韓国、江原道のジョンソンという地域にある神社の跡に断罪碑を設置しました。いまは何も残ってない跡ではありますが、記事の中に気になる内容があったので、紹介します。聯合ニュースです。
<<ジョンソン平和の少女像(※慰安婦像)建設推進委員会が3・1節102周年を迎え、江原ジョンソンウプ・ボンヤンリ飛鳳山(ビボンサン)に日帝神社断罪碑を立てた。断罪碑が建てられたのは、日本の神社の跡だ。推進委員会は、飛鳳山の日本の神社は1945年8月15日まで存在したと説明した。ジョンソン郡は、日本の神社があった場所に、1970年5月31日に忠魂塔を立てたが、忠魂塔は2006年6月ジョンソンウプ・シンウォルリに移転した。日本の神社の断罪碑の除幕式は3月1日午前11時、現場で行われる。
カン・ギフイ建設推進委員会代表は25日、「ジョンソンの神山である飛鳳山の脈を切断し、神社を建てた日本の破廉恥さと暴挙に怒り、このような歴史的事実を忘れないために市民の意を集めて断罪碑を建設した」と語った・・>>
詳しく何が書いてあるのかは読めませんが、鳥居のような形をしたものになっています。
なんで1970年代に、神社の跡に忠魂塔(戦争で死んだ人たちを記憶するための塔)を作ったのだろう、とちょっと疑問でした。70年代なら、朝鮮戦争のことでしょう。もう少し調べてみたら、ここにあった神社は、『戦争で死んだ人たちのための神社』だったとのことです。ひょっとして、『ここは戦争で死んだ人たちを追悼する場所だ』という認識が1970年代まで残っていたのではないでしょうか。
そして、その地域に行ってきた人の個人ブログで読んだ話ですが、この神社が『厳』氏の始祖の墓より下の方に存在することも分かりました。始祖の墓はずっと前からあったものだから、もし、「山の脈を切断(いわゆる気を断つ、とかそんなものです)」する目的で神社を建てたのなら、なんで墓を避けて作ったのでしょうか。普通、朝鮮半島では、ミョンダン(明堂)といって、先祖の墓は風水的に良い場所を選びます。オム(厳)氏の始祖の墓なら、風水的にすごく良いところを選んでいるはずです。そういうの凄く気にしますから。韓国人は。脈を断つなら、そんな場所がよかったのでは。
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