チョック(척)とは、「~なふり」のことです。実際は知らないのに知っているふうに見せる、そんな行為を、知っているチョック(知っているふり)と言います。
語源は不確かですが、同じ意味を持つ言葉として『チェ』というものがあります。先の文章だと『知っているチェ』になりますが、一般的にはチョックのほうを使います。チェよりチョックのほうが、韓国語の発音的に、文章に組み込みやすいから、でしょうか。
もしチョックがチェの口語表現として派生したものだとしたら、体面(チェミョン)の体(チェ)から来た言葉ではないだろうか、と私は思っています。これは完全に私見ですので、自信はありません。ただ、チョック(チェ)は、確かに韓国で言う『体面』と相性のよい表現ではあります。知らなくても知っているふりをする、それでこその体面ですから。
この言葉を使ったもっとも有名な表現は、「無くてもあるふり(없어도 있는 척)」でしょう。持ってないものでも、持っているふうに見せかけろ、というのです。一時、まだマイカーが普及してなかったころ、車関連でよく耳にしました。車を持ってなくても、持っているふりでもしろ、と。
ほぼ慣用表現のようになっていて、子供の頃に読んだ漫(マン)画(ファ)にも、小学生の子が親に「恥ずかしいから、無くてもあるふりをしてよ」と言うシーンがあって、こういうの言ってはダメだろう、と思った記憶があります。さて、本ブログの読者の皆様なら、「ああ、確かに体面だな、これは」と思われることでしょう。先の私の仮説が合ってるかどうかは分かりませんが、本当に体面そのものです。
この件はいわゆる『虚勢』『誇示』関連で、結構前から社会問題として指摘されてきました。しかし、なぜかこれが「日本のせい」ということになっています(笑)。古い記事ですが、1990年3月29日東亜日報は、『身の丈に合わない、または嘘をついてでも、偉そうにしようとする人が多すぎる』という社会問題を指摘しながら、原因をこう分析しています。「学者たちは、儒教的伝統と、日本の併合による急激な連続性の断絶、それによる無分別な外国文化の導入にその原因があると指摘する」。
「誠信女子大学校イギルピョ教授は、伝統社会では、些細な儀式でも相応の意味を持っていた。しかし、併合時代に貧富の差がひどくなって、意味は消えて形式だけが残ったと言う。この形式が、この『偉そうにする』ことになった」、などなど、と。
ただ、併合のような外的な理由ではなく、社会内部の問題だとちゃんと指摘する人の見解も載っています。作家キムウォンイル氏は同記事で、「持っているふりをする、偉いふりをする、学歴が高いふりをする、そんな人たちが社会的に認められてしまうから、そんな人たちが増えるしかない」、と。
大統領選挙で尹錫悦(ユンソンニョル)氏が当選した後、3月13日。昌原(チャンウォン)日報というローカルメディアの論説委員ウ・ウェホ氏が、新しい政権になって社会がよくなってほしいという趣旨の記事で、現状をこう書いています。「今日、『私は政治を見る見識に優れている』とし、『私が世界でいちばん偉い人』とし、『知らないことでも知っているふり』をし、『持ってなくても持っているふり』をし、『聞いても聞かなかったふり』をし、『事業に失敗しておいて他人のせいにして恨み』、『相手の些細な弱点を見つけ出してはとんでもないやり方で莫大な補償を受け取ろうとする』、そんな人たちがあまりにも多くなってしまった」。
妙な話ですね。併合前の時代に貧富の差を持ってくる点からしてトリプルプレイでアウトですが、万が一併合が何かの影響を及ぼしたとしても、2022年になって、何も変わってないとは。ちなみに、ソース記事はhttps化されていないようで(危険なところではありません)、URLだけ紹介します。「ttp://www.changwonilbo.com/news/267538」
簡単に言うと、これですね。Aが「私は、実はウルトラマンだ」と言いました。すると、Bが「私はウルトラセブンだ」と言いました。社会は何の確認もせず、「AもBも凄いな」と思いました。だからウルトラ一族がどんどん増えるわけです。巨大化して怪獣と戦う姿を見た人は誰一人いませんけど。頭痛い話ですね、本当。
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