韓国メディアに、昨日紹介した「5不(公式呼称ではありませんが)」についてユニークな寄稿文が載っていたので、紹介したいと思います。趣旨は、相手がこんなスタンスを示すなら、わざわざ応じる必要など無い、国交樹立30周年などにこだわることなく、全面的に再検討しよう、といったものです。
寄稿文が指摘しているものは、もちろん5不の内容もそうですが、特に、各事項の最初に登場する「応当(应当)」です。5つの事項はそれぞれ、「応当~」で始まりますが、月刊朝鮮(朝鮮日報の月刊紙)は、これを「~しなければならない」というものであり、先生が子に対し、王が臣下に対して使うものであり、少なくとも外交で使う表現ではない、というのです。しかも、子に負担を強いるニュアンスが強すぎで、最近の若い世代の中国人なら、自分の子にもあまり使わない表現だ、とも。以下、<<~>>で引用してみます。
<<・・(※今回の中韓外相会談で)韓中共同声明はなかった。一方通行的な、中国側の5条項が発表されただけだ。内容を見ると、120%内定に対する干渉だ。THAAD配置問題、ミサイル運用、さらには韓米日軍事同盟問題まで取り上げている。中国側の発表全文をよく読んでみた。その内容は以下の通りである。1・応当、独立自主路線を堅持し、外部干渉を排除しなければならない(应当坚持独立自主、不受外界干扰 ※以下、中国語表記は略します)、2・応当、 近い近隣の友好を堅持し、お互いの重大関心事項に配慮しなければならない、3 ・応当、開放と協力を堅持し、サプライチェーンの安定を守護しなければならない、4・応当平等と尊重を堅持し、相互内政に干渉してはならない、5・応当、多国間主義を堅持し、国連憲章の原則を遵守する。
「厳格な垂直関係に基づく言葉」(※見出し)。外交文書とは言い難いほど、「王の指針」に該当する内容だ。大きく5つに分かれた内容を見て筆者が注目した部分は、「応当」、中国発音でインダンという用語だ。5条文の頭に登場し、発表文全体において中国側の立場がどういうものかを表す言葉だと見ていいだろう。「応当」はという言葉は韓国語にもある。行動や対象などが一定の条件や価値に合う、または合うようになるのが理にかなっており、正しいという意味になる。英語だと、deservedly、 naturallyのような単語になる。これを外交的に書くとどうなるのか。「As I told you, you should~」だろう。私が言ったとおりにしろ、というものだ。これが「応当」という言葉の、外交的意味だ。
知り合いの中国人に、応当という言葉が実際の生活でどのように活用されるのかと聞いてみた。「先生が生徒たちに使う言葉になると思う。だが、高校生、大学生に使うには失礼な言葉だ。幼稚園・小学校の学生に使う部類の単語になる。20代30代の若い世代の夫婦なら、幼い子供にも使わない、そんな強圧的な言葉だ。厳しい垂直関係に基づく言葉だ」とのことだ。
それなら、普通の外交なら応当の代わりにどんな用語を使うのだろうか。発表文の第1条「応当、独立自主路線を堅持し、外部干渉を排除しなければならない」で例えるなら、「需要」または「要」を用いるのが一般的だ。韓国語にするなら、「私たちはお互いに~を信じる、~を共同で追求する」という意味になる・・・・応当は、外交相手国である韓国に対する考えも配慮もゼロ、いやマイナスの単語だといえる。水平関係を前提とする外交舞台では決して受け入れられない言葉なのだ(月刊朝鮮)・・>>
そういえば、日本語訳でも「~を信じる」「~を共同で追求する」などの発表文が多いですね。それは水平関係、両国が対等だという前提での表現であり、今回の5つの条項(いわゆる5不)は、そうではない、と。記事は、1904年8月22日に締結された第一次日韓協約を紹介しながら、そこにも「~しないといけない(~すべし)」という内容ばかりだとしています。「~施行しなければならない」という当時の協約の文章も「should, must」という意味が強く、今回の5不の応当と同じである、と。あのときと同じだ、と。こんなときにもわざわざ日本を持ち出すところが、またなんとも。
さて、面白い(広い意味で、ですが)分析だと思います。しかし、この「~しなければならない」を外交に持ち込むのは、実は、韓国のほうではないでしょうか。その相手は、主に日本ですが。さすがに条約や合意などに~しなければならないと書くことはそう無いと思いますが、日韓関係において、韓国側の主張は主に「韓国に配慮しろ」であり、その論拠は、「それが正しいから」「それが道理だから」です。理にかなっているから、人倫だあら、道徳だから、そんなところです。それらを法律より優先させ、「私が言ったからその通りにするのが当然ではないか」という、まさに上から目線。これが、韓国が志向する日韓関係の『未来』だったりします。
外交とは違いますが、国内でも、韓国メディアが~しなければならないという表現を多用するのは、もう周知の事実です。随分前から私がブログや拙著で書いてきたことですが、K-社会の特徴の一つ。「相手の意見を聞くのは、実は相手の意見が知りたいからではない。自分自身の意見と同じなのかどうかを確認するため」。相手にアドバイスするときすら、「~なければならない」を多用し、結果的にうまく行ったらそれを自分の手柄とし、うまくいかなかったら「こんな結果になるなんて、私が知っていたはずないだろう」「こんなつもりで言ったわけではない(『具体的な言動より心を重視してくれという、いわゆる『心情』アピール)」と話すこと。そう、『応当』大好きの集団が、さらに応当ばかりの集団から、応当を言われ、衝撃を受けている。そういったところでしょうか。疲れる話です。本当に。
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