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W杯ベスト4のときも、韓流のときも、キム・ヨナのときもそうでしたが、韓国人は国内外かまわず、世界(世の中)をいくつかの「点」で見る悪いクセがあります。気に入らない現実を『◯◯さえいなかったら』『私にも◯◯さえあったなら』という、恨みの民族情緒(恨、ハン)で分析しようとする考え方が、その背景にあるのかもしれません。それとも、ただ、いくつかの点だけで考えたほうが、いろいろ便利だから、かもしれません。
今回のK防疫でも、同じことが起きています。『韓国はもう先進国だ』と思っている人が大幅に増えたことがわかりました。
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以下、KBSの「K-防疫がもたらした自負心、『韓国はすでに先進国』」という記事から、部分引用します。
世界が驚いたK-防疫の成果は、私たちの中の考えまで変えました。もう慣れてしまった言葉があります。「韓国は希望がないヘル朝鮮社会」。本当にそうでしょうか?「そうではない」との回答が、70%に迫ります。コロナ19前の1年前と比較してみると、2倍近く増えた数値です。
感染症の流行の手続きで、私たちの社会が一層より団結している指標も確認することができます。「国の自負心」の側面を見てみましょう。韓国の国家能力が海外先進国よりも高いと評価しました。市民の能力を見ると、他の先進国との格差がさらに広がっています。それだけ、みんなでコロナ19を耐えている隣人の力を信じているという意味です・・>
https://news.v.daum.net/v/20200519214554035
この記事は、これでも結構おとなしい表現です。エントリーの最初に書いたいくつかの事例、W杯とかキム・ヨナとか、それらはもはやほぼ過去形ですが・・それらによって、韓国が『もう手に入れたんだ!』と喜んでいたもの、もっとも一言で集約させるなら『先進国の仲間入り』は、実現したのでしょうか。
私がもっともはっきり覚えているのは、それから大統領が自殺したり逮捕されたり弾劾されたりしたこと、そしてそれを「民主主義の勝利だ。大統領が悪い。私たちには何の責任もない」と騒いでいた国民の姿だけです。
韓国にとって「私は偉い」は、「相手は劣っている」を前提にするもの。今回の先進国騒ぎがまたどのような副作用をもたらすのか、気になるところです。対外的にもそうですが、対内的にもそうです。口では「みんなで~」とか言いつつ、現実と理想のギャップを弱者へのヘイトに使うことが多いのが韓国社会です。ヘイトの対象は「みんな」の範囲に含まれないからです。今回の性的少数者差別もそうでした(韓国ではそのヘイトが言語システムを大いに歪ませており、それが新刊『日本の行間』の重要なテーマの一つにもなっています)。
世の中をいくつかの点で見ても、あまり建設的な結果にはなりません。一喜一憂するようになり、結局は自分自身が疲れてしまいます。その疲れがまた弱者へのヘイトになることも多いです。必要なのは、世の中から見て自分自身こそが一つの点にすぎないという考え方かもしれません。そのとき初めて、「みんなで」という言葉の価値が分かるようになるでしょう。それに気づく時、点は線になれ、線は面になれ、面は立体になれるでしょう。「おとなになる」とも言います。
今回の鈴置高史さんのコラムも先進国関連ですので、よろしければ合わせてお読みください(デイリー新潮への外部リンクとなります)。
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本ブログの拙書のリンク(基本アマゾンリンクになります)は、アフィではありません。目次など紹介のつもりで載せていますので、よかったらお読みください。
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・他のシンシアリーの拙著については、書籍紹介ページをご覧ください。
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