朝鮮が清国にフルボッコにされた「丙子の役」の時、1637年。
朝鮮は追い込まれ、降伏を目の前にしていました。いわゆる「三田渡碑の屈辱」の直前のことです。
いつものことですが、そのときも朝鮮は二つの派に分かれて喧嘩をしていました。清国に降伏して生き残るべきだとする「主和派」と、最後まで戦うべきだとする「斥和派」です、斥和派は「尊明派」と呼ばれるほど、明国との関係だけが全てだと主張していました。
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そんな時、王は降伏を決め、チェ・ミョンギル(崔鳴吉)という人が国書(公文書みたいなもの)を作成しました。彼は、清への降伏を進めていた主要人物の一人でした。
斥和派で、春まで耐えて食糧さえ確保できればなんとかなると主張していた、代表的な明パ(笑)であるキム・サンホン(金尚憲)は、その国書をバリバリとやぶってしまいました。
ええい主和パめ!と、暴言を吐くキム・サンホンに、チェ・ミョンギルは破られた国書を拾い集めながら、こんな言葉を残しました。
「国書を破る人も必要ですが、破られた国書を拾い集める人も必要なのです」。
それから5年後、キム・サンホンは三田渡碑を壊そうとして逮捕され、清まで圧送され、牢屋に入ることになります。
その牢屋で、キム・サンホンはチェ・ミョンギルに出会います。
「あれ?主和パのお前がなぜここにいる?」
聞くどころ、チェ・ミョンギルは朝鮮が降伏した後、朝鮮の王子と共に清の瀋陽というところまで一緒に来て、それからも「朝鮮の王子の名誉を守るため」とながら決して卑屈な態度を見せず、清の人たちに嫌われてしまいました。その後、明の人たちと手紙をやり取りしたことで「明のスパイ」とされ、チェ・ミョンギルも逮捕されてしまったのです。
キム・サンホンはその時、やっと気づきました。
「なんだ。あなたも、朝鮮を守ろうとしていただけですね」。
昨日、「パ」を書いて、ふっとこのエピソードを思い出しました。
ムン・ジェイン政権もその「パ」たちも、ムン・ジェイン政権を非難している人たちも、こう言います。「これが大韓民国のためだ」。
本当でしょうか?
どうも、そうは見えない、今日このごろです。
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