顕忠院(国立墓地、本件は大田という地域のものです)には故ペク・ソンヨプ将軍の墓を案内する道案内標識がありました。大したものではなく、矢印のような鉄製の標識です。ですが、親日精算を要求する市民団体のデモ1回で、顕忠院側は案内標識をすぐに撤去、廃棄しました。以下、朝鮮日報の記事から部分引用してみます。
<<国立大田顕忠院境内にあった、故ペク・ソンヨブ(1920〜2020)将軍の墓の案内板が、いくつかの親・与党団体の抗議で撤去された。
7日、国家報勲処と対戦顕忠院などよると、5日、『民族問題研究所』支部の会員20人余りが大田顕忠院の将軍第2墓地に埋葬されたペク将軍墓のすぐ前で集会を開き、ペク将軍の墓を(国立墓地の外に)移せと主張した。それと共に顕忠院駐車場将軍第2墓地に設置された「故ペク・ソンヨブ将軍墓」の案内板も撤去するよう要求した・・
・・民族問題研究所のメンバーはたちは、国立大田顕忠院で、故チョ・ムンギ愛国志士13周忌追悼式を終えて、すぐにペク将軍の墓地に向かった。彼らは「陸軍大将ペク・ソンヨブの墓」と書かれた墓石の前で「反民族行為者ペク・ソンヨブの墓を国立墓地から移せ」と書かれた大きな懸垂幕を振ってデモを行った。
彼らは顕忠院関係者に「なぜペク将軍だけ案内板があるのか」「個人墓地かここは」と後ろ指をして大声を上げた。「独立運動家を叩き潰したやろうだ」という声も聞かれた。ある参加者は、ペク将軍墓石の前で「独立運動家たちを討伐していた満州士官学校出身」と言った。参加者は、白将軍を「反民族行為者」と呼ばながら「墓を移せ」「国立墓地法を改正せよ」などのスローガンを叫んで腕を振った。民族問題研究所は親日人名辞典編纂など、いわゆる「親日清算」の活動をしている団体で、昨年7月にペク将軍が顕忠院に埋葬されることも反対デモを行った。
騒ぎが続いたが、顕忠院は彼らを阻止せず、要求どおりペク将軍案内板を撤去した。現行の国立墓地法は「誰でも国立墓地の敷地では、国立墓地の尊厳を害するおそれがある行為をしてはいけない」と規定している。しかし、顕忠院は「当時、職員20人余りが状況を観察したが、国立墓地の尊厳を損なわない範囲であると判断した」と話した・・>>
チョ・ムンギ愛国志士というのが誰なのかというと、1945年京城府民館事件の爆弾テロ犯です。前に本ブログで紹介したことがありますが、韓国では武力闘争(ただのテロ)を中心活動としていた「義烈団」などが注目を浴びています。チョ・ムンギも義烈団のメンバーでした。戦後には韓国側だけでの総選挙を拒否、『人民青年団』を組織して李承晩大統領の暗殺を計画するなど、明らかに親北なスタンスを見せましたが、左派政府(盧武鉉政府)の頃から抗日闘士として名を上げ、親日派名簿の作成などに参加しました。
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