名前を変えないことにしました(急になんのこっちゃ)

大統領選挙だ うわあぁぁ(話題性)・・なネタももう終わったので、雑記でも書いてみたいと思います。

『いつ』やったのかはさすがに書けませんが、先月、韓国領事館に訪れ、家族関係でいろいろ書類を用意しました。帰化のために必要で、ここでしか取れません。ですが、なぜか父と母の住民登録番号が出てこないのですよ。韓国人にとって住民登録番号は、『その人そのもの』です。様々なデータと紐付けされていて、各種書類の発給にはもちろんのこと、その番号が無いと、その人は韓国社会では、少なくとも国民としては存在できません。

他の家族のデータは住民登録番号の一部(最初の部分は生年月日なので、家族関連書類では普通に表示されます)が書いてあるのに、なんで父と母のものだけ表記が無く、空欄になっているのだろう。気になってちょっと聞いてみました。すると、他界してから一定の期間が経つと、住民登録番号そのものが抹消処理されるので、住民登録番号及び存在しなくなる、とのことです。だから、私の名義で家族関係証明書などを出すことはできるけど、父と母の名義で出すことはできない、なぜならもう住民登録番号も無いし、家族関係証明そのものが成立しないから、だというのです。

納得できる説明でした。二人共にもう随分前に『帰られ』ましたし、亡くなった方の住民登録番号をそのままにしておくと、悪用される恐れもあるでしょう。住民登録番号は生年月日が使われるので、同じ番号を後に生まれた誰かが使う、などのことはありません。だから、例え父と母の住民登録番号を私たちが記憶していても、その番号はもう存在しません。いわば、欠番になっています。

そこで、ハッと思いついたことがあります。本当に恥ずかしい話ですが、父と母の住民登録番号が、分かりません。普通、子が親の住民登録番号を覚えていないといけないとか、そんな決まりはありません。子にだって、住民登録番号を話すことはほとんど無いでしょう。でも、妙な気分でした。家に帰ってきて、いろいろ探してみたら、古いノートに書いてありました。そして、さらに、妙な気分になりました。「もう、無いんだな。この番号は」。

 

そんなつもりは一切なかったけど、私は父と母をもっと覚えているべきではないだろうか。そんな気がしました。知らなかっただけだけど、もうこんなに時間が経ってしまって、公式には『無い』になった父と母。父と母から授かったものは、あまりにも多く、感謝の言葉もございません。でも、私は本当にそれに感謝しているのか。ちゃんと覚えていようと、これからも覚え続けようとしているのか。なんか、親不孝をしているような気がしました。

前から書いてきたことですが、私にとって帰化は、日本との養子縁組のようなものです。日本で生まれたわけではないけど、日本で死にたい。日本を悪く言う国で生まれ育ったけど、それでも日本が好きになったし、これからもっと好きになりたい。嫌いなものを切り捨てるために日本人になるわけではない。そもそも、そんな人がいるなら、私はその人が許せない。日本は自国嫌いな人が逃げ込むための場所ではない。好きなものをもっと好きになりたいから日本人になる。それは私の帰化観です。それは、『いままでの私』がいるからこそ可能な観点であり、いままでの自分を嫌い、否定するようでは、決して成立もしないだろうし、嘘になるし、むしろ日本に大きな迷惑をかける結果になるでしょう。

そこで、『今までの私を受け継ぐ』ことを、『だからこそ発展させていく』ことを、自分自身にもう少ししっかり刻みたいと思い、あることを決心しました。それは、名前を変えないことです。本当は、名前を変えないというのは「普通のことじゃないのか?」と言われても仕方ないことですが・・実はこれ、結構前から悩んでいたことです。日本に来てから、今の名前のままで、何か不利益などまったくありませんでした。私の自分勝手な悩みです。「いっそのこと、完全に名前も変えてしまって、ある種の『線』を引いておこうか」と。でも、結局、名前は変えないことにしました(帰化申請の際に、名前の変更も申し込むことができます)。

雑記にしても本当に面白味のない内容ですが、ちょうど今日、父と母の住民登録番号を新しく記録し、帰られた日も一緒に記録し、引き出しの中に入れておきました。そうしていたら、妙にセンチメンタルになって。二人共かなり開放的な人だったし、『いつかかならず役に立つ』と日本語を教えてくれたのも、母です(併合時代に小学生でした)。二人が帰化に反対しただろうとは、思えません。ただ、そんな二人だからこそ、受け継いだことをありのままに生きていきたいと思います。『日本人』として、韓国人の親から授かった名前を使いながら。

 

 

♨ 以下、お知らせ・ 拙著のご紹介などです
本エントリーにコメントをされる方、またはコメントを読まれる方は、こちらのコメントページをご利用ください また、以下、拙著の紹介において『本の題の部分』はアマゾン・アソシエイトですので、ご注意ください

新刊卑日(扶桑社新書)>が発売中(2022年3月2日)です。韓国に蔓延する、新しい、そして歪んだ対日観、『卑日』について考察した内容です。最近、韓国で流行っている『地位』『国格』などの言葉と、その裏の意味。K防疫や終戦宣言なども含め、なぜ今韓国に『卑』が必要なのかを考察、率直に書きました。ぜひ、ご一読を!

准新刊<文在寅政権最後の暴走>が発売中です文政権においての日韓関係とは。文政権の考える『まともな国』とは。まともな南北、対日、対米、対中関係とは。それらはどういうもので、どう失敗したのか。そんな内容の本です。既刊として、自分なりの『日本語』本<日本語の行間~韓国人による日韓比較論 (扶桑社新書) >も発売中です。他の拙著については別ページにまとめました

サブブログに議論エントリー(1~3)と雑談エントリーを用意しました。長くなりそうな話にはサブを利用してください。シンシアリーはツイッターを利用しています。99%更新告知ですが、たまに旅行先の写真とか載せますので、よかったら覗いてみてください。本ブログのプライバシーポリシーはこちらになります