょう。でも、それは、「私(シンシアリーの『中の人』)」が例外になれるわけではありません。

あえて極端な事例を仮定してみましょう。

「韓国人なんか大嫌いだ!」と、シンシアリーのブログの読者の誰かが、韓国人に小石を投げました。いや、ありえないでしょうけど、あえて極端な仮定をすると、です。

その小石を投げられた韓国人が、「私」かもしれない。だからこそ安心してブログも本も書けます。私は、例外という言葉が大嫌いですから。

 

日本人になると、この感覚も薄くなるのでしょうか。そのときの「韓国との乖離」感はどれほどのものになっているのでしょうか。

不思議でもあり、ちょっと怖くもあるけど、自分自身で意識していようがいまいが、それまで含めて私の人生なら、恐れる必要は無いでしょう。

どこで住もうと雑念が多すぎる、いつものシンシアリーでした。

 

 

 

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※書籍のリンクはAMAZONページとなります(アフィではありません)※

・新刊「なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか~韓国人による日韓比較論~」が2月10日に発売です!韓国には無かった、平等という価値観。それこそが、日本人とお金の間の共存関係に妙な品位を作り出していること、皆さんはお気づきでしょうか。

・新刊「人を楽にしてくれる国・日本~韓国人による日韓比較論~ (扶桑社新書) 」が3月2日に発売です!姪の病気の話を聞いたときの、私の「中」の動揺と、そのときに、私が思ったこと。その中で気づいたこと、私が書きたかった「楽」という言葉の真の意味などを考察し、大幅な追記を加えました。他の本に比べて、日本に来て私が感じた「神様」関連の話が多くなっています。

・新刊<「徴用工」の悪心>が、発売中です。韓国で言う「強制徴用問題」は、歴史問題ではなく戦後国際秩序の問題であり、善悪論ではなく国際法の合法・違法で語るべき問題であります。韓国のいう良心とは、日本への悪心(害を及ぼす悪しき心)です。ぜひご一読を!

・他にも韓国の反日思想に対する考察をまとめたシリーズがございます。それぞれ、重点を置いた部分が違います。今までのシンシアリーの拙著については、書籍紹介ページをご覧ください。

・シンシアリーはツイッターをやっています。他のSNSはいまのところやっていません。ほとんどが更新報告ですが、たまに旅行先の写真をツイートする時もあります。よかったらチェックしてみてください。https://twitter.com/sincereleeblog

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136 Replies to “雑念”

  1. 気持ちは分からなくはないです。

    シンさんのことはアメブロ時代に知りましたが、
    絶対に改善しない関係を自分の仕事にするのは精神的にタフでないとやってられないです。

    ツイッターで在日の人(帰化済み)がフォロワーの中にいて、彼もまた随分日本で悩みながら生活をしているようです。
    純粋すぎる性格なのか、もう少し肩の力を抜けば良いのに…と思いながらツイートを読んではいましたが、流石に耐えられない内容になったのでミュートしてしまいました。

    考え過ぎない方が宜しいかと思います。

  2. 「例外」でまさにいい例が今話題になっていますね。
    池袋で母子を轢いた名士。逮捕もされず、「容疑者」とも呼ばれない。「上級国民」と皮肉られている。
    まさにサイバー上で小石を投げつけられている状態でしょう。
    帰化そのものは偽造結婚などでも出来る。その即席で出来上がった日本人に奇妙なのもいて、日本は差別国家と活動を始める。
    シンさんが過程を体感したい、それを著したいというなら、それは外国から日本に入ってきた人が読むジャンルとして新境地になるのではないですか。

    1. 連投失礼。他人の雑念を別の人間が理解できるわけがないのですが、「だからこそ安心」が引っかかってます。
      責任逃れする「例外」として池袋事故の容疑者を書きましたが、米軍が例外的に助けようとし、拒否して亡くなったバロン西という人もいます。
      主題が「乖離」。将来法的に帰化し、実名、顔を出す、仕事の形態も変わる(活字ではなく人前で話すこともある)という中で、「韓国人の例外」でいたくはない。「日本人」になる過程で、乖離が生じる予感ある。
      っこはGW中ですし、明るく「シンゴジラ」ならぬ「シンシアリ」で行きましょう。
      シンゴジラは、第一形態や第二形態のことなんか覚えてません。
      自衛隊と米軍の区別なんかしていない。
      究極のお気楽怪獣。恨でやってるわけでもないし。
      シンゴジラが第一形態、第二形態と進化していくなら、シンシアリも乖離を感じた時、今俺、第何形態?と考えるとナンセンス比較論で楽しめるのではないでしょうか。

      1. 場違いだしここで触れてる人殆どみかけなかったかんで書かなかったのだけど
        これ左から見れば官僚だし大衆扇動できるから煽るのわかるんだけど、右も煽ってるの結構いるんですよね
        法律的にテクニカルな問題で言えばなんら間違ってない対応なんだけど、国民情緒()で逮捕しろとか中には親族晒せとかSNS上も酷いもんです まるで南北朝鮮のようですね

  3. 55歳の在日三世です。 韓国には興味もなかったので韓国語は学びませんでした。 しかし日韓関係の表面化(元々悪い)がいよいよ顕著になり憂鬱です。 私の命よりも大切な人がムンジェインを未だに支持しているのです。 彼は人を疑うことをせず人の嫌がることでも笑顔で引き受け、それを悟られないよう気を配ることのできる本当にすばらしい人。でも騙されやすい。利用されないよう私ががんばらないと、と思うのです。 シンシアリー様のblogは理性的でわかりやすく感謝しています。 石もて追われる未来が現実となってもやるだけはやったと思いたいのです。

  4. 私は韓国人が嫌いです。
    学生の頃、チョゴリを着た朝鮮人学校の生徒にカツアゲをされ、
    我が校が抗議をすると朝鮮人学校から
    「お金を取られる方が悪い。嫌ならその駅をうろつくな。証拠も
    無いのに抗議するのは差別しているのか」と返答があったとの 事。学校も親も朝鮮人とは関わらない様にと言われた事があるからです。
    でも今、シンシアリーさんブログは興味深く拝見してます。
    シンシアリーさんの嫌いな私にとっての「例外」です。
    シンシアリーさんの選択出来る人生って羨ましいですね。
    健康であって、家族の理解があって自分の意思で選択できる幸福。
    羨ましいです。日本で幸福に過ごしていける様応援してます。
    ヨルシミ ハセヨ。

  5. 『例外』という言葉のニュアンスが,日本と韓国では少し違うのかも知れないなぁ それと ブログ主の性格的に「なぜ 好きなのか?」を 既に深く考察している と思うけどねぇ
    複雑さを排して表明するのも その結果の帰着だと思ふ

    たまには こんなエントリーも 面白い ですね

  6. こればかりは誰も分からない、と言うしか無いですね。
    ただ、良い意味で平和を貪れる関係で在り続けるべきで、その為に出来ることを惜しまないこと、ではないでしょうか。そこへの自問自答が常に抱いているのがシンシアリーさんの持ち味なんだと思います。
    言うなれば我々は常にコインの裏表の関係で、いつも陽の側面を見せるワケでは無い。しかし陰の側面もまた見せ続けるワケでは無い。こういった浮き沈みの中で日々を過ごしているのだと思っています。

  7. シンシアリーさんは、松尾芭蕉のような、
    旅人なのかも知れませんね。
    目的があってどこかにいく。目的があって日本に住む タイプなのではなく
    新しい世界、新しい出会い、旅そのものが人生の目的の人なのかも知れません。

    雑念に捕われた時は、日本の古典の名作に触れてみてはいかがでしょう?
    おすすめのひとりが 松尾芭蕉 です。 基本、俳句という短い定型詩なので、
    短時間で読めますよ。

    松尾芭蕉 1644年ー1684年の人で、約250年前の江戸時代の人です。伊賀忍者の里の出身で、
    なんと44歳で旅路に歩いて1日に50kmの距離を移動したとか。松尾芭蕉の旅の同行者で、同じく伊賀の里出身の芭蕉の弟子の河合曾良は、61歳の時には、
    正式に幕府から忍者として雇用され、お給料も貰っていたという記録が残っているそうな。

    その松尾芭蕉のもっとも有名な作品です

    奥の細道
    「月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり
    舟の上に生涯を浮かべ、 馬の口とらへて老いを迎ふる者は、
    日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
    古人も多く旅に死せるあり。
    予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、
    漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、
    去年(こぞ)の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、
    道祖神(どうそじん)の招きにあひて取るもの手につかず、
    股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、
    松島の月まづ心にかかりて、
    住めるかたは人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べつしよ)に移るに、
    草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 表八句を庵の柱に掛け置く。」

    1. 続き 奥の細道の訳

      月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎゆく年もまた旅人のようなものである。
      川を行き交う舟の上で人生をおくる船頭、馬の口をつかまえて老いを迎える馬借などは、
      毎日が旅であり、旅をすみかとしている。旅の途上で死んだ者も多い。
      私もいつの頃からか、千切れた雲がたなびくのに誘われて、
      さすらいの旅に出たい気持ちを抑えられず、歌枕である須磨や明石(兵庫県)の海辺をさすらったりした。

      去年の秋、ようやく隅田川のほとりにある家(深川芭蕉庵)に戻り、くもの巣を払いのけたりしている内に、年末になった。
      春の空にかすみが立ちこめるようになると、白河の関所(福島県)を越えたいと思うようになり、気持ちをせきたてる、そぞろ神がとりついて、狂おしい心境になり
      道祖神(旅の神)にも招かれて何も手に付かなくなってしまった。

      股引きの破れをなおして、笠のひもをつけかえて、
      長旅に備えてヒザにお灸を据えたが、松島の月が心に浮かんできてわくわくを抑えられない。
      今の小さな住まいは人に譲って、弟子の杉風の別荘にいったん引っ越した。
      この小さな草庵も、ついに住民が住み替わることになった。
      新しくやって来る家族にはお雛様を飾るような小さな女の子がいるらしい。
      今までの男だけの家とはちがい、ひな祭りを家族で祝う明るい家へと変わっていくのだろう。

      旅立つ前の挨拶として、この歌を庵の柱に掛けておいた。

      そして芭蕉の辞世の句
      「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

      もうひとり 雑念の大先輩の、日本の有名ブロガーさんの先駆者もご紹介いたします。

      1. 日本三大随筆のひとつ。 徒然草
        鎌倉時代末期、1330年8月から1331年9月頃にまとめられたという説が有力。作者は吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)
        有名な序段は、シンシアリーさんのブログにも通ずるものがあると思いますよ。
        「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」
        現代語訳
        「つれづれ=「やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまの意味」」
        (つれづれなるまゝに)やることがなく退屈なままに、(日ぐらし)朝から晩まで、(心にうつりゆくよしなしごと)脳裏に去来するさまざま雑多なこと、どうということも無いようなこと、 を (そこはかとなく書きつくれば)とりとめもなく書いてみると(あやしうこそものぐるほしけれ)怪しげなものになってしまった、妙にきちがいじみたものになった。

        の前置きで始まりますが、その作品自体は、「非常に綿密な計画とコンセプトを持って書かれた中世の一日本人知性による魂の記録である。時代を超えて人生の書となりうるエッセイ」と、大変に評価が高いものです。

        今から700年も昔のブログみたいなものですが、日本人にとって、
        枕草子、方丈記と並ぶ、もっとも評価の高い古典エッセイ集にふれてみるのも、
        気晴らしになるやもしれません。

        シンシアリーさんは、松尾芭蕉のような、
        旅人なのかも知れませんね。
        目的があってどこかにいく。目的があって日本に住む タイプなのではなく
        新しい世界、新しい出会い、旅そのものが人生の目的の人なのかも知れません。

        雑念に捕われた時は、日本の古典の名作に触れてみてはいかがでしょう?

        松尾芭蕉の奥の細道 や 徒然草 は、
        日本人の心を描いた、日本文学の巨匠なので
        これを読んだというだけでも、周囲の日本人から、感心されることうけ合いです。 

  8. ものすごく距離感があると聞いて、日本の生活に慣れたんだなぁ〜と思いましたよ。
    帰化する頃にはどんなことを書いているんでしょうね?韓国でも、日本旅行でも、レナさんでもなく、恋愛ブログになっていたり、投資家ブログになっていたりして…。未来に向かって何にでも変化できそうでいいなぁ。

  9. 63才の人生を生きて「自分は今ここに在る」という感覚しかありませんね。環境が替わって、自分もそれにつれて変わることも「自分」ですから。

  10. お友達は、日本語で書かれたシンシアリーさんのブログを読めるのですか?
    読まれてどの様におっしゃっていますか?

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