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韓国では、元号を「年号」と言います。
前にも書いたことがありますが、韓国社会には(西暦以外では)そう広く使われる年号はありませんが、「~政権」という言葉だけは実によく出てきます。
テレビニュース、新聞記事、様々なメディアにて、「◯政権~」という言い方が溢れています。基本的には、「彼らのせいだ」にするための内容となります。心理的に、一つの政権を一つの「時代」だと考えているのかもしれません。
北朝鮮の場合はさらに露骨で、「主体(チュチェ)」という年号(元号)を使っています。
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金日成氏が生まれた1912年を主体元年にしますが、元号が作られたのがずいぶん後になってから(1997年から)です。当時の北朝鮮は食糧難で配給が急減するなど、人民の「精神」をコントロールする必要が高くなったからです。
ただ、一説にすぎませんが、主体元号は、韓国が、臨時政府の後継者であることを強調し、建国を1919年だと主張するようになったことと無関係ではない、という見方もあります。
北朝鮮は金日成氏の存在を「始祖」とすることを、国家のアイデンティティー、すなわち正統性としています。だから、韓国の正統性が1919年からなら、北朝鮮の正統性は1912年からだ、どうだまいったか!とする、ちょっとした対抗意識があったのではないか、というのです。
南北ともにあるものの、どちらかというと北朝鮮よりは韓国で愛されている、檀紀(ダンギ)というのもあります。元号とは違いますが、檀君神話という神話の中に出てくる話で、檀君(ダングン)という指導者が古朝鮮を建国した年から今までを一貫した年度表記にしたものです。今年が檀紀4352年だそうです。
これもまた、檀君を韓民族の始祖とする考え方です。臨時政府は韓民族(朝鮮民族)の歴史が本当に5000年に達すると信じていたので、檀紀は国家公式に使われていました。朴正煕氏が、クーデター後の1961年に廃止し、西暦表記を公式表記にしました。
韓国ではいまだ、「檀紀こそが正しい年度表記だ」とし、もっと利用すべきだとする意見が強く残っています。もちろん、「韓民族の歴史は5千年!」と誇らしげに話す人でも、「今年が檀紀何年かわかりますか?」という質問にちゃんと答えられる人はそういません。でも、少なくとも、檀紀に拒否感を示す人はそういません。「だって、始祖だから」ということです。
主体も始祖も、民族主義、特に「一つの民族で一つの国家」という偏屈な臨時政府式民族主義の発現ではないだろうかと、私は思っています。
一つの民族で一つの国家、それこそが民主主義である。それは臨時政府主席、金九氏の持論でもあります。
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