2週間位前だったと思います。約2年前に亡くなった全斗煥元大統領ですが、まだお墓がなく埋葬もできず、遺体が自宅に保管されているというニュースがありました。京畿道の坡州(パジュ)というところにやっと場所が見つかって、仮契約を勧めている段階だ、と。全斗煥元大統領は「北側(北朝鮮)が見えるところ」を望んでいたそうです。そこで南北統一の日を待ちたい、と。それが事実上の遺言になったので、家族の人たちは相応の場所を探していた、とも。全斗煥氏に関する評価は人それぞれでしょうけど、安保関連の考えだけは本物だった、といったところでしょうか。
でも、ちょっと不思議ではありました。全斗煥元大統領は市民団体及び世論が思わしくなく、実際に有罪判決などがあったため、国立墓地に墓を作ることはできません。北朝鮮が見える場所は軍関連施設が多いので、民間人が作れない場所も多いでしょう。でも、埋葬できる場所を探すのに2年もかかったというのは、さすがにちょっとどうかな、と。あのとき、市民団体などの反対、及び、お墓の管理問題などが懸念されているため、ではないのか。そう思っていましたが・・どうやら、当たりのようです。
それから少し経って、11月20日から30日の間、「市民団体が強く反対している」などの記事が相次ぎました。市民団体側は、坡州は南北平和統一関連イベントが多かった象徴的な場所(※軍事境界線はあるものの、韓国と北朝鮮が接している地域の一つです)であり、全斗煥氏の墓を作るわけにはいかないとしており、中央日報の記事によると、「北朝鮮が見える場所はだめだ(記事の題)」にしている、とのことでして。坡州がある京畿道地域のローカルメディア「京義日報」は、「すでに亡くなったのにここまでする必要があるのか」とながら、「墓への物理的措置が懸念されるこの現実、こんなことでいいのか」など、珍しく市民団体側を批判する記事を載せたりしました。以下、<<~>>で引用してみます。
<<・・この問題が気楽に論じられる人は、いるだろうか。さらに、「それでも安葬(※埋葬)が必要だと言う度胸が、誰にあるのだろうか。そう、全斗煥元大統領は、いまだ埋葬出来ないでいる。2021年11月23日に臨終した。その際に火葬した遺骨は、いまでも自宅にある。お墓の場所を見つけることができなかったのだ。埋葬できる場所が、いま決まりつつある。坡州の私有地がその場所として知られている。仮契約の状態で、有力に検討されているというのだ。該当土地では、開城など北朝鮮が見えるという。全元大統領は回顧録で「北側の土を見下ろす前方(※北朝鮮を接したところ)にて、白骨になっても南北統一の日を迎えたい」としていた・・
・・(※一部国会議員と市民団体が強く反対しているという内容のあとに)時期的に、総選挙が約4カ月後にある。民主系政治家たちが声を高める政治的環境ができているのだ。経験による話だが、埋葬は容易ではないだろう。埋葬までできたとしても、墓の管理がきちんとできるのか、安心できない。私たちの文化の中には、亡くなった人に対して罰を下すものがある。それほどではないにしても、抗議訪問、破墓(※この場合、お墓を掘り返すこと)などが続く可能性は十分にある・・
・・遺族がこのようなことを予想できないはずがない。他の案を考えてみたほうがいいかもしれない。しかし、亡くなった人に対するこのようなこと、これでいいのだろうか。全元大統領の行いを肯定する国民はほとんどいない。全斗煥が正しいという主張は社会に存在しない・・・・(※しかし)亡くなった人に対する責任追及、許しと怒り、亡くなった人の「痕跡」への物理的措置。正しいか、そうではないかを答えるつもりはない。ただし、このような姿を見て嘆かわしく見えるのは、事実だ(京義日報)・・>>
引用最初に「度胸がある人はいるのだろうか」となっていますが、最後の部分と繋がっている気がします。はっきり言うことはできず(ソース記事は該当地域のメディアです)、できるかぎり遠回しに書いている、そんな感じです。全斗煥元大統領の評価はともかく、お墓がちゃんとできることを願いますが・・これじゃ、場所は公開しないほうがいいかもしれません。 最後にいつもの告知ですが、申し訳ございませんが今日の更新はこれだけです。次の更新は明日(12月2日)の11時頃になります。そして、サブブログのほうに、久しぶりに旅行写真をアップしました。那須(マウントジーンズ那須の紅葉ゴンドラ)、松本城、そして飛騨での写真です。よろしければ、ぜひ御覧ください。
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