この前に紹介した「真の韓国人とは」エントリーの続きとなります。
「Comforting an Orphaned Nation(韓国語版タイトルは『海外入養と韓国民族主義』)」のことで、もっと情報を探ってみました。
前のエントリーでも書いていますが、トビアス・フィビネットさんは、韓国のことを「巨大な民族主義だ」と指摘しています。
個人的に注目したのは、本文の(韓国語版の直訳)「属性化」という言葉です。
(ここから「続きを読む」の後になります)
これは本のニュアンスからしてそうですが、「属性化」は「所有される存在になっていく」に近い意味になると、私は思っています。韓国の民族主義は所有欲が強く、人を自分のものにしないと気が済まないという意味です。
韓国人は、民族を家族の拡張版みたいなものだと考えています。韓国人が言う「民族」というのは、もともと「自民族中心主義」に同意するかどうかで決まるものですから。韓国人が家族に感じることは、究極の「ウリ」思想です。韓国人は家族のことを、いわゆる「ウリ」の結晶だと思っている側面があるからです。韓国人の「情(ジョン)」は、「ウリ」の間でしか機能しません。恨(ハン)はナムに向けるもの、情はウリに向けるものです。
そういう歪んだ家族観の副作用で、韓国では、儒教思想的に自分より格下(年下)の家族(特に、自分の子)を自分の所有物みたいに思ってしまう風潮も強く、韓国内部でもよく問題視されています。
これらの解釈を合わせてみると、韓国の民族主義というのは、「個人は民族の所有物」であるという見方が可能になります。
韓国の民族主義を「所有欲」と表すと、真の韓国人とは、民族主義に所有された存在を意味すると言えましょう。
もちろん、「所有された」人たちの所有者は、「民族」ではありません。「民族」という言葉を、自分の利害関係のために使っている人たちこそが、真の所有者になるのでしょう。
宗教を利用して儲かる人たちが、信徒たちを自分の所有物みたいに思っているのと同じです。さらっと書きましたが、恐ろしいことです。中世みたいですね。
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