この前、韓国旅行で、キムバップが3倍に値上げしている(といっても300円ですが)などで、キムバップのことをいろいろ調べてみました。自分の記憶を辿ったり、昔の記事を探してみたり。オチはほぼ無いので、雑記か何かとしてお読みください。いまでは、韓国でもっともポピュラーな食べ物の一つになっている、キムバップ(韓国式海苔巻物)。最近は安物の代表格になっていますが、1980年代までキムバップというのは、特別なもの、美食、そんなものとして認識されていました。2000年代になって一気にキムバップ店が増えたのは、「キムバップが安く食べられる!」というのが印象的だったからです。銀色の洋食器を使う富裕層がうらやましくて、それよりずっと安いステンレスの食器が普及したのと、ある意味、似たような心理が動いた、心理的にG8だった、と見ることもできるでしょう。
じゃ、そもそも、なんでキムバップが社会的に『良いもの』として認識されていたのか。なんで、小学生の遠足には、キムバップのお弁当が『必須』だったのか(キムバップを用意できなかった子は、遠足のときに弁当を隠れて一人で食べたりしました)。『良いもの』『美食』『弁当の定番』、それが用意できなかったからです。キムバップが、そういう『良き』認識になった理由は、併合時代にあります。韓国各地の文化を研究する「韓国文化院連合会」という機関が運用する「地域N文化ポータル」というサイトを覗いてみると、「近大新聞記事から探る料理文化」として、このキムバップに関する紹介が載っています。以下、一部の単語は原文から修正してあります。
<<・・海苔は、朝鮮時代から全羅道の特産物として記録に残っているが、キムバップに対する記録は、併合時代、ご飯に酢を入れて、卵を薄く焼いたもの、田麩(タイの肉をピンク色に染めたもの)などを中に入れて、海苔で包むものだと書いてある。酢で味付けをしたキムバップは、戦後、新聞記事でもそのレシピが見られる。現在のキムバップは、酢ではなくごま油と塩で味付けをするようになった。キムバップは、併合時代に、ある程度は余裕がある層から始まり、日本の弁当文化が定着しつつ、大衆化されるようになった・・
・・キムバップが(※併合時代より前の)朝鮮時代にあったという資料はない。海苔が併合時代まではかなり貴重な食品だったので、キムバップが朝鮮時代に普及したとは思えない。キムバップが広く普及できる何より重要な条件は、海苔が十分に供給されることであろう。しかし、併合時代になってから、海苔は本格的に生産できるようになり、キムバップもその時期に定着した・・・・また、キムバップは、代表的なお弁当メニューだが、弁当文化も併合時代に社会全般に普及した。朝鮮時代の官庁では、食事を提供していた。それが変化し、職員が昼食時に食堂でご飯を食べたり、弁当を食べるようになったのが、併合時代だ。朝から出勤して1日8時間以上勤務する官庁生活で、弁当は必須となっていった。
学校も、朝早くから登校して一定時間以上勉強するようになったため、弁当は無くてはならないものであった。昌慶苑(チャンギョンウォン)に桜の花を見に行くなどにも、弁当は必須品だった。もちろん、食堂で昼食を買って食べることもできたが、桜の花見などには大勢の人たちで混雑していただめ、弁当を用意したほうがずっと楽だったのだろう。もちろん、すべての弁当が、美食というわけではなかった。1920年代、工場に出勤する婦女子と青少年などは、朝早くから朝ごはんを弁当に包んで出勤した。こういうのを美食だったと言うことはできないだろう。美味しい弁当というのは、ある程度は余裕がある階層だけ用意できるものであった(地域N文化「近代の新聞から見る料理」カテゴリー/『併合時代に寿司として作られたキムバップ』より)・・>>
同じページに、1930年3月7日東亜日報の記事も紹介されていたので、こちらはポータルサイト「ネイバー」が提供する新聞記事ライブラリーから、オリジナルを読んでみました。こちらもまた、併合時代、キムバップというのが、ある種の憧れだったことが読み取れます。日本でも、大正時代に、ハイカラな服で銀座や日本橋あたりを散歩することが『新時代への憧れ』だった時期もあると聞きます。似たような感覚だったのでしょう。新しく整備された公園に、桜の花見、そして海苔巻き寿司という、『新しい時代』たる併合時代の最新文化。当時、ある程度余裕のある人なら、キムバップが『新文化』な何かに見えたでしょうし、余裕が無かった人たちでも、なんとかして一度は真似してみたいと思ったはずです。記事によると「京成同徳女普 ソン・グムソン」氏が寄稿した内容で、「御婦人の知るべき春の料理法」という記事です。いくつか料理が載っていますが、キムバップとサンドイッチも引用してみます。
<<・・外に遊びに行くには実に良い時期が近づいています。こんな時に用意して持ち運びやすい料理をいくつか紹介致します。昌慶苑に花見に行くとしても、昼食の時に、食堂に入ると量は少なく高価で、本当に経済的とは言えません・・・・自宅で準備して、青い空を見上げながら、青い芝の上に座り、美しい景色を見ながらの食事は、実に楽で、経済的で、心も爽快になることでありましょう。『サンドイッチ』。これは西洋の弁当のようなものですが、持ち運びには一番です。パンとパンの間に肉や野菜などを入れたものであり・・・・パンは四角のものがいいし、朝作ったパンを夕方に使えばもっともいいでしょう。パン屋さんから機械に切ってもらうと楽です。自宅で切ってもいいでしょう。パンを薄く切って、三枚か四枚を並べておきます。片方にバターを塗り、この片に中身を入れます・・(※以下、中身によってハム、野菜、ジャム、たまごサンドイッチなどの簡単なレシピが続きます)・・
・・『酢飯』。お米1ドゥエ(※約1.8リットル、ホップはドゥエの10分の1)に水9ホップ、酒を約半ホップ、塩を匙半分。釜に水と酒を入れて、湧き出したら米を入れ、塩を入れてから混ぜて蓋をして、いつもより水を少なめにした感覚で炊きます。ご飯がある程度炊きあがったら、酢を1ホップ、飴2匙、塩1匙、アジノモト1匙を混ぜて、ご飯に入れて混ぜます。これが酢飯を作る方法です・・・・(※その酢飯を包む料理として)『キムで包んだ酢飯、ノリマキスシ』。材料はアサクサノリという厚い日本の海苔で、朝鮮の海苔の場合は、アサクサノリには及びませんが、2枚使います。干瓢を水につけ、日本の醤と砂糖ミリン(日本の甘酒)で味を調整しておきます。シイタケもやはり同じくしておきます。たまごをよくほぐし薄く焼いて、3ミリくらいの幅で細長く切っておきます。田麩という、タイの肉を桃色に染めたものがありますので、店から買って用意しておきましょう。全部用意できたらスシス(※巻きすのことだと思われます)の上に・・・・巻きます。あまり強く巻くと海苔が破れてしまいます。弱すぎるとうまくまとまりません。8つから10つに分けて切って、日本の赤い漬物と一緒に食べます・・>>
引用部分にはありませんが、『私たちらしく』としながら、サンドイッチにコチュジャンとナムルなどを入れて、なんというか、ビビンバのような料理として食べるのも紹介されていて、衝撃といえば衝撃でした。さすがにそういうサンドイッチは韓国でも見たことありません。で、先の地域N文化とこの記事で、「海苔で包んだ酢飯」がキムバップのことなのは、まず間違いないでしょう。そして、両記事、特に東亜日報の記事に書いてある各種材料から、『余裕のある層』のものだったことが、さらにハッキリしてきます。ジャムとか、パンを店に頼んで機械で切ってもらうとか。キムバップは、併合時代に始まった、「余裕のある人たちの、麗しき最新文化」のシンボルである弁当の一環だったことが、よく分かります。他にも、なんか、桜の花見とか当たり前のように書いてありますし・・昔の記事を読むといつも思うことですが、この時期が、どれだけ朝鮮半島が新しい、そして洗練された文化につつまれた時代であったのか、驚きが隠せません。
おかげさまで、新刊が発売中です!今回は、マンションを買わないと『貴族』になれないと信じられている、不思議な社会の話です。詳しくは、新刊・準新刊紹介エントリーを御覧ください。経済専門書ではありませんが、ブログに思いのままに書けなかったその不思議な「心理」も含めて、自分なりに率直に書き上げました。以下の「お知らせ」から、ぜひ御覧ください。ありがとうございます!
本エントリーにコメントをされる方、またはコメントを読まれる方は、こちらのコメントページをご利用ください。以下、拙著のご紹介において『本の題の部分』はアマゾン・アソシエイトですので、ご注意ください。
・皆様のおかげで、こうして拙著のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2023年3月1日)からですが、<韓国の借金経済(扶桑社新書)>です。本書は経済専門書ではありませんが、家計債務問題の現状を現すデータとともに、「なぜ、マンションを買えば貴族になれるのか」たる社会心理を、自分なりに考察した本です。・準新刊として、文在寅政権の任期末と尹錫悦政権の政策を並べ、対日、対米、対中、対北においてどんな政策を取っているのかを考察した<尹錫悦大統領の仮面 (扶桑社新書)>、帰化を進めている私の率直な気持ちを書いた<日本人を日本人たらしめているものはなにか~韓国人による日韓比較論~>も発売中です。・新刊・準新刊の詳しい説明は、固定エントリーをお読みください。・シンシアリーはツイッターをやっています。ほとんどは更新告知ですが、たまに写真などを載せたりもします ・本当に、本当にありがとうございます。書きたいことが書けて、私は幸せ者です。それでは、またお会いできますように。最後の行まで読んでくださってありがとうございます。