『何も変わらない。上と下が入れ替わるだけ』シリーズです(そんなシリーズあったっけ)。
前にも少し触れたことがありますが、一民主義というものがあります。いまはほとんど耳にしなくなりましたが、その考えは、いまでも韓国社会に根強く残っています。
韓国の初代大統領李承晩氏が主張したこの一民主義は、『1つになったものだけが生き残る。2つになったものは生き残れない。1つになるものこそが真の民主主義だ』とする主張です。最初は李承晩氏の政党の党是でした。李承晩氏の政党とは一般的に「自由党」が有名ですが、当時から韓国の政党は分裂、統合、改名が多く、自由党の前に「大韓国民党」がありました。初めて一民主義を言い出したのは大韓国民党の頃になります。
党是で始まった一民主義は、やがて『一民主義の普及こそが李承晩様への忠誠の証だ』という流れになり、国是モドキになります。理屈は簡単です。一民主義に反対するやつは共産主義者だからです。本当に共産主義者『なのかどうか』はどうでもよく、共産主義者『ということにする』のが重要でした。短命ではあったものの、韓国が出来てからしばらくは、もちろん「反共」も「反日」もあったけれども、実はもう一つの国是があったとも言えます。
李承晩氏が主張する「1つ」とは何か。共産主義は富裕な人たちを引きずり下ろして平等を実現するものだけど、一民主義は貧しい人たちを富裕にすることで平等を実現するものです。貧富の差もなく、男女の差もなく、全てが『1つ』たる平等を実現すると言います。民族も百姓(国民)も1つであり、1つであるべきで、そうでないと生き残れないというのです。一民主義は4大政綱を実現するために絶対に必要だ、と李承晩氏は主張しました。南北の統一、貧富格差の解消、男女平等、地域感情を無くすことです(具体案は何一つ提示されていません)。そして、それこそがエブリバディハッピーになれるから、真の民主主義である、と。
李承晩氏のライバルだった金九氏も、『1つの国が1つの民族で構成され、その国(民族)がそれぞれ、各自頑張ることこそが、真の民主主義だ』と主張していました。
すでにこの時点で、李承晩氏も金九氏も、民主主義が持つ『多様性』を認めていないのが分かります。なぜでしょうか。それは、彼らにとって民主主義とは『自分にとって一番良い世界』を築くための名分にすぎなかったからです。これもまた、民主主義なのかどうかはどうでもよく、民主主義ということにするのが重要だったわけです。
彼らの「一番良い世界」、強いて言うなら彼らの人類補完計画は何だったのか。李承晩氏の「一民」と金九氏の「1つの民族」は実は同じ意味で、「『ウリ』だけで構成された世界」のことです。
その極端な事例を1つだけ紹介しますと、一民主義は、なんと政党まで「1つ」でないといけないと主張しています。以下、1949年4月23日の京郷新聞から、『一民主義精神と民族運動』という李承晩氏の演説内容を引用してみます。
<・・今は各国が混ざりあって生きる時代であり、私たちの友(※国)もあるけど、そうでない人たちも混ざって生きることになっています。こんな中、私たちが紛争して喧嘩ばかりしていると、良い機会を全部無くし、共同の福利の根源は何一つ発展できず、きっとウリナラとウリの利益を奪おうとする他の国が漁夫の利を得ることになるでしょう。これは誰もすぐ気づくことであります。だからこそ、いかなる個人も団体も、自分たちだけ盛り上がって、自分たちの利益や権利を謀ろうとする意図を示すなら、どこに住んでいる人だろうと全国の民衆が全員で声討して(※大声で非難して)、そんな意図に居場所を与えないようにしないといけません。ただ、互いを信じ、互いを推尊することで、3千万の共同利益を図らないといけません。このように4大政綱を合わせて『一民主義』とし、この主義で1つの政党を作り、その政党の力で実施しようとしましたが、一民主義を表明してからもまだまだ一民主義に相応しい行動が見えず、ただ政党という組織だけを重要視し、各種名義で団体を作り、その団体の基本となる主義は、何であれ『党派』的な思想が強く、お互いに疑いや争いだけを巻き起こしています。だから私たちは政党主義をやめ、一民主義だけを発展させて、全ての同胞が一民主義を徹底的に理解し実践することで、3千万の幸福を共に作っていく精神と決心を確固たるものにしましょう・・>
この後、一民主義普及会など様々な団体が作られ、社会各分野が『私たちがもっと一民主義に従っています』を主張することになります。大韓青年団、護国軍、民保団など、『一民主義に反対するやつらを潰す』ための団体も増え、後に李承晩氏がカンペ(暴力団員)を動員して国会を支配する流れを支えることになります。
成均館大学の史学科教授ソ・ジュンソク氏は、李承晩氏が目指していた国家を『頭領国家』と指摘します。個人的に、ソ教授の主張には同意できないのも多いですが、この頭領国家という言葉は実に適切なものだと思います。なぜなら、この一民主義が、何かの「法律」なのかというと、そうではありません。あくまで李承晩氏、その支持者、仕方なく頭を下げていた人たちの間の、『彼らだけのルール』でした。李承晩氏が欲しがっていたのは、憲法の守護者たる大統領ではなく、自分勝手な『頭領』だったとも言えましょう。
今の韓国は、さすがに李承晩氏の頃に比べると、暴力により支配は弱くなったと言えます。しかし、一民主義は『新日清算』『反日思想』にその名を変え、いまでも『1つ』を強要しています。そして、その制裁は、決して法律に刻まれているものではありません。見方にもよりますが、一民主義は、韓国の『文化的制裁』の原点だったのかもしれません。李承晩氏も金九氏も、朴正煕氏も金大中氏も、朴槿恵氏も文在寅氏も、彼らだけの『文化的制裁』を続けただけです。頭領になるために。
今日、次の更新が大幅に遅くなると思われます。とてもミアン・・・じゃなく、本当に申し訳ありません。
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