韓国にも日本にも、道徳や倫理観を大事にする風潮はありました。そして、そのための多くの徳目が存在しました。
しかし、それらの徳目が日本ではちゃんと機能していて、韓国では副作用ばかり残しているのはなぜでしょうか。
一つの例えとして、韓国で見られる様々な「儒教的な歪み」ですが、儒教思想は日本にもありました。武士たちも忠や義など、儒教思想と通じ合う持論のもとに生きました。なのに、なぜ、いまの日本にはその副作用がほとんど無いのか。
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日本には古くからの信仰、道徳、倫理観が存在していたし、朝鮮みたいに儒教以外の宗教を弾圧することもなかったし、
数えられないほどの理由があるでしょう。
ただ、その中に一つ、「日本には手本を見せる人が多かった。韓国にはいなかった」という理由もあります。
勝った時にも負けた時にも、持論を貫いて生きた人たち。負けて敗れ去った後にも、民の間で、または敵からですら相応の尊敬を得て、時代が変わっても評価された人たち。日本にはそんな人たちがいました。
露骨過ぎる気もしますが、「日本にはサムライがいた、朝鮮には両班しかいなかった」が大きな理由だと、私は思っています。
今日も韓国では「日本のズルのせいで負けた。試合のルールを変えた日本に負けた」などという記事がありました。なんかゴルフ大会があったみたいです。
http://v.sports.media.daum.net/v/20171203141926637
記事のタイトルからしてコムス(ズルい手口)などまるでネット用語みたいな言葉を恥ずかしげもなく使うのを見ると、かなり悔しかったようです。
先の、「評価される人たち」の生き方には、「潔く」という言葉も適用できるのではないか、と思ってみます。
一つの基準を貫く人は、意外と潔い生き方だったりします。「何か一つ」を悟っているからこそ、他を貶める必要がないからでしょうか。
人のせいにして、絶対に許さない「恨(反)」の社会に、潔く考えながら生きることはできるのでしょうか。
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