韓国社会、「知り合い」による詐欺被害でさらに深まる不信

もう2年前になります(遠い目

旧シンシアリーのブログ(アメブロ版)に、こんな内容を書いたことがあります。当時、コメント欄でも「こんな諺まであるのか」とかなりの反応があったと記憶しています。

<反日も恨(ハン)も、その裏には、共通する心理があります。劣等感というか、「自分自身に自信が持てない」ことですね。毎日のように「愛国」を叫ぶ韓国で「愛国」が消えつつあるのと同じく、毎日のように優秀さをアピールしたがる韓国人は、実は韓国というものに対して自信を持っていません。

それは韓国「内」でも同じです。社会そのものが何かの形で「相手は加害者、私は被害者」という言い訳で溢れていることで、結局は自分を「哀れな存在」として認識するようになり、結局は自分自身を信じることができなくなっていきます。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

自分自身を信じられない人は、他人を信じようともしません。自分以外は、自分を付け狙う敵に見えるようになります。何度か書いてきた「不信社会」の、もっとも根本な部分でもあります。

今日は、面白い諺を一つ紹介しましょう。「知り合いが泥棒」です。日本側でも紹介されているでしょうか?韓国ではちょっとマイナーな扱いですが、だからといって消滅した(使われていない)と言うほどではありません。普通のネット検索でもその意味を見つけることができます。「知り合いのほうがコワイ」「知り合いのほうがもっとひどい」などで、日常でも耳にすることがあります。

そう、ここでいう「泥棒」は、どろぼうというよりは「詐欺師」「悪党」に近い意味です。真っ赤な他人よりも、むしろ知り合いのほうが、悪さ、または詐欺みたいなことを仕掛けてくるという意味です・・>

 

昨日、世界日報にこんな記事がありました。「詐欺に傷つく韓国・・殆どは知念に騙されて『心の傷』」。記事は、韓国に詐欺事件が多いことを書いた後、こう繋げています。

<・・特に普段からの知り合い、または信頼できると思っていた人から詐欺の被害を受けた人の場合、心の傷が深く、世界そのものを不信する。韓国刑事政策研究院チェ・スヒョン博士は「知人による詐欺にあった被害者は、他の犯罪被害者とは異なり、『私が、あの人にだまされた』と、自責の念が大きく精神的被害を受けざるを得ない」、「これは加害者の処罰や非難だけで解決できる問題ではない」と説明した・・>

http://v.media.daum.net/v/20180408194521414?rcmd=rn

ウリもジョン(情)も、昔はどうだったか知らないけど、少なくとも今の韓国社会では「所詮は自分が利を得るための手段」ですから・・それでも「この人は私のウリだ」と信じていた人たちから裏切られることを、受け入れられない人たちもいるのでしょう。

どこからどこまでを「知り合い」、または「信頼できると思っていた人」と見るべきか、それは曖昧では概念です。そのせいか、具体的なデータが示されているわけでもありません。ただ、記事の書き方からして、そんな人たちから詐欺被害を受けることは珍しくもないみたいです。

韓国社会での「知」は、相手を騙すためにある・・と書くのは、極端すぎるのでしょうか。

そういえば、韓国ではいつも反日発言ばかりする人たちを「知日派」とか書きますが。それも似たような心理なのでしょうか。

胸くそ悪い話です。

 

 

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