朝鮮半島の儒教思想、「感化」と「教化」の影響

いまでも、韓国社会には『感化』や『教化』の要素が強く残っています。韓国側の辞典に載っている定義もそうですが、相手の心や行動に良い影響を与え、正しい方向に導くとなっています。日本の辞典は「感銘を受けて」「自然と」「自発的に」を強調する書き方が多いですが、韓国の場合は「正しく」を強調する書き方がメインになっています。儒教思想と言っても朝鮮半島のものはユニークな点が多く、最近は一部のローカルメディアが「K儒教」という言葉を使ったりしていますが、その中でも日本ともっとも異なる点が、『仁』より『徳』が圧倒的に強調されている点です。

徳というのも、普通に人徳があるとかそういうものならいいですが、ほとんどは、朱子学などに忠実であるかどうかのことです。朝鮮が儒教思想を国教にした一つの理由は、クーデターで執権しただけに、また誰かのクーデターで王朝終わることをおそれたからです。そのため、序列をさらに徹底的に強調し、序列が上なのは、『徳がある』の証拠だとしました。王家は王宮の中で普通に仏教を信じていましたが、それもまた、「こちらは王家だから」です。クーデターを起こす側ではなく、起こされる側だから、ノーカウントだと思ったのでしょう。

 

人にも物にも貴賤があり、それが宇宙レベルですでに決まっているものであり、さからってはならない。そう教える根拠として「徳があるから社会的に高い地位にある」をアピールしたわけですが・・実際には、「社会的に高い地位にあるから、徳があるということにする」でした。10月31日に脱物質主義関連のエントリーで。ソウル大学イ・ヨンフン教授(記事当時)の寄稿文の一部を紹介しましたが、その際、「朝鮮の儒教の特徴は、人間の道徳的レベルと社会的地位は一致すると考えること」、「優れた人とは、道徳的なだけでなく、社会地位的も物質的な富も、ともに持つ人を意味する」、(よって)「道徳を強調しても、本当に精神的成就を追求する道徳哲学は育たなかった」という見解を紹介しました。同じ流れにある話ではないでしょうか。

 

朝鮮半島の儒教において、正しい政治というのは、まさに教育であり、徳の高い人は、そうでない人の心や行動を正しい方向に変えることができる。それが感化であり、教化です。この考えはいまでも残っていて、対日外交はいうまでもなく、国内でも、日常的に現れています。私的な関係の親密さを意味する「情」というものも、ほとんどは徳、言い換えれば上下関係としての側面を持っています。本ブログでよく取り上げる黄金シチュエーションですが、知り合いに「貸したお金を返してほしい」と言ったとき。ほぼ間違いなく相手の口から聞こえてくる定番セリフ、「私たちの関係はこの程度だったのか」、「あなたは、私に『こんなことをしてはいけません』」。そこにも、徳(もどき)な考え方があります。いままで大事な関係を築き導いてきた、徳の高い私ではないか。その関係をこわそうとするのは、お金より大事な人倫の領域である、と。

 

韓国メディアの記事をチェックしてみると、なにか関連したエピソードを長く書き、いざ結論は曖昧になっているものが多いですが、それも同じです。どうだ、素晴らしいエピソードに感化されただろう、という側面が重要で、自分でどう思っているのかはあまり書かずに終わります。有名な本に書かれた話、儒学者たちの話、などなどが長々と出てきますが、「だから、どういうことですか?」がはっきりせず、自分の見解はあまり出てきません。書いた人は、「偉いエピソードを引用したから、これで反論できないだろう、すなわち徳が高いのだ」「おまえはもう感化されている」と思っているかもしれませんが・・

その結果、多くの主張が「だから、『私は』こう~~思う」の部分が無く、『どうすべきなのか』には向けられません。『いまのようであってはいけない』という話に終始し、そのまま終わります。どうすべきなのか、すなわち解決策においては、いわゆる「テンプレ」的なものしか出てきません。そういうのを出すのは、徳が高くない人たちの仕事だと思っているのでしょうか。なんというか、なにかうまくいかない案件があったとき、各メディア・専門家から「なにもしなくていい」とする意見が出てくるのも、そのためです。最近だって、「私たちには優れた技術があるので、米国も中国も大した措置は取れない。だからわざわざどちらかに付く必要はない」という意見が根強くでていますが、こういうのも、無関係ではないでしょう。  今日の更新はこれだけです。次の更新は、明日(9日)の11時頃になります。

 

 

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