朝鮮時代の庶民売春は・・

この前のエントリーで、「朝鮮半島にも古い信仰はあったでしょう?」なコメントがありました。確かにそのとおりです。

ですが、朝鮮半島の信仰は、基本的に「何かに怯える」ものでした。

仏教が潰された後、庶民たちは儒教思想の中で宗教的機能を見出すことが出来ずにいました。彼らの宗教的本能を満たしてくれるほど、韓国の古い信仰、「巫俗」は、まともなものではありませんでした。

 

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キリスト教は絶対善の神と絶対悪の悪魔(悪魔の総称としてサタンとも言います)を厳格に区別しています。悪魔は恐ろしい敵で、慈悲深い愛の神は味方です。間違っても悪魔に尊重を示すことは許されません。

日本の信仰には、悪魔がありません。神々が多様だからです。多様さに「絶対」はありえません。絶対善が無いから絶対悪もありません。恐れられる方も、愛される方も、人々はその両方に尊重される価値があると信じ、どちらも神とします。よくわからなければ「触らぬ神に祟りなし」のスタンスでいけば概ねOKです。でも、韓国の信仰は、基本的に「恐れられる」パターンしかありません。

朝鮮半島にもシャーマニズムに基づく古い信仰があります。それらの民俗信仰を韓国では「巫俗」と言います。それらは、人々に恐怖を与える必要がありました。その方が商売になるからです。「このままじゃあなたは死ぬ。家族が死ぬ。悪い鬼神(韓国、中国では死んだ人の霊を鬼神と言います)の仕業だ。その鬼神を追い払ってやるから、お金を出せ」。これが巫俗関係者たちの「商売」のいつものパターンした。そのためには、霊というもののイメージをとにかく恐ろしくする必要がありました。

また、朝鮮時代の巫俗関係者たち、特に呪術師である巫堂(ムーダン)たちは、売春の舗主(店主)としても有名でした。キーセンのようなちゃんとした売春は金がかかるため、巫堂は儀式で楽器を担当する「絃首(ヒョンス)」と呼ばれる若い女性たちを利用し、庶民相手の売春店主として暗躍していました。巫俗は、とてもまともな宗教として機能していたとは思えません。

巫堂< 像よろしく

 

今でもこれらの影響は韓国社会に根強く残っており、巫俗関係者たちによる詐欺被害が後を絶たないでいます。また、韓国人はいまでも、神だろうと、自分の先祖の霊だろうと、信仰の対象に対して、尊重より「恐れ」を先に抱いてしまい、金を捧げれば問題が解決できると信じています。

本来なら物質主義と距離を置くべきキリスト教会ででもこれは同じです。献金をいっぱい出した人は、礼拝演説中に牧師から褒められます。「~氏が~の献金をしました」と名前を読み上げられ、「~祝福がありますように!」といっぱい褒められます。

 

これらの話は、もっとまとめて、次の本に生かしたいと思っています。

あ、そして、今日はこれで更新がありません。そして、明日も更新ができません。

富士山の写真、うまく撮れたらエントリー書きます!

(・∀・)ノ

 

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