光復会でも内ゲバが発生したようです。もともと光復会というのは独立有功者として国家から褒賞または叙勲などを受け取った人、またはその遺族で構成されています。最近、数々の反日運動で韓国の『有力人士』としての確固たる地位を得たキム・ウォンウン会長も、親が光復軍(臨時政府が正規軍だと主張している団体)の一員として褒賞を受けたので、この団体の会長になれました。ですが、『どう見ても、キム会長の親は光復軍ではない』という疑惑が提起され、ついに光復会内部の反・会長勢力が、大統領府の国民請願にこの件を投稿しました。どういうことなのか、ちょっとわかりづらいので、記事を再構成してみます。ソースは中央日報です。
・キム会長の親が朝鮮義烈団や光復軍で活動したというが、根拠がまったく無い。隣友保証(知り合いの証言による)だけで政府から褒賞を受けた
※韓国は、「光復軍や独立運動家の数が少なすぎる」ことでずっと悩んできました。一部の親日派以外は全員が日帝と戦ったという設定に合わせるには、どうしても数を増やす必要がありました。結局、1960年代には「白紙(誰でも独立運動したと申請できる)」な書類などが配られ、あとになってから「4割の独立有功者が偽物の可能性がある」という話まで出てきました。この件は過去エントリーを参考にしてください。キム会長の父親が表彰されたのは1963年で、時系列的にぴったり合っています。
・光復会内部からキム会長に説明を要求したが、返事はもらえなかった。この問題に関して、政府の担当機関となる「報勲処」は、「◯◯(キム会長のお父さん)が光復軍にいた」と書かれたいくつかの資料を証拠として提示しているが、それらの資料は口頭による話を記録したものにすぎず、学界からも検証されていないもの。それに、それらの資料は1969年に書かれたもので、1963年の表彰の根拠にはなれない
・臨時政府が1945年12月に書いた「臨時政府職員・家族・重慶の僑民(現地の朝鮮人住民)リスト」にはキム会長の親の名前が載っている。光復軍だったなら、このリストに名前が載っているはずがない
※これもちょっと説明が必要でしょう。当時、臨時政府は重慶にありました。ここでいうリストとは、現地の臨時政府の職員やその家族、僑民(朝鮮人)の帰国便のために作ったものです。光復軍は中国軍に属していたため(※原文では『中国軍の支援を得ていた』ですが)、帰国するかどうかなど自分で決めることができず、臨時政府が帰国便に関わることもありませんでした。もしキム会長の親が光復軍だったなら、このリストに名前は載っているはずがない、という意味です。ちなみに、このリストに名前があったからといって独立運動をしたという意味でもありません。記事の画像を見ると、単に名前と年齢、性別が書いてあるだけです
・キム会長は『政府が褒賞したから、政府が調べるべきだ』としている
個人的に気になったのは、「リスト」のソース記事原文のことですが・・朝鮮人のはずのキム会長の親が、二人揃って仮名(中国人の名前)を使っています。現地では中国人のふりをしていたのでしょうか。
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