フュージョン

融合とか口で言うのは簡単だけれど、一と一をあわせて二以上の存在を作り出すことは、決して容易ではありません。

でも、日本には様々な融合や複合の結果から生まれた、ある種の「再創造」によって生まれた文化が存在します。それらは、一と一が二以上の成果を出しています。

 

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とてもわかり易い例えとして、カレーライスがあります。もともとカレー(カリー)は、ご飯につけて料理ではありませんでした。それとご飯の再創造でできたのが日本のカレーライスですが、これが本当に美味しいです。カレーの無い日常など、考えたくありません。

韓国では、フュージョンという言葉が流行ったこともあります。フュージョン宮廷料理とか、フュージョン中華料理とか、フュージョンロック(音楽)とか、フュージョンベースボールというのもありました。最近はあまり聞かなくなりましたが、何年か前まで結構流行っていて、特に食堂の看板などにフュージョン料理と大きな字で書いてあったりしました。日本の某有名漫画にも二人でフュージョンと叫びながら合体して強くなるシーンがありましたが、ここでいうフュージョンも、「二つを合わせて、別のものを作り上げた」という意味です。意味だけだと別に悪いものではありません。

ですが、実際に食べてみると、マズいです。なぜなら、フュージョンする二つの料理の相性などをまったく考えないからです。ひどい場合は、何と何をフュージョンさせて出来た料理なのか、元の面影がまったく無いのもあります。大邱(テグ)の某デパートでは、「これ、料理二つ混ぜて加熱しただけじゃない?」と思ったら笑いが止まらなくなって、食べている途中にしばらく一人で笑ってしまったこともあります。そういう料理は、基本的に味付けが無茶苦茶強く、殆どはただ辛いだけです。フュージョン前の本来の味がどうものだったのか、全然伝わってきません。まるで、強い味で元の味を隠すことで、「別のものになった」をアピールしたいだけのようです。

わざわざフュージョンする理由は、基本的にはさらに良いものを作るためですが、韓国ではそのための手段として「潰して完全に混ぜる」ことを考えます。一部の料理では、食べ方からもそれがわかります。しかし、日本は、元あったものの良さが生き残るようにします。

日本は、1と1と0.5をあわせて三以上を作り出す国です。ある2つを1つにする時、各存在を完全に破壊しません。「混ぜる」のではなく、「合わせる」から、結果物に両方の良さが残ります。

先のカレーライスだってそうです。それは単純にご飯の上にカレーを乗せて混ぜただけではありません。合うのか、合わないのか。味付けにどんな工夫をすればご飯とカレーが合うのか。そういう試行錯誤の末に出来上がったものです。だから、1と1に、努力ともセンスとも言える0.5のコツまたは味付けを加え、それらを合わせて、三以上のものが出来上がります。

日本は、社会、市民意識がとても高い国ですが、人と人が最小限の距離を守っていて、お互いを尊重している(韓国の場合は無条件的な干渉を親しみだと思う人も多い)・・そんな内容を原稿に書いてますが、

こうしてみると、料理でも同じことが見いだせるようです。

今日のじゃぱんらいふでした。

 

 

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