「弱者に向かう憤怒」

最近、京郷新聞が「嫌悪を越えて」というシリーズ記事を連載しています。その中のひとつ、『強者でなく弱者へ・・逆に流れる憤怒』から、興味深い内容を見つけました。

記事の内容は、社会で苦しんでいる人たちが、その苦しみを作ったもっと大きなシステム的問題に怒りを向けるのではなく、自分より弱い立場の人たちに怒りを向ける社会風潮が広がっている、とするものです。

 

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<・・(社会で苦しい思いをしている人たちの)怒りが向かうのは、「強者」ではない。逆方向に流れ、社会の弱者たちに向かう。ユン・ジヨン建国大学教授は「いまの世代は、勝者独占のイデオロギーを注入され成長したが、彼らを待っていたのは極めて厳しい現実だった」、「自分が惨めになった原因は、元々自分がもらうはずだった特権を、無賃乗車した弱者たちに奪われたからだと思っている」と述べた・・・>。

http://v.media.daum.net/v/20171008191254545?rcmd=rn

 

社会構成員たちの「憤怒」が世の中を変えることもあります。公憤とか言いますね。社会構成員たちが社会悪に対して憤怒を向けること。もちろん、ただ怒っているだけではどうにもならないけど、その憤怒を体系的なシステム改善に向けた歴史的な出来事もあります。フランスや日本で見られる「革命」などもその類でありましょう。

韓国は、韓国社会の憤怒も、そんな類のもの・・強いて言うなら「正義」であると、勘違いしています。この記事も、そんな観点から、「正義に向かう韓国人の憤怒が、なぜ弱者に向かう!こんなの間違っている!」と憤怒しているわけです。

しかし、すでに前提からして「強者は悪い」としている時点で、それは間違っています。

本ブログでは、随分前から、韓国人が「民族情緒だ」と何の戸惑いもなく言い切る「恨(ハン)」という感情に対し、こう分析してきました。

「韓国人は、気に入らない現実の原因をこう信じている。自分の正当な権利が、不当な手段を使った誰に剥奪されたからである」と。

いつもは、強者に怒ると自分がやられる恐れもあるから、弱者に怒るだけ。もちろん、「強者」たちが何かの失敗で力を失うと、それはもうほぼ全国民が怒り狂い、その強者(だった人)を徹底的に叩き潰しますけどね。

そう、韓国人の憤怒は、どちらかというと、「憎悪」です。善悪論です。もちろん、自分を善としての。

 

別ソースですが、建国大学のユン・キムジヨン教授は、「憎悪は権力感情である。誰かを憎悪することを、ある種の権力だと認識する傾向がある」と指摘しています。

http://v.media.daum.net/v/20171001192723084

 

すなわち、韓国社会で弱者に憤怒を向ける人たちは、自分が「強者」になったつもりでやっている側面があるわけでして。その時点で「憤怒は強者(悪)に向かうべき」「憤怒の正しい方向性」「正義としての憤怒」などの主張は全てが破綻します。

結果、強者が悪いか、弱者が悪いかはどうでもいいことです。「自分より強いやつは悪い手段で強くなった悪党で、自分より弱いやつは無能過ぎるバカ」なのです。その「憤怒」に、正義は無く、社会を改善していく機能もありません。おまけにいうと、方向性もありません。ただ、「自分以外」に向かうだけです。

 

 

はい。楽しいドールショウはもう終わったのです・・曇りましょう・・・

 

 

 

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