天と道徳

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何の前触れもなく現れる、シンシアリーのブログ雑談スレです。いつものことですが、以下、「朝鮮半島の儒教」と範囲を絞って話を進めたいと思います Byレナパパ

※追記です・・本エントリーは、民俗信仰、東学思想、儒教思想がごちゃまぜになった「朝鮮半島の儒教思想」のことです。朝鮮半島の実際の儒教の主流だった朱子学などとは別の概念になります。ちなみに、朝鮮半島の朱子学は徹底的に無神論で、人も物も「気(ギ)」の構成が違うから全てに階級があり、それを認める名分論的秩序を守ることを「理(リ)」として尊重します。ちなみに、彼らにとって日本人は「物」でしたので、「理が人間とは違う(人間より下の存在)」でした。

 

儒教では、神を信じません。神という存在そのものを設定していません。人間が修行して目指すべきは『道徳を完璧に遂行する』ことであり、そのためには他人に情けをかける必要もなく、国家の法を守る必要もありません。道徳を実行する、すなわち徳を高めるというのは、法律のような強制的なものではなく、自分の自発的な良心に従うこと、常に誰かの手本になり、周りから羞恥をかかされないように行動すること、などなどです。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

儒教は、神のような、人間を超越した存在など無いとする、ある意味、徹底的に人間中心の世界観を持っています。死んだ人の霊も基本的には地上を彷徨います。来世観などもありません。長男がお金持ちになって先祖のための立派なお墓や祠堂を作ることが、最大の親孝行であり、それが死んだ親の霊に良い『家』になるので、それで幸せになれます。神ではなく「天」という概念を信じる側面はありますが、これは人間に内在している『徳』の根源であり、崇拝の対象ではありません。

ただ、これが身分の貴賤などで現実に現れることはあるとします。すなわち、貴賤の関係、「上下関係」をしっかりすることが、天と人間との正しい関係、言わば人間としての道理、道徳の一つの完成形です。なぜなら、「賤」なる存在、例えば身分の低い人は、徳そのものが足りないからこそ、そう生まれたからです。徳の低い存在が徳の高い存在に頭を下げるのは当然であり、だから、万物において上下関係をしっかりすることが、『天』の内なる声に従う道徳の表れである、というのです。

 

魔女を弾劾するのも、日本は悪いと言い続けることも、道徳です。手本にならないといけません。なぜなら、そこに同調しないことで自分自身が何かの損をする、またはバカにされるかもしれないからです。それは、羞恥です。そんなの、徳への道ではありません。世間の目は気になるけど、お天道様はどこにもいない、そんな世界観・・とでも言いましょうか。

この天という内なる声による道徳・・なんとなく、韓国社会の様々な問題点と繋がっている気がします。天というより、ただの「自」または「ウリ」にすぎないのかもしれません。

 

 

 

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