世界各国の社会学者・心理学者・医療関係者などが、怒りをテーマに研究を進めています。韓国では特に急に怒ることが社会問題とされていることもあって、多くのメディアが取り上げています。8日にも、韓国の地上波放送局SBSが、イタリアトロント大学の論文を紹介しました。その番組で、「抑え過ぎても問題だが、急に怒り出して解決できることなど何もない」としながら、そんなときに控えるべき、気をつけるべき4つの単語も紹介されましたが・・それを聞いて、個人的に「あ、これって確か」と思うところがあって、もう少し調べてみました。ですが、なぜか見つからず。おかしいな・・と思ったけど、その4つの単語、韓国にいた時、実に無数に耳にしたものなので、どうしてもオリジナルが読んでみたくなりました。
そこで、もう少し調べてみたら、番組で紹介した論文とは別の、英国カウンセリング・心理療法協会のJemi Sudhakar博士が書いた論文がソース(ネット公開版)でした。こういうのはもうちょっと明記してくれると助かりますが。というか、明記するでしょう、普通。いつものことですが、紹介しているからといって論文内容全てに同意するわけではありませんが、そこはともかくして。怒りのコントロールのために気をつけるべき、控えるべき言葉とは、以下のようです。その1,いつも(Always)。その2、決して(Never)。その3,やらないといけない/やってはいけない(Should or Shouldn’t/Must or Mustn’t/Ought to or Oughtn’t)。その4,公正ではない(Not Fair)。原文ではMust、Should、Oughtが別々ですが、SBSが4つにまとめていたので、私も4つにまとめてみます。ただ、oughtはshoudより客観的な意味合いが強いなど、英語表現だとニュアンスの差はあります。
例文として、こうなります。You always do that(あなたははいつもそう)、You never listen to me(私の言葉を決して聞かない)、You should do what I want(あなたは私が望むことをやるべきなんです)、People ought to get out of my way(人々は私の邪魔をしてはいけないのです)、そして、「こんなの公正ではありませんよ」(※最後のNot fairの例文は論文にはありません)。これらの言葉、そういえば、日本に来てからあまり聞かなくなったな・・と、改めて思いました。韓国にいたときには、無数に聞きました。基本的に、相手から直接言われることより、第三者のことでこういう表現をよく耳にしました。
たとえば、知り合いと二人でいたら、相手が急にその場にいない人の話をして(私はなにも聞いていませんが)、「~(人の名前)って、いつも~」という展開になります。その次に必ず出てくるのが、ちょうど論文の例文と同じく、「私の話を『まったく』聞いてくれない」というパターン。論文の訳には「決して」にしましたが、韓国語的には「まったく」が多かった気がします。「いつも」と「まったく」は、例外を認めないという意味になります。この話に「例外」を持ち込むな、という前提を作っているわけです。
「~でなければならない」シリーズは、韓国では基本的に、人間関係、すなわち『情』だけではどうにもならない展開になったとき、王道パターンとして借りたお金を返してくれと言ったときなどに、ほぼ定番フレーズとして出てきます。「私にこんなことをしてはいけないのだよ」。「私たちの関係ってこんなものだったのか」の強調型です。こんなものではないから、こうなってはいけない、と。返すべきの「べき」を、人倫的な「べき」で上書きするわけです。ちなみに、ブログで韓国側の記事を訳しながら、食べたご飯粒と同じ数くらいは見ました。そして、それでも自分の要求が通じなかった場合、出てくることは一つだけ。「公正ではない」です。論文の訳は公平にしたほうが良い気もしますが、展開的に「公正」にしました。
線を超えたすべての感情がそうでしょうけど、怒りは、人間関係、社会各分野の分断を意味します。いままで書いてきた内容に、ひょんなことから見つけたイギリスの論文で相応のソースが付いたような、そんな気もします。考えすぎでしょうか。でも、実際、無数に聞いてきた言葉ですので。日本に来てから聞いた「いつも」は、どちらかというと「私ってばいつもこうなんだよね~」とドジっ子っぷり(?)のときとか、どちらかというと自分向けに使うことが多い気がします。それに、例外が無いという意味で使う場合はほとんど無かったような。「まったく」は、ほとんど聞いたことがありません。何かの強調(こちらも、実際にまったくとは思わずに)として用いることが多いような。「~でなければならない」シリーズは、それ以上に聞いたことがありません。
似たような表現でも、かなり遠回りに言う人が多い気がします。公正ではないという話は、格差など社会問題の提起においてニュース番組などで聞くことがありますが、日常で耳にすることはそうありませんでした。どちらかというと、公正という言葉よりは、『超えてはならない線を超えた場合』の案件に対して、世論が動く気がします。久しぶりの雑記コーナーでした。
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