「制度的に民主化されても、直らないものがある」

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前は、韓国内でも「ウリ文化の問題」、「恨(ハン)の問題」などなど、右派か左派かに関係なく、日本も関係なく、韓国社会の「捨てるべき問題」、言わば真の積弊を何とかすべきだとの声が盛り上がっていました。シンシアリーとして書いてきた内容も、それらの声に助けられた面は、大きいです。ですが、残念ながら、最近、そういう資料を見つけるのは容易ではありません。

そんな中、2018年のもの、しかもローカルメディア、しかも初耳のサイト、ではありますが・・・久しぶりに左右関係なく、日本も関係ない、そんな問題提起記事を見つけました。最近の韓国では超レアもの記事です。以下、「大田トゥデイ」に載っている慶熙大学社会学部ソン・ジェリョン教授の寄稿文、部分引用して紹介します。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

<・・(※韓国の「上の人が下の人を苦しめる文化」のルーツを、資本主義から探ろうとする人たちもいる、という話の後に)しかし、歴史的にそれよりもはるかに深い。長く話すことはできないが、何よりも、その根は儒教の「等級付け」的な倫理規範に基づいた、形式・位階権威主義文化にある・・

・・文化的傾向は、深く浸透し、非常に強く作用するため、いくら経済が発展し、制度的に民主化が行われたとしても、その傾向と、その傾向への依存性は大して変わらない。この文化的傾向は、今日の韓国人たちが、なぜこれほどまでに権威と権力、すなわち力の優劣と序列、及びそれに関連する文化的資本の獲得に強迫的に執着しているのかの理由と背景を、教えてくれる。韓国学の研究者チェ・ボンヨンは、このような差別・位階文化の土台から、世界的に見てもユニークな尊・卑語システムが韓国社会で発展したと言う。

私たちはいつも「尊待(敬語を受ける立場)」か、「下待(卑下語を言われる立場)か」の極端な選択を強要されており、誰もが尊待されるため命をかけて、権力、出世、学歴、権威にぶら下がるというのだ。よって、私たちは、他人を自分と同等な人格として見ない傾向に慣れている。

知らず知らずに、私たちは、自分自身を自分より地位が低い他の人と区別し、私は下の者よりも優れていると示そうとする。差別の誇示を通じて、区別を作ろうとするのだ。すなわち、位階的に優れた「私」を証明し、それを堅持するために、地位の低い人たちを無視し、卑下し、罵り、時にはマクマル(※相手を激しく見下す低俗な言葉)を吐く。

 

社会学者キム・チャンホは、無視と軽蔑と嘲笑の文化が韓国人の日常を支配しているという点で、韓国社会を「侮蔑感の社会」と規定する。この侮蔑感の社会では、侮蔑されないためには侮蔑しなければならないという自己矛盾、「侮蔑の政治学」が日常的に動作する。どんな組織や集団、会など、軽重の差はあるものの、その侮蔑感をやり取りしながら生きて行くということだ。

甲乙(※上の立場の人が下の立場の人を苦しめる)横暴は、このような韓国社会の位階・差別文化の集合的傾向性を反映して現れたものだ。韓国人なら誰もが文化的傾向の力から自由にはなれない。しかし、社会の文化的傾向が容易に変わらないという点で、私たちの社会の「甲乙横暴の文化」もまた、そう簡単に消えるものではないという点を、知らなくてはならない。制度を変えれば無くなるようなものではないのだ・・>

http://www.daejeontoday.com/news/articleView.html?idxno=498904

いつだったか、「誰かを悪いと叫んでいるから私は悪くない」とする心理がある、と書いたことがありますが・・「善悪」を「上下」で考えると、同じことかもしれません。「善になる」こそ韓国社会では「上」の立場を堅持できるもっとも効率の良い手段ですから。

 

 

 

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61 Replies to “「制度的に民主化されても、直らないものがある」”

  1. >何よりも、その根は儒教の「等級付け」的な倫理規範に基づいた、
    >形式・位階権威主義文化にある

    >強迫的に執着しているのかの理由と背景を、教えてくれる。

    >韓国人なら誰もが文化的傾向の力から自由にはなれない。

    私も、韓国は儒教思想から脱すべきだと考えていますし、
    韓国が儒教思想によって大きく影響を受けているというのは、
    正しいと思っています。

    ただ、ちょっとこの記事を読んでいて気になったのが、
    この韓国人教授は、どうも儒教思想が今の韓国人をして、
    この「文化的傾向」に至らしめた、という、
    そういう解釈をしていそうなところです。

    私は、この点が、どうも納得できない。
    むしろ、「韓国人が韓国人だったからこそ」、
    現・韓国社会は、この「文化的傾向」に至ったのではないのか?と。

    本当に儒教思想が一国を浸透し、その思想の中に閉じ込めるほどの
    力を持っているのでしょうか?私にはそうは思えない。
    私は、韓国人がそう望んだからこそ、韓国社会はそうなっているのだと
    考えますね。

    (※長くなったので分割します↓)

    1. (※↑からの続きです)

      他の方のコメントでも書かれている例ですが、
      例えば、犬には犬の社会、猿には猿の社会があるように。
      それは、彼らの間で何らかの取り決めがあって成立しているものでは
      ありませんよね。それは、彼らの本能的な何かによって形作られるもの。

      犬がそこに居るから、そこに犬の社会が形作られるように。
      猿がそこに居るから、そこに猿の社会が形作られるように。
      韓国人がそこに居るから、そこに韓国社会は形作られている。

      韓国社会は、結局、韓国人一人一人が形作っているのものだし、
      この「文化的傾向」は「韓国人一人一人の傾向」の集合体だろうと。

      つまり、私がこの韓国人教授の解釈の納得いかない部分に対して
      指摘したいのは、韓国人一人一人の持つ特性・性質が自然と形作る社会に、
      儒教は「正当性の裏付け」を与えているに過ぎないのではないか、と。

      儒教が、韓国社会に浸透し支配することで、この「文化的傾向」が
      生まれた、というわけでは無く、韓国人が自然と形作る社会に対して、
      儒教は、韓国社会の「正しさ」の根拠(論理)として取り込まれているだけ
      なのではないか、ということです。

      結局、私がこのコメントで何を言いたいのかをまとめると、
      「現・韓国社会に蔓延する諸々の問題の根は、儒教思想にあるのではなく、
      韓国人一人一人の精神世界の後進性にこそある」のだと。

      1. 名無しさん(空蝉)さん

        私もそう言うことだろうと思います。
        韓国人の作る社会が、今の韓国社会を作っていると思います。
        今も、李氏朝鮮時代と似たような社会を作っていくのでしょう。

        儒教はその社会の在り方に、正当性を与えるものとして、利用しただけでしょう。
        儒教がなければ、他の思想を都合のよい解釈をして、利用すると思います。

        日本では、儒教が入ってきても、倫理道徳という側面を大事にしました。日本では、儀礼はそこまで重視されていません。
        五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することが目的で、人間の生き方、倫理という面が強いと思います。

        日本にはすでに神道思想があり、神道と儒教を一致させる神儒一致思想も生まれました。山崎闇斎の垂加神道などがそれです。

        また朱子学だけでなく、陽明学もさかんに研究され、陽明学は、吉田松陰、西郷隆盛などの明治維新の志士に大きな影響を与えています。

        韓国では、極端に儀礼の側面が重視されています。
        儒教では、年齢、性別、階級による対応の差があります。李氏朝鮮では、特に階級的な、差別的解釈が顕著な形で表れています。

        地位が高い(=徳の高い者と同一視)、上位者には逆らってはいけないとされました。
        両班など、官職や地位の高い者は、賤民・奴婢を自由に使うことができました。

        喪を何年間にするかというような、日本人から見れば些細なことに激論を交わし、議論に敗れた方は追放されるか、あるいは処刑されます。

        ここには、倫理道徳や人の生き方、他者を慈しむ、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を増やす、というような視点はないのです。

  2. なんとも・・・やり切れない話ですね。
    日本は自助意識の強い社会だが、いわゆる「武士の情け」、「判官贔屓」という思いもあり、敗者への鞭打ちをここまでする社会ではないです。
    韓国人のこういうどこまでも利己的な性質がどこから来るのか。脳内の神経伝達物質が世界基準とは違っているのかもですね。日本人の心根とはかけ離れています。
    やはり、韓国には違和感しかありませんね。

  3. 社会的に地位が高くなるほど、倫理に欠けた行動を取りやすい傾向にあるというのは、カリフォルニア大学バークレー校のポール・ピフ教授らの研究でも明らかになっています。

    ただ、欧米では、高い地位にはそれだけの責任が伴う、ノブレス・オブリージュの考えが社会通念としてあり、行動を抑制しています。
    日本も建前として、同じ行動原理が機能しています。
    韓国は一応の建前はありそうですが、剥き出しですよね。

    それより、以前は盛り上がっていた、左右も日本も関係ない、このような内省の声が、ほぼ消えてしまったことの方が問題かも。
    図書館の話しでも出ていましたが、韓国人は、言論の自由を投げ棄てることを、自ら選び取ってしまったということですから。

  4. まあこれだけではないと思うけどね。
    とある歴史書を読めば、儒教の問題以前から、他者に対する侮辱が好きだったように思えるけどね。はっきりとね。

  5. 「精神的に生まれ変わりなさい」とローマ教皇がおっしゃったことにも通じそうな「侮蔑感の社会」ですね。
    職人を尊敬できる社会になると、楽になるんだけれどね。

  6. 〇1:人と社会は、放っておけば万人の万人に対する闘争となる。
    それでは安心して暮らせないから、
    2:客観的事実というものは、互いに尊重すべきで、それでコトを決めよう、
    3:人はみんな違うが、互いに尊重し、一人一票としようよ、とする。

    〇そういう1,2,3の大前提の合意のもとに、
    社会的意思が生まれ、西欧型の民主主義・自由主義・法治主義が生まれた。日本もそれに乗った。

    〇南北朝鮮の民主主義・自由主義・法治主義がナンチャッテであるのは、上記1,2,3の合意がないからである。実態は万人の闘争であり、西欧型の民主主義なんてファッションの飾りに過ぎない。

    〇よって基礎から思想革命をしないとダメ、ってこと。脳がいかれてるんだから。

  7. かなり核心を突いた寄稿文ですね。
    ソン・ジェリョン教授ですか。覚えておいて損はないかも。

  8. 根の部分は緩やかにしか無理だからね。
    カーストはある意味でやりようの無いものなのではないかな。

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