まるで昨日の記事のような、7ヶ月前の寄稿文

帰化関連の手続きですが、もう『待つ』ペースに入りました。読者の皆様、特に拙著『日本人を日本人たらしめているものは何か』を読んでくださった方々のために少しだけご報告致しますと、いつだったとは申しませんが、実は『善良な国民になると誓います』と宣言もしました。

あとは、もっと詳しく法務局の方とお話をして、私の家や会社にも人が来て(私の場合は作家ですので、会社には来ないと思いますけど)、ありのままの私を検証してくれる、そんな段階となります。そう、何か追加資料の要求さえなければ、日本の評価を待つだけです。どうか、また良いご報告ができますように、と願っております。

 

で、そういうことも含めて、ですが・・毎日『告知』にも書いておりますが、ちょっといろいろやるべきことが重なってしまい、ブログ更新に使える時間が非常に限られてきました。なんというか、デスク前に座っている時間は受験生のときに匹敵(当社比)しますが・・あまり進みませんね。原稿とか、もうあまり進まなくて、率直に言って、困っています。

ブログあってこそのシンシアリーということで、いままでは何があってもブログ更新を優先してきましたが、なんか、内容も重複するもの(首脳会談が参議院がジーソミアが日本が岸田が)ばかりで、今日の更新は、前に用いたソース記事を修正・再アップしてのエントリーとなります。手抜きと言われますと言い訳できませんが、『まるで昨日の記事のようだ』という内容のものを選びました。

 

今は、日韓関係について、『尹政権で政権交代したから、関係改善は当然だ』としている韓国マスコミですが、ちょうど去年の10月~11月頃には、『日本で岸田総理になったから~』という内容の記事で溢れていました。ちょうどそんなとき、11月23日、寄稿文メインのネットメディア「スカイデイリー」に載った、もと朝鮮日報記者イ・ヒョクチェ氏の寄稿文です。2021年11月には、韓国各メディア及び政府関係者たちは、『もう日本の総理が変わったから』を根拠に、日韓関係改善を語っていました。

書いてあるいくつかの案件以外は、この寄稿文は、まるで昨日書かれたもののように、2022年夏の今にぴったり当てはまる内容です。『首相や外相が変わっても、必要によって国際環境に適応するためにある国の外交が変わるわけではない。外交は国際環境によって決まるものであり、韓国が基本的な外交から目をそらしている間、日本の韓国観は、すでに変わっている』、と。去年11月にも紹介したもので恐縮ですが、ぜひお読みください。

 

<<・・外交というのは、メニューから好きに選んで注文できるものではない。人との付き合いというのがいつもそうだが、ましてや他の国を付き合うわけだから、私たちの勝手に注文できるはずがなかろう。だから、他の国が何かの主張をしたなら、なぜそんなことを言うのか、よく考えて、一度は慎重に調べてみるのがいい。もし相手が慎重な性格の友人なら、私にも慎重さを期待し、もし私が慎重に行動しなければ、そんな私を疑問に思うであろう。

国際法と国際慣例に合わせることが、その基本であろう。そして、そのような『慎重に行動』を行うことは、何もためらう必要などない。それはまけることではないのだ。自国民のための正しい行いである。外交を、国内世論、雰囲気、自分自身に合わせるだけで行ってしまうと、国家は進む方向を見失ってしまう。

 

日本で新しい政権が発足した時、韓国のメディアは、外相になった林芳正のことで「良い人だ」という分析を出した。「消極的だった茂木外相とは違い、韓国に深い関心を示す人だ」、「共存共栄の韓日両国というセミナーに参加したことがある」、「彼が所属する自民党の派閥はアジア外交を最も重視する」、「次世代の議員として韓国に関心が多い」、「朝鮮通信社交流の会の幹事出身だ」、などなど。別に、林外相に期待を寄せるな、と言っているわけではない。しかし、誰が首相になっても、誰が外相になっても、日本の外交はそう簡単には変わらない。いや、変わらないと言うか、人が変わったからって、外交がそう簡単に変わってしまってはいけないのだ・・

・・(※外交というのは国際環境に合わせて出来たものであり、人が変わるだけで変わるものではない。外交が成立するためには国同士で手を組む必要があるのに、韓国は日本の主張について何の議論もせず、『人が変われば』だけ気にしていた、という趣旨の内容の後に)、これまで韓日関係を心配する人たちは、いつもこう言っていた。「いくら政治がダメでも、両国の国民は仲良く手を握って粘り強く過ごしていこう」、と。「草の根外交」をしようという話だ。

 

ところが、もう状況が違う。いくら韓国で和食好きな人が増え、日本の居酒屋風の店が韓国で人気になり、日本で韓国映画を上映したり韓国グループの公演を中継したり韓国俳優の特集番組をやるとしても、前とは状況が違う。お互いの文化を楽しく消費しているだけで、距離が縮んだりはしない。民間交流が、意味を失い始めたのだ。韓国だけでなく、平均的な日本人の心からも、その現象は起きている。 Kポップ、韓国ドラマを楽しむ日本人がまだまだ多いが、文化に対する好感度が日韓関係の改善につながったりはしない。これは、決して今だけの一時的な現象でもない。

一方、政治的な関係は、文化関係にもすぐ影響する。その例として、日本から韓国に修学旅行に来る学校が、2012年までは全体の20%だったのに、新型コロナ禍になる直前の2020年初めには、1.2%になってた。(※今の現状は)新型コロナでお互いに行き来できなくなったからでもない、ということだ・・>>

 

次の更新は、16時~17時頃になりますが、また、過去エントリー(最近のものではなく、少なくとも数ヶ月以上は時間が経ったもの)の再編集版(?)になると思われます。実に申し訳ございません。明日あたりには普通の更新が出来るよう、頑張ります。そして、来月中にはまたいつもの更新ペースに戻せるよう、もっと頑張ります。

 

 

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 ・様のおかげで、こうして新刊・準新刊のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2022年6月1日発売)からですが、<日本人を日本人たらしめているものはなにか~韓国人による日韓比較論~>です。帰化を前にして考えたことを記録した本です。アマゾンページに書いてある、「私はただ、日本が好きだから、日本人として生きたいと思っています」と、「『お前は韓国人として生まれた』が、『私は日本人として死ぬ』に上書きされた時に見えてきた、日本人になるということの意味」が、本書の全てを表していると言えるでしょう。そんな本です。 ・新刊<「自由な国」日本「不自由な国」韓国 韓国人による日韓比較論 (扶桑社新書) >は、日本滞在4年目に感じた「日常」と、ラムザイヤー教授論文騒ぎにまつわる、日韓の対応の差などをまとめました。2021年発売版に、相応の追記を致した新書版でございます。 ・国に蔓延する対日観、『卑日』について考察した卑日(扶桑社新書)>も発売中です。なぜ今の韓国に、日本に対する『卑』が必要なのか。それを自分なりに考察、率直に書きました。 ・刊として、文政権の失敗を振り返った <文在寅政権最後の暴走>と、自分なりの『日本語』本<日本語の行間~韓国人による日韓比較論 (扶桑社新書)>も発売中です。・刊・準新刊の詳しい説明は、固定エントリーをお読みください。旧「インフォメーション」もこちらに統合してあります。本当に、本当にありがとうございます。書きたいことが書けて、私は幸せ者です。 ・れでは、またお会いできますように。最後の行まで読んでくださってありがとうございます。