これは2016年6月4日の、朝鮮日報の記事からの部分引用です。
記事は、韓国社会は「一等国民(富裕層、いわゆる『甲』)」と「二等国民(いわゆる『乙』)」に分かれているとしながら、次のように書いています。
・2等国民が(不遇な事故などで)死亡することがあると、すぐに「罪のない被害者」となる。一夜にして「罪もなく哀れな立場の人だけがやられてしまう」という雰囲気が作られる。
・政治家たちは、現場を訪れて感傷的なコメントで雰囲気を盛り上げる。合理的に良し・悪しを分け、再発防止のために必要な対策を立てることは後回しとなる。ただ哀悼し悲しい表情をしていなければならない
・韓国人は、生まれつきの国民性が哀悼と悲しみを愛するのだろうか。韓国人にとって死は常に悔しいだけのものなのか
・韓国人特有の被害者意識は、忍耐を知らない。感情を制御できず、2等国民たちの戦闘意欲はさらに拡散する
https://news.v.daum.net/v/20160604032203791
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国民を「一等、二等」と分けて書くのはあまり同意できないものの、事実、社会がそうなっているのは否定できません。
この「1と2しか無い構造」のせいで、韓国人の「敵意」は一点集中となります。
本ブログで書いてきた韓国人の民族情緒、「恨(ハン)」とも通じる内容です。「恨」は、「自分の正当なる権利を、不当な手段を使った誰かに奪われた」とする心理です。すなわち、自分の不遇な現状は「誰かのせい」であり、決して自分のせいではありません。自分が被害者として存在するためには、誰かを加害者にする必要があるのです。それは死んでも変わりません。前に、お墓の話をしながらちょっとだけ書きましたが、韓国人にとって、死はただ悔しいだけのものです。「死ぬ前に真実を語る」現象も、韓国人にはなかなか見当たりません。
1と2しか無いから、2の問題は1のせいなのです。恨のエネルギーが、一点集中となります。それを「2の戦闘意欲」と書いたのは、露骨すぎるけどなかなか的確なものだな、と思いました。
最近・・でもないかな、約10年前からだと思いますが、韓国のネットでよく見られる風潮ですが、韓国人は、「自己反省」を「自己卑下」としか見ていません。自己反省は自分の非を認めることであるため、その結果でもっとも得をするのは、加害者だというのです。悪いのは加害者なのに、被害者である自分が反省をしてしまうと、その分、加害者の罪が軽くなってしまう。加害者が免罪符を得てしまう、そういう理屈です。
ちょっと書き換えますと、韓国人の被害者意識は、「忍耐を知らない」のではなく、「忍耐してはいけない」のです。そんなことをすると、加害者が笑います。正義(?)が泣きます。
この考え方が、「戦闘意欲」をさらに高めているのは、言うまでもないでしょう。
毎日のように「日本は反省せよ」と騒いでいる国の、今日この頃であります。
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