今年2月、北朝鮮の豊渓里核実験場周辺に、放射性物質が流出・地下水などにより拡散しており、住民約数十万人の安全が懸念され、また、その農産物などが産地偽装などを通じて日本、韓国に入るのではないか、という指摘がありました。北朝鮮の該当地域では、原因不明の病が広がっているとの話が絶えない、とも。2月21日の産経新聞の記事を一つリンクしておきます。そして、20日、関連した続報とでも言いましょうか。韓国で、吉州郡(豊渓里は吉州郡にあります)で暮らしていた脱北者たちが、現地の状況を証言しました。いまのところ、まだ全文の日本語版は見当たりません(私がチェックしてないだけかもしれませんが)し、ペンアンドマイクの記事から、証言部分(の一部を)引用してみました。以下、<<~>>が引用部部となります。
<<・・私(※複数の証言者の一人)は、吉州郡ぶ56年間住んでいました。核実験場が入ってくるとは誰も予想できなかったので、2013年の3次核実験以後、北朝鮮のニュースを見て、核実験場があると分かりました。その時、列車が止まったりもしましたが、その後は通過しました。軍関係者たちが武器を直したりしていましたが、軍の私宅には一般人は入れないので、どうなっていたのか分からなくなったていたのです。 そこには警備軍施設だけあると思ったら、吉州郡で核実験した聞きました。私たちが市場で、「あ、これでもうアメリカは何もできないよな」と話したりしていました。ところで、大韓民国に来てから、核実験の放射能影響が人間の身体にどんな影響を及ぼすのか分かるようになり、驚きました。
北朝鮮では、吉州郡の核実験場から出てくる水を汲んできて、飲料水で、生活水として使っていました。私には息子が一人いましたが、当時、あの子と、一緒に遊んでいた友だちがみんな、結核のような病気にかかったと診断されました。その病気にかかれば、もう難しいというのです・・それから脱北することになりましたが・・息子はその後、北朝鮮の恵山に来たとき、ブローカーを通じて治療資金を渡して、平壌病院に行って治療を受けようとしました。結局、平壌病院には行けなかったが、当時、北朝鮮当局がこのような「結核のような病気」を持っている人々に対して、一切何もできることがないと、封鎖しているという話を聞きました。このような話は、吉州郡全体が対象だったと思います。どこにも行くことができず、治療もできないというが、今は、ほとんどの住民が、肺がんなど、がん患者です。人が生きられないところで住んでいたということでしょう。
そこは、核実験場から水が流れ出て、ナジェ川を通じて東の方の海へ流れます。北朝鮮の住民はみんな、そんな水を飲んで暮らします。核実験場が入ってから、山川魚が来なくなり、松茸類もあんなに多かったのに、突然、松茸類も全くなくなりました。核実験場は、16号収容所の人たちが作ったと聞きますが、そう遠くないところです。収容所の人たちも大勢が亡くなりました。咸鏡北道で各農場が、管理所の人ではなく、農民たちを送りました。その農民たちは、先にいた人たちが使っていた軍関連施設を使いましたが、先にいた人たちは、誰もいませんでした。吉州の私の家族も、全員が亡くなったと聞きます・・
・・(※別の脱北者)吉州郡出身ですが、核実験場ができてから、一帯に風渓里核実験場から流れてくる水で暮らしていました。ある日、結核類の病、皮膚関連の患者が急に増えました。幼い子供たちも、関節炎で、息子と娘も、いつも咳、風邪にかかったままで、治りませんでした。このような症状について、話してはならない雰囲気でした。近所の人々がいなくなったり、山の自然物(※先の話に出ていた松茸のようなもののことだと思われます)がなくなっていく現象が続きました。吉州郡の自然物はなくなり、人々は皆抜け出そうとしました。結核患者とがん患者が増えましたが、みんなあまりにも生活が難しいので、核実験場について話せる立場ではありませんでした。核実験場を爆破すると言う話があって、住民たちはそれを待っていましたが、その後はこれといって反応がありませんでした・・
(※別の脱北者)私は吉州郡で生まれ、50年以上生きてから、脱北しました。故郷の話、風渓里核実験場・・・・調査官が健康について聞きに来たとき、仕方ないと聞いたことがあります。党がやることなのに、放射能問題で飲料水がどうとか、そんな話をしたら、生きていられないというのです。目を閉じて、耳をふさいで生きるしかない、と。核実験場ができた私の故郷のは、鉄道がある所で、風渓里は澄んだ渓谷が流れる場所で、高い山々が多いです。核実験場が建てられる前、ナジェ川で魚を捕まえて、魚で粥を作ったり、 松茸をとったりしました。一帯には「蛇道」というところがあります。蛇が多いところでしたが、核実験以後、ら蛇がなくなりました・・・・近所では関節炎患者が急に増え、みんなこれを見て「鬼神病にかかった」と恐れました(※中国、朝鮮半島では幽霊、お化けのことを鬼神と言います)。当時、空腹などで大変だったので、これについてなにも言えませんでした(ペンアンドマイク)・・>>
他の証言によると、核関連基地で勤務する兵士の場合、40歳を超えることができない、と言われているそうです。そもそも、除隊を申し込んでも認められない、とも。記事の最後で、脱北者の一人は、こう話しています。「北朝鮮の核開発について、韓国の一部の人たちは、『北朝鮮が核開発すれば、私たちにもいいことだ』というおろかな話をしています。しかし、北朝鮮の住民たちは、このように、何も言えずに消えつつあります」。 ※イジェミョン代表関連の国会票決が午後2時から始まります。明日エントリーするかどうか未定ですが、その件が気になる人は、ここに書かないで「このことが気になる」エントリーに書いてください。
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