民族とは何か(また急になんのこっちゃ)その2

無駄に長い雑記、なんとその2です。 私が考えるべきことは、二つありました。まず、親のことで気づいたとおり、『私』という人間の連続性です。韓国人「だった」部分を消し去って、日本人「になる」ようにするのが帰化ではありません。他でもない日本が、国家の主権をもって私の帰化を認めてくれる(まだ結果は分かりませんが自信があります)対象は、それまでの私、韓国人として生きてきた私です。そんな私が、それまでの私を切り捨てようとしていたとは、こんなに恥ずかしい話がありましょうか。

多分、多くの韓国人が『それは韓国人として正しい生き方ではない』と怒るでしょうけど。そう、民族という名を使いながら。「○○人はこうあるべきだ」と散々言われてきたということは、「そうでない人は、○○人にあらず」という意味でもあります。そう、ブログでも何度も紹介してきました。日本と同じ歴史観を示しただけで、「韓国人ではない」扱いを受けた人たちのことを。じゃ、ここでいう「○○人」とは何でしょう。遠い血縁という意味では民族が成立するはずなのに、なんで○○人ではないとするのか。その基準は何か。その場合の民族は何か。その答えは、過去エントリーにすでに書いています。

 

前に、ピュー・リサーチ・センターの報告書を紹介したことがあります。日本人は『家族と子供』を、韓国人は『物質的な豊かさ』を、人生に意味を与える存在として選んだ、というのがメインでした。ちなみに、詳しくは過去エントリーを御覧ください。でも、調査国家の中で、日本と韓国2カ国だけ、複数選んでもいい項目を『一つだけ』選んだ人が妙に多い、とのことでして。他の国にも一つだけ選んだ人ならいます。平均で34%。しかし、なぜか韓国(62%)と日本(59%)だけ、高くなっています。これは、『これがあれば十分だ』と考えているとも言えるでしょう。韓国の回答者たちが選んだ『唯一の答え』は、物質的な豊かさ。そして、日本の回答者たちが選んだ『唯一の答え』は、家族と子供でした。

・・と、そんな内容でした。その際、私はこんな文章を書きました。『もし私が普通に家庭を作る人生を選んだなら、いまこうして日本で暮らすことが出来たのだろうか』。どう考えても、そうではありません。そう思うと、「私は私の道を選び、感謝している。だからこそ、選べなかった道の尊さを認める」、と。そう、全てはそこにありました。私が今までの私に感謝せず、これからの私に感謝出来るはずがありません。連続性を時間とするなら、こちらは空間の話になります。『時空』とは、本当によくできた言葉だと、感嘆せざるを得ません。

他人の道を尊いと思うこと。それが今の時代において民族愛の肯定的発現の一つだと、私は信じています。自民族中心主義を掲げる人たちに欠けていることでもあります。尊さを忘れた血縁より、尊さを見出す非血縁になる。その生き方が、今の時代に必要な、『民族』という概念の意味でありましょう。例え、辞典的な意味とは異なろうとも。~であるべきという基準から離れたからといって、その尊さを全否定すること。そんなものは、今の時代においては、ただ『積弊』でしかありません。そんなものに民族という言葉を使うぐらいなら、民族など無いほうがいいでしょう。

 

皆さん、ひょっとして旧ブログのとき、私が『日本国民にはなれるけど、日本人にはなれない』と書いて、かなりの反論をくらったこと、覚えておられますか。自分自身、かなりうろ覚えですが、こんなことがありました。あのときから、帰化はほぼ決めていましたが、私は『血』にこだわり過ぎで、『帰化しても日本国民にはなれるけど、日本人にはなれない。でも日本の一部として暮らしていきたい』という趣旨の文章を書いたことがあります。ここでいう日本人は、『生まれつき』の日本人、すなわち日本民族のことです。ですが、当時、『そこまで決心して、日本国籍を取ってくれるなら、それは日本人じゃないですか?なんで日本人になれないと思っているのですか?』という趣旨のコメントを、かなりの数、頂きました。

率直に告白します。あのとき、私はびっくりしました。「え?日本人で生まれてないのに『日本人』ってどういうこと?・・・・・ああそうか、そういう考え方もできるんだな」、と。私は、民族について『全員、血縁』以外の概念を持っていなかったわけです。というか、どこからもそんなことを教えられた覚えはありません。

いま、その間違いに気づきました。「日本人」になるということが、そう、「国籍だけが変わるわけではない。もっと時空的な意味でこの国の一部になる。それが新しい血縁だ」という覚悟だと気づいてから、既存の意味での血縁にはこだわらなくなりました。むしろ、『養子縁組』のようなものだと思っています。お稲荷様を祀るようになったのも、私が住むようになった地域の鎮守神社ということで、『もしよろしければ、私を一員として受け入れてください』という意味があります。私にとっては、精神的な養子縁組です。ただ、それと、今までの自分、産んで育ててくれた親や家族を大事にし、これからも覚えていく気持ちに変わりはありません。私の大事な人たちが教えてくれたことは、日本でもかならず役に立つでしょう。そう信じて、出来る限り帰化の手続きに挑む。それが、私の『あたらしい民族』への第一歩です。頑張ります。ありがとうございます。「急になんのこっちゃ」シリーズ、これで最終回です、多分。

 

 

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