旧ブログのときから、ランク付け、いわゆる階級論の話を取り上げてきました。スプーン階級論という言葉が流行る前から、関連エントリーを書いていた記憶があります。着ている服の値段で階級が決まるとか、小学校の入学式などで、「マンションに住んでいる子」とそうでない子は別の列になっているとか、関連したニュースだけで、結構な数を読んだ記憶があります。ブログや拙著に何度も書いてきたことですが、スプーン階級論は、社会の貧富格差問題というよりは、『親の貧富格差』をメインにしています。
光州科学技術院キム・ヒサム教授が4カ国の大学生、各1000人に、『自国で青年の成功に最も重要な要因はなにか』を聞いたところ、韓国大学生の半分は『親の財力』を挙げました。教授は、これは日本、中国、アメリカ大学生からは見られない結果だったとしています(2022年12月4日毎日経済、調査は2017年)。その考えで育った人たちの次の世代でも、同じ考えが広がっているわけです。6月16日、学校に皆勤する子は、「海外旅行に行く能力が無い家だから(韓国では家族で海外旅行だと学校を休むのが普通です)」とされてしまう、という認識を紹介したことがありますが・・それからしばらくこのテーマをチェックしていなかったので、そなにか新しいネタが無いかと、いろいろ検索してみました。
新しいものはヒットしませんでしたが、「住んでいるマンション」関連の話がいくつかヒットしたので、家計債務、ヨンクル、マンション関連などの話との相応のつながっているし、そして偶然にも今朝書いたばかりの物質主義エントリーからも垣間見ることができる内容なので、エントリーしてみました。ソースはちょっと古く、2016年1月20日オーマイニュースの市民記者が書いた記事と、2019年6月15日の京郷新聞のものです。特に、後者のタイトル「幼い時から学ばされる、『住んでいる家』の階級」が、すべてを物語っている気もします。以下、各紙、<<~>>が引用部分となります。
<<・・(※記者が引っ越そうとしていたマンションの近くにある)小学校にはいろいろと奇妙な噂があった。同じ学区にある賃貸マンションの子供とは一緒に遊ばないという規則。1年生から塾2~3つは必須だ、などの噂だ・・・・引越しの後、実際に他の子の親たちと知り合い、一つずつその実体が把握できた。賃貸マンションの子と遊んではならないだけでなく、普通のマンション同士でも、広さによって階級がレベルが分かれている・・・・自分が住むマンションの広さで、階級が出来上がっているというのだ。
金のスプーンがどうとかの『身分社会』が、まさに小学校の時から始まっているわけだ・・・・息子をその小学校に入れなかった決定的なきっかけは、その中でも「縄跳び塾」の話を聞いたからだ。体育の時間に縄跳びで良い点数がもらえるよう、スポーツジムなどが、子どもに縄跳びの特別授業を施す塾になっているという。テコンドーなどで新入生を募集する際にも、縄跳び特別教育や体育点数を上げるなどの条件が入るという、悲しい話だった(オーマイニュース)・・>>
<<・・住んでいる家が居住者の社会・経済的地位を表すという話は、すでに広告にも公然と登場しているし、問題だと指摘することすら難しいのが実情だ・・・・子供と青少年の間でより明らかになっているのも、もう目新しい話ではない・・・・ソウル江北区で社会福祉士として働くP氏(42歳)は、同じマンション団地でも建物の「高さ」だけで子供たちが格差をすぐに感じるという話を聞いて、びっくりした。P氏が頻繁に訪問する賃貸マンションは、普通に分譲されたマンションと同じ団地に分類されるが、階数が低い。
賃貸マンション入居者の中には片親の子供が多いのでP氏は言葉にもかなり気をつけるが、P氏は「最近、子供たちは、ゲームしながらも『親なし』という言葉を普通に使います。私が知っているある子は、その子も一人親家庭の子なのに、『ぼくも(※他の子に)同じ言葉を普通に使うから別にいい。でも、『家無し』という言葉のほうが言われてずっと悔しい』と話します」という。P氏は、「大きくて高いマンション」に住む子たちが、相対的に「小さくて低い賃貸マンション」との比較を通じて、自分の優越さを主張する内容を主に話した(京郷新聞)・・>>
オチを書く気も起きないので、これくらいにします。このまま、また次の世代に・・といったパターンでしょうか。一部の人たちには、無意識的に「次の子は産まない(これ以上は続かないでほしい)」という考え方が出来ているのではないか・・そんな気もします。それが、合計出生率低下の一因ではないだろうか、と思うのは、考えすぎでしょうか。
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