韓国最高裁が、日本から盗難された観世音菩薩坐像について、浮石寺(仏像の所有権を主張している韓国の寺)の所有権は認められないとし、2審判決を確定しました。ヘラルド経済など、ほぼ全ての韓国メディアが速報を流しています。日本観音寺の所有権を認めたわけです。22日にもエントリーしたばかりですが簡単に振り返ってみると、裁判所は1審では韓国の浮石寺に所有権があったとしましたが、今年2月の2審では、日本の観音寺に所有権があると判断しました。観音寺が長い間、『平穏かつ公然と所有』し、民法上の時効もすでに成立していると判断しました。ただ、2審のとき、本裁判は所有権に関するものであり、返還すべきかどうかについてはユネスコや国際法で決めるべきだとも言いました。
今回の判決では、昔、日本に持ち去られたものだという点は「そう思われる」という曖昧な表現で認めましたが、「時効がすでに成立している」ので、浮石寺の所有権を求めるわけにはいかないとしました。2審の判決が確定した形になるので、「返還については本裁判で決めるものではない」とする部分もそのままだとは思われますが、この裁判は浮石寺と韓国政府の間の裁判だったので、裁判の当事者である韓国政府としては何もしないわけにはいかないでしょう。以下、<<~>>で引用してみます。
<<・・最高裁判所が、盗難され日本から国内に持ち込まれた高麗時代仏像「観世音菩薩坐像」の所有権は日本にあると判断した。大法院(※最高裁)1部は26日、大韓仏教曹渓宗浮石寺が大韓民国政府を相手に提起した流体動産(仏像)引渡請求訴訟上告審で、原告敗訴判決を確定した。最高裁判所は浮石寺が高麗時代の浮石寺と同じ権利主体であるという点は認めたが、「(日本)観音寺が1953年から仏像を時効取得したとみられ、浮石寺はこの仏像の所有権を喪失した」と判断した。民法上の取得時効は、権利者でなくても一定期間占有がなされれば財産を取得することになる制度だ・・
・・裁判部は該当仏像が1330年、高麗時代の浮石寺で製作されたという事実は認めたが、現在の浮石寺がそれと同じ宗教団体で「同一性・連続性を持って維持されてきた」と認めることはできないと判断した。 朝鮮王朝実録に36の仏教宗派が紹介されているが、ソジュ浮石寺が登場していない点などを根拠に、「ソジュ浮石寺が朝鮮中期より前に維持されていたとは見ることができない」と判断した。また別の現代歴史書に一部の記録が残ってはいるが、「文言が伝えられておらず、(ソジュ浮石寺に対する)詳細な内容を確認できない」などによっても、認めることは難しいとした・・
・・裁判部は「準拠法に指定された日本国民法によると、観音寺が法人として設立された1953年1月26日から20年が過ぎた1973年に取得時効が完成し、日本国民法では20年間所有意思を持って平穏及び公然に他人の物を占有した場合、所有権を取得することができる」とし「該当仏像が搬出された経緯が取得時効の完成に影響を及ぼすことはできず、これは韓国民法を適用しても同じである」と判断した(ヘラルド経済)・・>> 日本政府としては、このまま一気に返還まで踏み込んでほしいところです。
本エントリーにコメントをされる方、またはコメントを読まれる方は、こちらのコメントページをご利用ください。以下、拙著のご紹介において『本の題の部分』はアマゾン・アソシエイトですので、ご注意ください。
・皆様のおかげで、こうして拙著のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2023年7月29日)からですが、<韓国人として生まれ、日本人として生きる>です。2023年、まさに心願成就、帰化できました。「韓国人として生まれた」より「日本人として生きる」を上位の概念にしたのはなぜか。なぜ名前を変えなかったのか。帰化した人たちがよく口にする「両国間の架け橋になりたい」などの言葉について、私はなぜ「そんなつもりはありません」としか思っていないのか。一つ一つ、自分なりの持論を綴りました。 ・準新刊は、<韓国の借金経済(扶桑社新書)>です。本書は経済専門書ではありませんが、家計債務問題の現状を現すデータとともに、「なぜ、マンションを買えば貴族になれるのか」たる社会心理を、自分なりに考察した本です。帰化を進めている私の率直な気持ちを書いた<日本人を日本人たらしめているものはなにか~韓国人による日韓比較論~>も発売中です。・新刊・準新刊の詳しい説明は、固定エントリーをお読みください。・本当に、本当にありがとうございます。書きたいことが書けて、私は幸せ者です。それでは、またお会いできますように。最後の行まで読んでくださってありがとうございます。