コーチ(故人)についてきて韓国に帰化したケニアのマラソン選手、「オ・ジュハン」。コーチの苗字である呉(オ)氏の、走韓(ジュハン)。韓国のために走りたいという意志の名前です。帰化前の名前はWilson Loyanae Erupe。
「ケニア出身のオジュハン選手は、去る5月死去したオ・チャンソク コーチの助けで帰化しました。自分を韓国に導いたオ・チャンソクコーチの苗字を取った韓国のために走るという意味で、走韓という名前を選択しました(JTBCより)」。
そのオジュハン選手、今朝のマラソンのとき、まだ詳しくは分かっていませんが足の太ももが原因で、明らかにちゃんと走ることができなくなり、棄権となりました。その際、MBC(またか)の解説者が、「私はね、あの選手がメダルを取るといつも言っていたんですよ。まったく冷水を浴びせてくれるものですな、冷水を!」と、ニュアンスからして暴言を浴びせました。
<<「完全に冷たい水を浴びせてくれますな、冷たい水を!」東京オリンピック最終日の8日、男子マラソンに出場したオジュハン選手が途中放棄すると、MBC解説委員は、中継放送でこう言った。オ選手は13.5km地点で左の太ももに痛みを感じたようで、ちゃんと走れなくなり、先頭グループから遅れ始めた。再び走り出したが、結局、耐えられなかった。今回の五輪は猛暑で、多くの選手が試合中に倒れた。日本の朝日新聞は、「湿度が80%に達したこの日男子マラソン競技で106人の選手のうち30人が中途放棄した」と伝えた。
(※他の記事でも共通して「左の太もも」の問題を指摘しており、暑さのせいで棄権したとは思えません。後で記事をリンクしますが、彼はオリンピック前までケニアで訓練していました。暑さに負けたとは思えません。というか、この記事も『左の太ももの痛み』と書いたばかりなのに何でこんな内容が出てくるのか分かりません)
オ選手の状態を心配したり、負傷にも最善を尽くしたと評価することもできたのに、解説委員の考えは違った。 「ああ、こんなことって。私はね、オジュハン選手が、今回のオリンピックで李鳳柱選手の銀メダル、黄永祚の金メダルに続きまたメダルを取るだろうとね、私は自信満々に断言していたんですよ」と・・(中央日報より)>>
オジュハン選手は、なぜか韓国では訓練せず、8月に訪日するまでケニアにいました。ケニアのほうが訓練に向いていたからか、それとも何か別の理由でもあったのかは分かりません。
4月2日東亜日報のインタビューで、彼はこう話しました。「ケニアでは韓国、米国などの先進国に帰化することを光栄に思っている。良い成績を出せば帰化した国に報いるをすることができ、より熱心にならずにはいられない」。不幸中の幸い、ネットコミュニティーなどでは彼を擁護し、MBCを叩いているようですが・・結局、韓国が彼に期待していたのはメダル。今回の失敗が、彼の人生を狂わせないといいのですが。
しかし、「またお前か」と思いました。MBC、これはこれで凄いですね。思わしくない意味で、ですが。
もうすぐ、オリンピックは閉会式です。選手団および関連者の方々、お疲れさまでした。いろいろよかったけど、やはり、倒れても笑顔で立ち直るスケボー少女たちの笑顔が印象的でした。あんな笑顔を人に見せられる人間になりたい、と願うばかりです。そして、もう24日からはパラリンピックが始まります。『頑張れ』。人類とともに続いてきたこの言葉が、また私たちから発せられ、誰かを回って、私たちに返ってくることを信じて、そんな『頑張れ』を贈りたいと思います。
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