なぜ「強者への事大」と「弱者への共感」がここまで共存できるのか・・1976年の記事から見えてくる、いくつかのヒントについて

不安定な存在ほど、両極端な二つの心理が同時に存在しています。「ジキル博士とハイド氏」のようなものですね。一例として(これだけでもありませんが)、韓国には「事大心理と弱者心理」が共存しています。誰かに事大し、「強者の『ウリ』」となり、弱者を苦しめる問題は前から指摘されてきました。いまでも「甲乙(ガブル)問題」として、大きな問題とされています。

ですが、同時に、とにかく弱者の味方をする、弱者に必要以上の権利を与えようとする風潮もあります。これについては幾つかの呼び方がありますが、本エントリーでは『弱者心理』にしました。自分自身を弱者だと思っているため、弱者に対する共感が異常なほど強く、ルールを破ってまで味方するという意味です。セウォル号沈没事故などで『弱者』に反感を持つようになった人たちもいますが、そんな場合に、この『弱者心理』という言葉をあまり思わしくない意味で使ったりします。日本に帰化した人類学者 金文学氏が、『弱者の言うことは何でもOK』とする韓国社会の問題点を指摘する本で使った用語です。

少し、時間を遡ってみましょう。1976年10月9日朝鮮日報の『弱者の味方ばかりする』という題の記事によると、韓国でよく使われる固有語『イェプダ(綺麗だ、美しい)』は、実は「憐れに思う」の意味です。ハングルを初めて作ったときに世宗(セジョン)王が発表した「訓民正音」によると、民は幼くて(愚かで)自分の考えをちゃんと広げることができないので、民を『オヨピヨギョ(憐れに思い)』、ハングルを作ったとなっています。そのオヨピの部分がイェプダと同じ言葉であり(イェプダはオヨプダの変形です)、もともと韓国語の「きれいだ」は、「憐れに思う」と同じ意味である、というのです。

日本でも『可憐さ』を綺麗だと感じる場合がありますが、基本的には、美しい、(掃除など)汚れていない、不必要なものが無くちゃんと整頓されているもの、そんな広い場合に『きれいだ』と表現します。多分、人から感じられる『綺麗だ』も、根は同じものでありましょう。こういう部分でも日韓の差が見えてくるところであります。韓国語のイェプダは、「かわいい」という意味で使われることはありますが、美しいという意味以外はこれといってありません。

じゃ、なんで「憐れだ」と「綺麗だ」にここまで接点が強くなったのか。それは、古くから『私は憐れだ』と思う人が多すぎで、共感帯ができたからです。記事はこう書いています。「他人から配慮を受けること、受動的なこと、他人が『人情』を施してくれるまでじっと松のが、弱体ならではの美である。憐れだという言葉が綺麗だ(※美しいという意味)に進化した過程は、実に韓国的なものであろう。自分を弱者だとし、弱者の味方をし、弱者に共感したがらう意識構造の結果ではないだろうか」。いわゆる『恨(ハン)』なども、自分自身を被害者とすることで成立するものです。じゃ誰のせいで被害者になったのか、それが不確かで、理屈的に問題がある場合が多いから困ったものですが。

それがまた、弱者心理の共感を強めた一因かもしれません。これはエンターテイメントでも同じで、記事は、「朝鮮時代の小説から最近のテレビドラマまで、弱者にさらに不幸なことが起きるようにして、視聴者の弱者心理を共感させるものが多い」、「豊かな人と貧しい人の葛藤、庶民の悲しみ、そんなものばかりだ」、「これもまた、弱者心理に迎合しないと人気が維持できないと分かっているからであろう」としています。

 

しかし、話を戻しますと、じゃ、そんな人たちが暮らす社会で、なんでこんなに『甲乙問題』が騒ぎになっているのか。甲乙といっても、実際に甲として横暴なことをするのは、甲そのものではありません。甲の『ウリ』です。財閥本人がバカをやることもありますが(笑)、殆どは、その財閥本人のウリとしてずっと一緒にいたいと思っている人たちが、良い実績を示すために甲乙問題を起こす、そんなパターンがほとんどです。別に外交まで持ち出さなくても、こういうのを事大心理だとすると、どうやって一つの社会に事大心理と弱者心理が共存できるのでしょうか。

それは、自分を弱者とすること自体が、強者の部下として存在したいという願いからも強く繋がっているからです。言わば、この前もちょっと紹介したことがありますが、『ウンソク(甘え)』です。だから、決して『自分が何かの損をしてまで』弱者と連帯しようとはしません。あくまで共『感』だけです。ここからは引用してみます。<<~>>が引用部分となります。引用部分にソ(小)イン(人)という言葉が出てきますが、これはデイン(大人)、すなわち「器が大きく徳のある人」の反対の意味になります。大人(デイン)は身分や職位の高い人に対し、よく使いました。多分、中国由来の表現だと思われます。

 

<<・・李瀷(イ・イク、朝鮮時代の学者)は、朝鮮の民は自分自身のことをよく『ソイン』と言うが、これは、自分を『デイン』に服属させたがっているからだ、と説明した。官僚、上司、大金持ちのような強者の味方の範囲から外されず、その懐に潜り込もうとするわけだ。その範囲の中に入れなかった場合、生存そのものが危うくなる。李退溪(イトェギェ、朝鮮時代の学者で、1000ウォン札の人です)もまた自分の経験談として、このような話をした。『オ』氏の男がいた。その人は、いつも自分自身のことを『ソイン』ではなく『私』と言った。そのせいで周りから嫌われてしまい、町から追い出された。町から離れたところで住んだが、遺体になってしばらく経っても誰も気づかなかったという。オ氏は、自分をソインと呼ぶ意識体制に抗ったが、そのせいでアウトサイダーとされ、孤独に亡くなるしかなかったのだ・・>>

もっとひねくれた見方をすれば、『弱者を道具とする(それ自体で強者になれる)』と思う人たちが出てきたのも、不思議ではないかもしれません。ユン・ミヒャン氏とか、特にそうですね。

 

 

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