どちらが裁判なのか

ブログ表示に何か不具合があった場合、リロード、またはここをクリックしてください

 

去年12月、全斗煥氏の像を紹介したことがあります。その像が、光州広域市の旧全羅南道道庁建物前に登場しました。おもちゃのハンマー(ピコピコハンマー)がついていて、人々が像を殴ったりできるようになっているそうです。

画像キャプチャーのソース:ニュース1

https://news.v.daum.net/v/20200426115751488

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

さらに問題なのは、明日に予定されている全斗煥氏の裁判に合わせて、裁判所の前にこの像を移す、とのことでして。

<・・像をピコピコハンマーで殴った李氏(38)は、「82年生まれだから5・18民主化運動を直接経験したわけではないが、5・18を経験しなくても多くの国民が、全斗煥が悪い人だというのは、みんな知っている。40年が経ったが、まだ正常に5・18が明らかにされなかったのが本当に残念だ」と述べた。

 

小学校の教師イ・ヘジュン氏は、「5・18の40周年を迎え、私たちの子供たちが5・18を容易に理解できるように、脱出ゲームコンセプトのコンテンツを制作した。教科書だけでなく、このような像やコンテンツなどを介して、将来の世代の子供たちが5・18に関心を持って、記憶して欲しい」と語った。

5・18団体は、チョン氏が裁判に出席する27日、光州地方裁判所の前にひざまずいた全斗煥像を移設した後、全斗煥厳重処罰と5・18真相究明を要求するパフォーマンスを行う予定である・・>

https://news.v.daum.net/v/20200426115751488

 

心が曇っている私には、この像こそが韓国社会のメイン裁判で、明日の公式の裁判はサブにすぎない・・そう見えます。

どうしても繋げて考えてしまうのが、この前紹介した「2018年の改憲案」です。憲法改正案第28条第1項「すべての人は、憲法と法律に基づいて、裁判所の裁判を受ける権利を有する」。過去エントリーにも書きましたが、「『職業裁判官による』裁判」とは書いてないのが重要でして。過去エントリーのソース記事だった『未来韓国』は、「人民裁判みたいになる」としていました。

 

 

 

 著書関連のお知らせ ♨

本ブログの拙書のリンク(基本アマゾンリンクになります)は、アフィではありません。目次など紹介のつもりで載せていますので、よかったらお読みください。

・新刊「なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか(新書版)」が2020年3月1日発売です!借りたお金を返さない心理が、今の日韓関係とそっくりである点を考察してみました。

・新刊「文在寅政権の末路」が、2019年12月27日から発売中です(アマゾン発売日基準)!文在寅政権の現状は何なのか、どこへ向かっているのか、あくまで「私」という微力な一人の観点ではあるものの、日本の皆さんに紹介したいと思っている文在寅政権関連の話を、自分自身に率直に書きました。

・他のシンシアリーの拙著については、書籍紹介ページをご覧ください。

・シンシアリーはツイッターをやっています。他のSNSはいまのところやっていません。ほとんどが更新報告ですが、たまに旅行先の写真をツイートする時もあります。よかったらチェックしてみてください。https://twitter.com/sincereleeblog

↓「いわゆる」いいねボタン↓
  • いいね!(曇るね!) (128)

77 Replies to “どちらが裁判なのか”

  1. 朝鮮人は いつも なにかを 呪ってなければいけないのだろうか?

    銅像ばかり建てて 気持ちの 悪い民族だと思います。

  2. パヨクがなぜパヨクかっていえば、軍隊は悪、市民は正義!って馬鹿だからなんですよ。

    cieさんや八木さんをわたしがなぜ否定的に見るのかを、ここの書き込みでよく理解できるでしょう?

    テロリストが武器を奪って、市民が暴動を起こしたら、それを鎮圧するのは国家の義務です。無辜の国民を守るために。

    しかしこれらの人々は、軍隊は市民に銃を向けてはいけない。それは悪だからと唱える。これらのパヨクのほうがよっぽど悪でしょう。私に言わせれば。

    1. 七誌さん

      私は、近代国民国家は、社会契約の上に成り立っているという話しをしているのです。
      何度も書いていますが、善悪の話しなんて一切していません。
      あなた以外の人にも、ここまで伝わらないとは、思ってもみなかったので、ちょっと驚いてはいますが。

      >>テロリストが武器を奪って、市民が暴動を起こしたら、//

      って意味が分かりませんが、市民が暴動を起こして、「テロリスト」と認定されたら、その時点で「市民」ではなくなります。
      しかし、内乱罪 ( 国家反逆罪 ) が適用されるまでは、あくまでも「市民」です。

      それが「社会契約」です。

      内乱罪が適用されないうちは、国家の内側にある国民です。
      暴動を起こせば、警察が対応します。
      暴動が暴動では収まらず、国家転覆のための反乱と見做され、内乱罪が適用された時点で国家の外側の人間になります。
      そうして始めて、軍の出動を要請できるのです。

      これは「線引き」です。
      警察と軍は存立する目的も違えば、命令系統も違うのです。
      一緒くたにしては、絶対にいけないのです。
      全斗煥は、それが分からなかった。

      あなたのような市井の人間には、分からなくてもいい。
      でも、彼は為政者で、分かっていなければならなかった。

        1. アメリカでも、フランスでもイギリスでも、暴動が起きれば軍が投入されます。

          お花畑はパヨクの特色ですね。

          1. フランスで軍の投入ってあったっけ?
            国家憲兵隊までじゃない?
            軍と言えば軍ですが、警察組織の一部でもある。

            上は、さすがに言い過ぎましたが、原理原則としてはそうです。

            それに、暴動に軍が投入されるのは、最終手段です。
            武装警察や機動隊でも、手に負えないと判断された時、検討されるものです。
            日本ほど過敏ではないにしても、慎重に検討されての投入です。

            当たり前ですが、善悪では判断されるものではありません。

          2. 軍が投入されるときは、
            「軍」に「警察としての権限を付与」するのです。
            あくまでも、立場は「警察」なんですよ。

  3. 悪人の像をぶん殴るのに「ピコハン」・・・。
    何かのジョークなのか?
    志村けんに哀悼の意を表して?
    やるならやるで、もっと真面目にやりやがれ。

コメントは受け付けていません。