保守系メディアが見た、韓国政治と「道徳」の関係

別に意識して書いているわけでもありませんが、昨日書いたばかりの『長期計画無し』(連続性を重視しない)関連の話があったので、紹介したいと思います。保守系ネットメディア「ペンアンドマイク」の記事で、主に『文民政府』に関してですが、全般的な『政権交代』にも当てはまる内容です。ちなみに文民政府というのは、金泳三政権のことです。ただ、「軍人による政権ではない」という意味なので、金泳三政権「から」の政権を全て文民政府とする場合もあります。記事は、後者の見方をしています。

趣旨は、国内の一般的な評価のとおり、本当に文民政府が軍事政権より優れていたのか、という疑問提起です。これまた最近のいくつかのエントリーで取り上げた『道徳』という言葉が出てきますが、とにかく政権に対して『道徳的ではない』と騒ぐと勝てるようになってしまった、というのです。記事は、軍人たちによる政権、李承晩政権などを高く評価していますし、実際、李承晩はともかく朴正煕、全斗煥大統領の場合、あまりにも低評価されている、詳しくは「評価することがタブー化した」のは事実です。でも、書いてある内容をよく読んでみると・・道徳がどうとかは、果たして『政権』だけの問題でしょうか。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・公権力で制御できなくなり、この時から(※文民政府になってから)政府の権威に挑戦し、法と秩序を守らないのが民主主義だという行動が蔓延し始めた。憲法の上に『テ』法が存在する時代が開幕したのだ。文民指導者が率いる第6共和国(※金泳三政権)の最優先議題は、民主主義の定着だった。そのため、国家の長期戦略樹立や、国家構造の革新といった政党の本質的な業務ではなく、ポピュリズムに立脚した権力に命をかけた。この過程で武器として使われたのが、「道徳」の取り合いだ。『韓国はひとつの哲学だ』の著者小倉紀蔵 京都大教授が観察した韓国は、完全無欠な道徳だけが優遇される社会だ・・

 

・・そのため、自分の人生がどれほど道徳的かを他の人に表現し続けなければならない。このような風土で、権力を争うということは、権力を勝ち取った勢力は『道徳的ではない』と叫ぶことだ。相手の道徳を下げれば下げるほど、「すばらしいソンビ(※朝鮮時代の文官など)」になれる・・・・以後、韓国は国家レベルの長期発展計画が存在しない国となった。5年周期で大統領が変わるたびに、前任政権の際に立てた国家核心政策と戦略ビジョンは廃棄された。新しく選ばれた勢力は、自分たちの好みに合った政策を立てて推進するため、国を覆した。5年周期で国家の核心政策・戦略・ビジョン・哲学・価値観がまるごと覆され、新たに出発する混乱が35年も繰り返された。そのため、国家が進むべき方向、未来に国家が到達すべき目標がなくなった。誰も国家の未来を心配しない無鉄砲になったのだ(ペンアンドマイク)・・>>

 

テ法、懐かしいですね。拙著や本ブログでもよく取り上げていましたが、テは駄々をこねるという意味です。ですが、韓国語では、テは「群れ」という意味もあります。昔から、群れで駄々をこねることが多かったので、テが2つの意味を同時に持つようになったのではないか、と私は見ています。しかし、昨日の「長期計画」エントリーだけでなく、いくつかの儒教思想関連エントリー(最新のものは11月8日です)とも、妙な接点がある話です。関連エントリーでも核心だったのは、「朝鮮半島の儒教思想では、人の徳と社会的地位が同一視された」です。今日のペンアンドマイクの指摘は、これの逆バージョンともいえるでしょう。「道徳的でない(※本当にどうなのかは不明)」を「社会的地位を得るべきでない」の論拠として、とりあえず道徳を叫んでおく、と。疲れる話です。本当に。

 

 

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