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本エントリーのタイトルは、ソース記事「キム・ギルホの日本物語」のパクリです(笑
済州トゥデイというローカルメディアのコラムですが、全般的な内容は、ムン・ヒサン国会議長の発言など天皇陛下に関する韓国側の発言を「慎むべきだ」とするものです。「日本人にとって天皇(原文では日王)の権威は韓国人の想像を超えるものである」と。
ですが、そのコラムにもまた、私にとっては「権威とは違う内容」がいくつかありました。
(ここから「続きを読む」の後になります)
<・・しかし、日本の皇室のメディアの批判は「禁忌の中の禁忌」にして沈黙のタブーである。皇族一家に対するテレビでの尊称語は、未成年にも適用されて、時には違和感を感じさせる。皇族の不敬罪というものがなくても、不敬を犯す日本人はほとんどいないと言える。それだけ象徴的な日本の皇室の権威は絶対に近い・・>
http://www.ijejutoday.com/news/articleView.html?idxno=214919
テレビでまだ未成年の皇族の方々に尊称を使うのは、「権威」によるものでしょうか。うまく言えませんが、それは権威とか違和感とかを言い出すものではなく、もっと「当たり前のこと」ではないだろうか、な気がします。
皇族でなくても、未成年に尊称を使うときだってあるのでは?もちろんコラムでいう尊称とは違うでしょうけど、日本では、子供にも敬語を使うのが珍しくありません。
日本語を学ぶ韓国人なら、誰もが一度は驚いたはずです。先生が学生を「~さん」と呼ぶことに。
これは、日本と韓国の「敬語」の致命的な違いの一つです。強いて言うなら、日本語の敬語は、「守備範囲が広い」ですよ。決して垂直方向を強調するものではありません。
その「致命的な差」が、コラムの「権威」にも影響しているのではないか・・な気がします。
「尊」は、「権威」より広い範囲に存在するのではないか。むしろ「礼」または「愛(仁?)」に近い感覚ではないのか。一方通行なものではなく、双方向的なものではないのか。日本において皇室の存在もまた、そういうものではないのか。
長く日本に駐在したコラムの筆者が、皇室の方々への尊称に違和感を覚えたのか?むしろそのほうが違和感がある。日本に来て三年目の私も、違和感など無いのに。
そんな気がして、ちょこっと書いてみました。
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