漢字がわからない漢字文化圏の現状・・教師「中学生でも文化遺産の説明文がわかりません」

これまた、忘れた頃には出てくる話ですが・・漢字教育について、です。今回は、学校の授業の一環で文化遺産を訪れた中学生とその教師たちの話ですが、ハッキリ言って、「説明文が読めない」とのことでして。記念館や文化遺産(関連遺跡や遺産)などで行う授業を現地踏査と言いますが、今回は東学関連の踏査授業でのことです。東学は、個人的には朝鮮後期の「なにこれシリーズ」の一つにすぎませんが、韓国では高く評価されています。同行したオーマイニュースの市民記者の記事です。以下、出てくる、すなわち記事が指摘している単語は、日本ではあまり使わないものも含まれていますが、韓国では一般的に使っている(いた)漢字単語です。

「彼らは、ここで謀議して」と教師が説明すると、学生が「謀議ってなんですか?」「模擬テストの模擬も同じ意味ですか?(※発音が同じ)」と質問しました。教師は「ええと、だから、作党して、謀議したというあの謀議だよ」と話したら、今度は「さ、作党はまたなんですか」と中学生の皆さん。教師は「け、計略を立てていたといえばいいかな」としたものの、計略の意味も通じず。教師からしたら、「うわあぁぁ」な話です。すなわち、漢字を見て直接「読む」、「書く」という話ではありません。韓国語読みでも、その単語そのものがわからない、と。漢字教育はなくなった、または機能しなくなったものの、それに相応する、代替できるなにかの『言葉または語彙』が用意されていないため、表れる現象だと言えるでしょう。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・「難しい漢字の代わりにわかりやすい私たちの言葉に変えて書くのが望ましいと思います」、「難しい漢字語を身につけるようにするのが正しいと思います。語彙力と思考力は比例します」。引率教師たちの間で、時々議論が起こった。管内の中学生たちと東学をテーマに話を進める途中だった。漢字語のある遺跡の案内板が読めるどころか、私たちの言葉でできている説明すら理解できない中学生たちのことで、様々な意見がでてきたわけだ。碑石や扁額などに刻まれている漢字は、学生たちにはどちらかというと「抽象画」だった。意味はともかくして、一つの文字でも読める子が十五人のうち一人もいなかった。漢字を学んだこともなく、教育課程に開設されている場合でも「その他の科目」扱いで、ちゃんと勉強する場合がほとんどないからだ(※大学入試に出ない、成績に重要ではない、という意味です)。

 

学生たちは「謀議記念塔」で「謀議」がどういう意味かを尋ねてきた。「作党して謀議」というじゃないか、と話すと、今度は「作党」がなんですかと聞いてくる。踏査の授業が、急に単語解説の授業のようになった。さらには、「模擬テスト」のあの模擬ですか質問されたときには、さすがに言葉を失った・・・・「計略を立てること」と説明したところ、ああ、今度は「計略」が何を言うのかとまた質問されてしまった。漢字語に代わる私たちの言葉になにがあるのか、続けて考えながら、何度も何度もこんなやり取りが続いた。

中学生たちは「古宅」が昔の家だという意味だとわからず、読み取ることができず、「官衙跡」も、当時に官庁があったところだと説明しなければ、理解できなかった。すぐに官衙という言葉からして難しかったようだ。当初、古宅の代わりに「昔の家」、「官庁があった場所」などと表記しなかった関連公務員の無関心が問題だとする声も出てきた。遺跡地ごとに世の中を救済するという意味の「済世」、国を助けるという「輔国」、民を快適にするという「安民」・・・・なども詳細な意味を説明しないととうてい理解できる言葉ではなかった。スケジュールに追われてこれ以上単語の意味を説明することもできなかった。遺跡を直接訪ねても、漢字が読めなくてなにもわからないのが現実であるわけだ・・

 

・・結局、漢字を教えなければならないという主張は、何度も力を失ってうやむやになった。中学校では難しいという理由で漢文教科を避けるし、高校では大学入試に必要ないという理由で選択しない。最近は、大学生でも自分の名前を漢字で知っている場合が珍しいという。書いてある内容に漢字が減ったのは事実だが(※ハングルだけの表記にするところが増えてきたそうです)、依然として文化遺産案内板が読めない、わからない。読んでみなければ理解できないので、そもそもまったく見ない。小学校の低学年の子どもと、高校生を対象にした説明が、あまり変わらない。理解する語彙のレベルに、さほど差がないからだ(オーマイニュース)・・>>

 

「私たちの言葉」ですが、これは基本的にハングルのことです。詳しくは、「漢字語」は韓国語の範疇に入ります。すなわちソース記事は「漢字語(漢字でできているけど実は韓国語の範囲)」の単語もわからないという話なので、「韓国語」ではなく「私たちの言葉」と書いているのではないか、と思われます(私見です)。特に気になるのは、引用最後の「小学生用に書いたものでも高校生用に書いたものでも、その語彙のレベルがほぼ同じ」だという部分です。これだと、昔の資料はもちろん、最近に書かれたものでも文学レベルの文章が理解できるのかどうか。引用部分にはありませんが、教師の中には「語彙に関しては、漢字というよりそもそも本を読まないのが問題」と話す人もいたそうです。先も書きましたが、「難しいからもう使わない」を考える前に、使わなくなったことでできる空白をどうカバーできるのかを先に考えておくべきだったのでしょう。

 

 

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