朝鮮時代の身分制度に関する、2024年の記事と1800年代の文書

1894年、朝鮮で身分制度が公式には廃止となりました。しかし、「実際」は全然そうではなく、1894年以降の資料にも身分制度の様々な記録(売買文書など)が残っています。誰も「勉強して」なにかの資格を取ったり、経済的に社会的に生活できるようになったのは、併合時代からです。自由というのも社会・経済的な生活手段があってこそのもの。そう考えると、やはり身分制度が「本当の意味で」廃止されたのは、併合時代からです。もちろん、制度はともかく戦後にも、韓国には『意識』は強く残っていて、各地には「一緒に住むことはできない」という理由で、町が「貴族出身の人が暮らすエリア」など、元の身分によって住むエリアを分けた地域が結構残っていました。

皮肉なことに、これらが壊れ、大勢の人々が生存のために都市を目指すきっかけになったのは、朝鮮戦争とそれからの復興過程でした。もう一つ入れるなら、セマウル運動(都市化が進んだ)でしょうか。朝鮮戦争を描いたドラマや小説などを見てみると(最近のものはよくわかりませんが)、韓国の各地を占領した北朝鮮軍が、「町で『貧しい』『負け組』だった青年たちを味方につけ、彼らが町の情報(誰がリーダーで、誰が財政を握っているのかなど)をすべて北朝鮮側に報告し、町を支配する権限を手に入れる」展開がよく出てきます。ほぼ定番です。それ、ドラマなどでは単に「貧しい青年」とされていますが、実際に朝鮮戦争を経験した人たちの話を聞いてみると、当時北朝鮮にあっさり協力した人たちには、先の『身分による住み分け』など、身分によってばかにされていた人たちも、大勢含まれています。

 

このように、身分制度は結構長く、そして今もまだ、韓国社会に影を落としているわけですが・・いまは家系図ではなく高価マンションが必要なだけ・・そこはともかくして。それでも韓国では、大勢の人たちがこう主張しています。「1894年に身分制度は廃止された。それで、両班の地位(家系図など)をお金で買えるようになったので、違法でもなんでもなく、両班階級が急に増えて、その結果、身分制度が完全に崩壊した。併合時代のおかげではない」、と。最近の医師ストの件で、ヘラルド経済がまたもは同じ主張をしました。「年2000人なら増員しても大丈夫」という趣旨の記事ですが、なんでここで両班たちの話が出てきたのかはよくわかりません。ただ、最初の部分にこう書いてあります。

<<・・貴族と平民を区分する身分制が強固に維持されるためには、貴族の数は常に少なく維持されなければならない。労働しない貴族が、生産に従事する平民より数が多くなると、体制維持が難しい。朝鮮で500年間維持された身分制は、1894年甲斐改革の時に公式廃止された。それでも国民は両班になりたかったし、このため家系図を売買する現象も現れた。朝鮮初期には人口の約7%だった両班が、朝鮮後期には約70%まで増えた。そのおかげで国民の意識の中から身分制の概念が消えた(ヘラルド経済)・・>>

 

どうでしょうか。ソース記事には併合時代関連は書いてないし、そもそも医師スト関連の記事ですが、同じ主張を今まで何度も見かけました。論文から記事、個人ブログまで。1894年からだ、そのおかげだ、併合時代になる前に身分制度はほぼなくなっていた、と。じゃ、『両班急増現象』について、ちょっと資料を引用してみましょうか。朝鮮時代の有名な儒学者だった、時代劇にもよく出てくる人ですが、丁若鏞(1762~1836)という学者が、当時の身分制度の状態を『身布議』という文書にこう書き残しています。文書の年代は不確かですが、1836年に亡くなったので、1836年よりは前のものでしょう。

「両班にならないと、軍布免除にならないから(※無償で兵役免除にならないから)、とにかく民は誰もが両班になりたくて仕方がない。地方の士族名簿に名前を書いてもらっては両班だと言うし、偽物の家系図で両班だと言うし、故郷からわざと遠いところに行っては(※自分を知っている人がいないところまで行って)両班のふりをするし、文官志望生徒の巾をかぶって官吏登用試験場に入るとその時から両班だ。こんな風潮が隠密に溢れ、年々増え月々増えている。このままじゃ、国中が両班だけになってしまうのだろう」。理由は、兵役だけではなかったでしょうし、このように、すでに1800年代になってからは、両班の数が急増していました。まるで家計債務です。いやPFというべきか。本エントリーも医師ストとは関係ありませんが、そういえばこんな話もあったな、そして今も同じか、そんな気がして、綴ってみました。

 

 

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