和には道徳があり、情(ジョン)には道徳が無い

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韓国は、日本のことで「和」という表現は使いません。なぜなら、韓国語では「和」は「和睦」として認識されるからです。だから日本を表す表記としては、いつも「日」です。単に国名の前の字を使っているだけです。

唯一、和式トイレという表現だけが残っていましたが、その言葉もいまでは使わなくなりました。

和という字を避けて日本を考えるのは、なかなか難しいことです。でも、韓国じゃどうしても日本と「和」を繋げようとしません。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

日本が「和」として表現されることを、韓国は許しません。韓国が反日(抗日)から生まれた国である以上、反日というものが「日本が悪であってこそ韓国が善」になれる構造の幼稚なものである以上、韓国は日本と和睦の関係にあってはいけません。悪であるべき存在と、善であるべき存在が和睦にするわけにはいかないのです。

 

ただ、これもまたすべての反日思想がそうですが、劣等感の現れもあります。ここからはかなり邪推入っています。

韓国人が「韓国は~~だから素晴らしい国だ」とするものは、実は韓国ではなく日本にあり、韓国人が「日本は~~だから悪い国だ」とするものは、実は日本ではなく韓国にあります。いつだったか、「韓国は、日本というブランド品が欲しい。でも買えないから(≒日本になれないから)怒る」と書いたことがありますが、それも同じ趣旨です。

 

韓国人が「民族情緒として素晴らしいもの」としている「情(ジョン)」なども、理想と現実がかけ離れているのは周知の事実。実際のジョンは、単にウリとナムを分け、ウリを違法行為からかばい、最終的には「貸し借り」関係になってしまう、人を縛る道具になってしまいました。

それでも、いまでも韓国人は「情は素晴らしい!」と主張します。どこがどう素晴らしいのかと聞くと、「うまくいえないけど、そのおかげで社会に和睦があふれる」という趣旨で答えます。

ここでいう「和睦」ですが、大まかな意味ではありますが、実は、それも日本の「和」にはあって、韓国の「情」からはなかなか見つけることができません。なぜなら、日本(和)には道徳があって、韓国(情)には道徳が無いからです(同じ名称の別物ならあります)。

 

韓国社会は「上下の厳格な適用こそが道徳」だと信じられているため、情も和睦も、結局は上下関係に帰結します。韓国人がもっとも和睦であるべきだとする家庭(家族)からしてそうです。一部の外国人ジャーナリストから「家族こそが韓国の上下関係の始まり」という指摘が出ているのも、そのためです。儒教思想の影響があるのも一因でありましょう。

でも、結局は「甲乙」になってしまうのが韓国人の上下関係。韓国人の道徳も結局は甲乙の確立になってしまうため、その中に、和睦はありえません。韓国人の理想の中では、確かに韓国にあるはずなのに、実際には韓国には無く、日本にはあります。

 

そこから目をそらしたいのか、それとも誰かの目をそらさせたいのか、韓国人は日本のいう「和」から、本来の意味とは全然別のことを主張します。

「『昭和』に和があったから、戦争のことが心配だ」とか。「和は排他的なものだ」とか。「和は島国根性の負の側面だ」とか。「日本人は黙って上に従うことを和と言う」とか。

 

ヘンリー・S・ストークス氏の『日本が世界から尊敬される本当の理由』という本を読んでいますが、その中に「日本で言う道徳は、欧米でいうモラルとは違う」「感謝の気持ちこそが道徳の根本」という内容がありました。

和は尊重無しでは生まれず、尊重は「有り難い(感謝)の気持ち」無しでは生まれないと書いたこともあるし、私は「あ、それすこし分かります(・∀・)」とつい声を出しました。

韓国社会に、和はありません。だから韓国は「日本には和は無い」と言います。日本という国を表すときにも、和の字は絶対に用いません。

 

 

 

以下、ドール写真がありますので苦手な方はご注意を。

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179 Replies to “和には道徳があり、情(ジョン)には道徳が無い”

  1. 二枚目のレナちゃん、何を考えているのでしょうか?
    余韻のある絵ですね~♡ 素敵です!

  2. >>韓国人の理想の中では、確かに韓国にあるはずなのに、実際には韓国には無く、日本にはあります。

    韓国という国を見る度に老子の「大道廃れて仁義あり」という言葉を想い起します。日本に限らず、実力的に勝てない相手に道徳的優位性で勝とうとする。しかしそんな精神的な勝利で本当の満足は得られません。だからどんなにガタガタになろうと「相手より上」を目指すのですが、そんなコンディションで達成できるわけもない…。
    パスカルのいうように「正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとした」のは事実でしょう。しかし彼がまず知るべきは「足るを知る」ということです。

  3. 和(ワ)なんて、、、こじつけでしょ。中国から見たヤマトの国号である倭(ワ)から和(ワ)になっただけ。それを国の指針にしたと?
    ”和”は、古来からある日本の言葉じゃありませんがな。和(ワ)は音読みですからね。古来からある言葉は、訓読みできちんと意味を為すものです。

    和(ワ)ではなく、本来の意味はヤワラです。柔道の柔(ヤワラ)、和らぐのヤワラ。
    そもそも日本の精神は、平和の和じゃないし、輪っかの輪でもありません。和解や団結でも無い。

    漢字の和(ワ)と言い換えていますが、大昔の日本人のイメージしていた和はヤワラであり、柔軟性を持って、強く生きることを意味します。「和を以って貴しと為す」は、人の意見にも柔軟に対処する事を貴びましょう、、、ってことね。
    言うなれば、”和”とは強さであり、余裕であり、付き合い方であり、賢さともなる生き方です。”和”は美徳というより生き方かな。

    韓国の何かと比べるのであれば、美徳としての”情”ではなく、生き方としての”恨”の方だと思う。”恨”は良いイメージではないので比べにくいのでしょうけどね。

    1. >>ノブスケさん
      >>”和”は美徳というより生き方かな。
      呉善花さんが自身の日本文化論の中で「中華圏ではつねに公私の対立があった。その対立を解消するため私を拡大解釈して公と一致させようとしたが失敗した。日本には公私を超えた美意識があり公私の対立を超越している」といったことを書いているのですが、呉さんのいう美意識がノブスケさんのいう「和」にあたるのだと思います。
      たしかに日本人は「和」を道徳とか倫理と意識していないでしょうね。自然にある感情だと考えている。

      1. 呉善花さんは、一流ではない。バッサリ言って、申し訳ないがね。

        1. 呉善花さんは、筋の通った生き方をしている人ですよ、ルサンチマン満載のあんたとは違ってね。

    2. >ノブスケさん
      違いますよ。

      倭人というのは、日本人に対する悪口ですよ。

      古代の中国人は、万里の長城の外の異民族には、
      全て相手をバカにする漢字をあてるという嫌なくせがあったんです。

      古代の日本人が、倭人 なんて漢字を名乗ったわけではないのです。
      元々、漢字は中国のもの。中国人が、日本人につけた当て字ですよ。

      東夷 西戎 南蛮 北狄  これを「四夷」あるいは「夷狄」(いてき)と総称します。

      前にモンゴル人が、蒙古と呼ぶなと怒ったことがありました。
      モンゴル人は、
      プライドから漢字を使わなかった民族です。
      そのモンゴル人に対して、中国人がつけた漢字が蒙古

      その意味は、頭が古く頑迷な人 という意味があるそうな。
      その他、紀元前3世紀から6世紀にかけて中国北部に存在した遊牧騎馬民族を、
      鮮卑(せんぴ)族とか、本当にひどい漢字を当て字したりしていました。

      そして倭人も、矮小 ちいさくてみすぼらしい人という意味があります。

      日本人が自分たちを名乗ったのは大和 やまと 民族です。

      大和というのは、奈良の地名から来ていますが、
      それを古代の中国人は「なにが 大きな和 だ。おまえらなんか、矮(わい小)人だよ。」と。
      だからわざわざ中国人の悪口なんぞにつき合うことはないんですよ。

      西洋人には、美国 英国 など、きれいな漢字ばかりをあてがっているのにね。

      1. 倭の由来くらい知っとるw だから、音の同じ和にしたんだろ。
        文章を読め!
        中国から見た、、と書いてあるだろw

    3. 諸説のひとつでもない妄想はを語ってドヤ顔してんじゃねぇぞこの犬殺しの引きこもりの朝鮮人以下のノブスケ。
      近代現代に生きるお前以外のいわゆる日本と日本人なんて概念なんぞはせいぜい150年前からのそれにすぎんわカス。

        1. あら、残念。
          ノブスケさんの最初のレス、とても良かったのに。
          その後が、全く「和らぎ」とはかけ離れてしまってますね。

          >>”恨”は良いイメージではないので比べにくい

          これはどうなのでしょう?
          少なくとも、韓国人にとって「恨」は大切な生き方ですよね。
          悪いイメージではないのではないでしょうか?
          ノブスケさんが仰っているのが、日本人から見てという意味なら、確かにあまり良いイメージではありませんが。

          ずっと前に観た「風の丘を越えて/西便制」という映画の「恨を超える」というラストはとても美しいと思いました。

          あの頃の韓国映画、いいものがあったけどなぁ。

          1. >その後が、全く「和らぎ」とはかけ離れてしまってますね。

            日本人的に和らぎが大切な生き方だとして、それが勧善なことでもないです。
            あえて、お茶を濁してうやむやにせず、バッサリと話をするのは悪いことではありません。誤解を恐れず言えば、馴れ合いで本音が言えなくなるくらいなら、多少ぶつかっても正しいと思うことを主張するのも大切なことです。そういう人が幾らかはいなければ、正しさを維持できません。

            ≫”恨”は良いイメージではないので比べにくいのでしょうけどね。

            この一節は、ノブスケさんからシンシアリーさんに対する御意見でしょう。

            シンシアリーさんが個心的に「恨」を良く思っていない。
            しかるに、恨と和を比較対象と考えることが出来ない。そういう観点に気付いてはどうか?というヒントのようなもの。

            そういう風にしか読めませんけど…

          2. また来たよ さん

            バッサリはいいのですが、こういう言葉だけの「場」ですから、配慮はやはり必要ではないかと思います。
            配慮は、うやむやとは違いますよね。

            「恨」が良いイメージがないという箇所ですが、
            私には、色々に読めました。
            「シンシアリーさんが、」「日本人が、」「韓国人が潜在的に、」良いイメージを持っていない、等です。

          3. ちょっとコメントの意味を把握しかねますが、少し補足しますと、、

            和らぎは、優しさではありませんよ。
            柔軟性です。
            「柔よく剛を制す」と申しますが、実は和らぎは強さでもあるんですよ。硬さではありませんけどね。
            今の日本語の感性からではなく、古語、日本語の語源から考える必要があります。

            例えば、今は、”和”は”輪”に近いイメージもあると思えるでしょう。しかし、”和”と”輪”は何の関係もありません。和(ワ)と輪(ワ)は音読み(中国発音読み)と訓読み(大和言葉読み)です。

            ”和”という言葉が注目され始めた古代日本では、和のイメージは今の和(ワ)ではなく、”やらわ”なんです。そして、その”やわら”は強かさ(したたかさ)や賢さの一つだったのですよ。

          4. ああ、3つのコメントにバッサリと返したことですかね。

            あれは的確にコメント返ししただけです。大絶画さんの引き合いに出している呉女史の考察は玉石混交で参考程度にしからないし、眠り猫さんは読み違えただけだし、最後の生物は全く何を言いたいのか理解できませんな。

            和が美意識になる得ている事はわかりますが、極々浅い分析です。
            喩えるのなら、日本人が優秀なのは幼児からの教育と勤勉さ、、だと外国人が毎度毎度言っているようなもの。
            確かに勤勉ですし、幼児から社会秩序に合わせるように躾されます。しかし、因果関係の見立てが根本的に違うのです。

            統計学で言う説明変数(要因)を知りたいのに、内生性(結果の影響を受ける要因?結果のせいで再生産してしまう傾向?)を強く持った説明変数で、従属変数(結果)と考えた方が良いものを、さも説明変数として分析している輩が多い事多い事。

          5. 和らぎが優しさとは違うということは、分かっているつもりです。

            ノブスケさんは、
            3つのコメントにバッサリと返したことを、的確にと仰っているわけですがどうでしょう?
            3つ目は論外なので放っておくとして。
            眠り猫さんが読み間違いなのも確かですね。
            ですが、大絶画さんへの返信、
            >>呉善花さんは、一流ではない。
            というのは、的確とは言えないと思います。

            呉女子が一流ではないというのは、個人が思うところなので否定はしませんが、一流ではないから、発言に価値がないわけではないですよね。
            後でノブスケさんも玉石混淆と仰っているように、大絶画さんも玉石の中から、この話題に相応しいと思える「玉」を引用したのではないですか?
            その内容ではなく、言った人物を一流ではないと切り捨てるような返信に、「和らぎ」を感じることができませんでした。
            ですから残念と申し上げました。
            そして、
            バッサリはいいのですが、こういう言葉だけの場ですから、やはりもう少し言葉を選んだらいいのに、とは思っています。

            「恨」については、どうなのですか?
            また来たよ さんの読み方であっているのでしょうか?
            シンシアリーさんが「恨」をよく思っていないという意味でしたか?
            そうであれば、私の読み違いです。

            「恨」というものが、朝鮮人の選んできた生き方であるのは、彼らの好悪ではなく、環境によっての無意識の選択であったと認識しています。

            ですから、韓国人が韓国だけで完結していられた時代には、それを美しいものとして描けたのではないかと思うのです。
            世界と接触した今、試される生き方であると。

            すみません。
            これは、また別の話しですね。

          6. cieさん

            茶々を入れるようですが、
            >韓国人が韓国だけで完結していられた時代
            これが存在しなかったのが、朝鮮(韓国)の悲劇なのだと思います。

            日本は世界と接触して、孤立から自立&協調になりました。国内は自立&協調だったから比較的すんなりと。
            しかし、韓国は従属から自立&協調になる途上なのです。(残念ながら後退しつつあるように見えますが。)

          7. mottonさん

            韓国人が韓国だけで完結できた時代。
            というのは、私の言葉が足りませんでした。
            私は、「風の丘を越えて/西便制」という映画の頃の韓国、
            つまり日韓ワールドカップも、韓流もまだだった頃の、あまり世界と接触がなく、普通の韓国人が韓国の外の世界を知らない頃、ぐらいのつもりで書いてしまいました。

            あの頃の韓国映画は、本当にいいものがありました。

            世界と接触してどうなったかは、motton さんの仰る通りと思います。

          8. 私に個人の考え方を書かせてもらうと、
            分析に引っ付けている重み付け(価値判断)が邪魔なのだろうと思う。
            それは事実、それは好き嫌い、それは思い込み、それは推論、それは一般常識、それは自分の保身(言い訳)、、、って、情報ごとに何となく分類できるでしょ?ラベルを貼ってるわけではないけどさ。
            そこで、好き嫌いや思い込み、言い訳等が情報に付与されている場合に、「それ駄目!」ってなるのよ。
            言い訳でも、事実を述べた言い訳と、保身のための言い訳とはまた違うんだけどね。

            要するに、価値判断を乗せた分析は、色眼鏡を通し過ぎてて分析や考察としての価値が乏しい、、って思ってしまうってことかもね。

            言ってる意味わかるよね?

            どうも韓国の人はそういうのが多い。科学者にとってはダメな資質でもある。だから、全員が全員とは言わないけど、傾向として科学が苦手なんだと思う。

            まあ、私が言い過ぎなのかもね。

          9. えーと。
            言っている意味は分かるのですが、誰のことを言っているのかがよく分かりません。
            誰というわけでもなく、自分の価値判断を乗せた分析が「駄目」って思うってことですか?

            ノブスケさんは、言い過ぎというより、他者に期待し過ぎだと思います。
            ご自分の分析レベルが高いことはお分かりなのですから、他の方にもそこまでのものを望むのは、酷だと分かりそうなものなのに。

            返信でバカだなぁって思ったら、噛み砕いて説明するぐらいの度量が「和」に繋がるのではないですか?

            バッサリでは、言われた相手はずっと分からないままです。
            今は、こうして説明くださっていますが。

          10. >cieさん

            配慮が必要。もっともな話だと思います。その方が無駄に刺激をしなくていい。私は弱虫なのでそうしますね。

            しかしながら、配慮は自分がすれば良いことで、他人に課すものではないですね。
            文章の内容を良く理解して、的確に応える。共感でも反論でもです。言い方に対する配慮の仕方は人それぞれです。回りくどい言い方で誤解を招くより、単刀直入の方がわかりやすくて良い場もありますね。

            cieさんも、もう少し具体的にどこに配慮が足らないと感じたか語らないと、ノブスケさんに対する配慮が足らない…となるかもしれませんね。(そもそもノブスケさんが、そのような配慮を欲しがるとは思えませんが…)

            コメントを書く場合、誰かのコメに対するレスでない場合、誰宛か明記していない場合、シンシアリーさんのエントリーに対するコメントと考えるのが普通ではないでしょうか?
            他の方に対するメッセージを含んでいる場合もあるでしょうが、その場合はそれがわかるようにメッセージを書くことが多いんじゃないでしょうか?

            ノブスケさんは、物書きとしてもう少し新しい視点や思考を持った方がいいんじゃないか?と伝えたいんでしょう。
            私としては、シンシアリーさんの人間味溢れる部分も面白いと感じるので、学術的に極める必要があるか?は疑問符ですが…cieさんが仰る通り、シンシアリーさんに何らかの期待をしている部分があるかもしれませんし、観察結果を伝えたいのかもしれませんし…ね。

          11. 私の言い方は、どうも また来たよ さんには伝わりにくいようです。(笑)

            誰かへの返信でない限り、シンシアリーさんに当てたコメントであるのは、前提です。
            でも、ノブスケさんの文章から、
            シンシアリーさん個人が「恨」に良いイメージを持っていないから、と仰っているようには私には、やっぱり読み辛いです。

            「和」という生き方の対として分析するなら、「情」ではなく「恨」だということですよね。
            私もそれには賛成です。その通りと思います。
            でも、その「恨」という言葉に良いイメージがないと思っているのは、シンシアリーさんではなく、ノブスケさん自身なのではないかなぁ、と感じたのです。
            ( ご本人にお伺いしましたが、それについては返信がいただけていません。)

            だから「恨を超える」という話しをしました。
            「恨」は持っていて、そして超えていくものであるというのは、善悪ではない、美しい生き方だと映画を観て思ったからです。
            私は「恨」という言葉に悪いイメージはありません。
            良いイメージもありませんが。
            シンシアリーさんが「恨」という言葉に良いイメージがないというイメージもないのです。
            では誰が良いイメージを持っていないのかなぁ? って色々考えました。
            漢字のイメージが良くないとは思います。

            ノブスケさんの分析は、よく面白いと思って読んでいるのですが、誰を想定して言っているのかが、私には分かりづらい事が多いです。
            だから掴み難い。
            なので、返信する相手は自分よりバカだと思って、噛み砕いて説明してほしいとは思っています。
            それが「和」に繋がるのではないかと。

            でも、また来たよ さんから見たら、私の文章の方がよっぽど分かり難いようですね。

            伝わり易い相手、伝わり難い相手は、やはりあると思います。
            私も、また来たよ さんの文章を読んで、「ん?」ってなる時がやっぱり多いように思います。
            配慮以前の問題かもしれないですね。

          12. ああ、そうそう。
            「恨」という言葉や概念には、悪いイメージはありませんが、「恨」を溜めるばかりで、一向に超えようとしない態度には腹が立ちます。
            腹が立つというより、呆れるかな。

          13. >cieさん

            cieさんの文章が解りにくいということはありません。書き方が悪いのは私の方です。

            私が出しゃばり過ぎていることと、反論を受けた本人でないcie さんが、残念と仰ったことに違和感を感じてしまったのがいけなかった。

            反省しています。

            弁明を一言。
            またもノブスケさん本人でない私がいうのもナニですが…
            ノブスケさんが仰っているのは、考察に色をつけてはならないと言うことであって、好き嫌いや良し悪し、善悪を感じてはいけないということではないと思うのです。そういう感覚は思考のキッカケにはなるのです。ノブスケさんも当然人並み以上に善悪や好き嫌いを感じていることでしょう。しかし、そういう感情的であったり主観的であったりする部分は思考と分離するべきということを仰っているんだと思います。
            そういうある種の訓練をされた人の思考方法を説いていると言ってもいいかもしれません。

            噛み合いにくい会話に付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。本題から逸れすぎる長いコメはシンシアリーさんも望まないでしょうからこの辺で…

          14. 出しゃばりということはないと思います。
            それこそうやむやにすると、気持ちが良くないですよね。

            私が残念と言ったのは、最初のコメントにとても共感したからです。
            故に、その後の返信が気になってしまいました。
            言ってることと違うんじゃない? って。
            つまり、先に出しゃばったのは私の方です。

            仰る通り、ずいぶん本題から外れてしまったので、終わりにしましょう。
            でも、気になることに横から口を挟むのは、悪いことではないと思います。

          15. 適度な「恨」はあってもいいと思ってます。
            ただ、「溜めすぎると、発酵→腐敗する」と思いますw

            横からでしたw

          16. 横からありがとうございます。w
            なるほど、腐っているんですね。
            確かに。( ̄^ ̄)

  4. レナちゃん可愛い!

    ところで令和、レナ、りょうなってまだ空目が滑るわたくしなんですが、こんなんで一週間後どうすんだと思ってたら
    この可愛いお写真で駄目押しされました……いやーw

    和に関しては、日本人なら誰しも色々なイメージを思い描くと思います。
    わたくし個人的には
    物事に両面があるという考え方から、シンシアリーさんのおっしゃる感謝に加え、義務を感じ取りますね。
    感謝をする側にも、される側にも、ものごとに関わった分
    ある種の義務が生じるとでもいうのでしょうか。
    堅苦しくてしんどいのですが
    無責任なままでは、見かけ倒しの和しか生まれない。それが日本社会の側面だと思っております。

  5. 儒教の教えにおいて、下の者が上の者に従う代わりに、上の者には徳が求められる。
    しかし、韓国社会の上の者は、威張り散らすだけで徳がない。
    だから、韓国社会では、パワハラ、セクハラ、DVなんて日常茶飯事に起きている。

  6. うわあ
    なんなんでしょうね
    価値と評価の押しつけがましさって
    自分にはったレッテルへの縋りつきなのか

    まあ老害も割合高くなることですし
    境界の煩悶、乗り越えられますように

  7. 和が道徳論にいきつくのが、シンシアリーさんの韓国人らしい書き方だね(苦笑)

    和というのは、実は道徳論とは全く逆、「悪との共存」「悪とも共存」を目指す考え方なのです。
    世の中にはいろいろな人の考え方があって、善悪や利害についても一人一人が異なる。
    これに上下がついて、これまで説明してきた通り、「人の上下」、人の格の違いが明らかになるまで、お互いの正義を持って延々と殴り合うのが韓国という国です。

    一方で、日本の和については、まあ、一人ひとりの善悪は異なるから、善悪は脇へ置いておいて善悪上下に拘わらずにお互い共存共栄を目指そうという考え方なんですね。これは実は一部の正義を重んずる欧米人からは極めて受けが悪い。

    「悪を糾弾せず、悪とすら対等の関係を保とう、なあなあにしてしまおう」という考え方だからね。つまるところ韓国という悪を糾弾せず、韓国という悪との共存を目指そうというのが和なんです。これが今まで日本が韓国にしてきたこと。しかしこれは成功しなかったんですよ。

    日本では、韓国大統領のように、過去の為政者が糾弾されたりしません。一方で韓国では、徹底的に責任を追及される。これが和の違いなんですね。

      1. 七誌さんのコメントは背乗り発言で七誌さんのコメントではない

        否定していればいいだけの楽なお仕事ですな

        1. 同意。

          何の根拠もないしね。いつもながらに(いつも以上に)つまらん。

          そんなんじゃR-1の1回戦も勝てないで。

          1. wwww

            ワロタw

            「素」で笑いがとれ「た」ピン芸人w

            お笑いをみんなが求めてるぞw
            期待を裏切るなよw

    1. あんたがここにいられるのも、その和のお陰でしょうに((苦笑))

    2. そもそも韓国のような、「正義の国」が何故政権が変わる度に争い続けるのか、万人の万人に対する闘争になるのか。どちらが正しいのか、常に隣人を糾弾し、正義が人を人を、国と国を上と下にするからなんですよ。

      じゃあもし悪を赦し、隣人の悪事を(お互いに)赦せば、違う考え方を許容すれば、これは争いが起こらなくなる。これが和ですね。
      これはキリスト教と共通の考え方、愛と赦しなのですよ。

      ただし和にも決定的な欠点があって、中国人や韓国人は、日本人の和を一方的に利用するのです。

      1. 今日もどうしてかなーおかしいなあーと延々と言いに来る。うんざり。 より:

        どうせ大した事は言ってない七誌さん

        1. 同意。 何であんなに中身のないことを何時もグチグチ言ってるんだろう。

          ヒネりもないし、笑いも無い、オチも無い。

          やっぱり、頭の中が腐ってますね。

      2. >違う考え方を許容すれば、これは争いが起こらなくなる。これが和ですね。

        ほうw
        あの七誌さんが「和」を語っているぞw

        もしかしたら「ココ」が、笑うところかもしれないw

        日本人なら「和」を大事にしていただきたいものだw

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