韓国各紙、「日本からオモテナシが消えつつある」と報道・・紹介されている事例は「富士山黒幕」など

今月中旬あたりから、複数のメディアが「日本からオモテナシが消えつつある」という記事を出しています。各記事を時系列で並べてみると、今回(前にも似たような記事が相次いだことはありますが、今回に限ってみると)のスタートは5月の朝鮮日報の記事でした。それから、複数のメディアが「そうだそうだ、円安でまずしくなったからだ」という主張をするようになりました。ちなみに、朝鮮日報の記事に円安関連内容は『円安によるオーバーツーリズム』という一行だけです。それだけでなく、よく読んでみると、ちょっと妙なところがあります。

各記事が取り上げているのは「外国人観光客に二重価格」「円安」「物価で余裕がなくなった」などの話ばかりですが、実際に日本に行ってきた人が書いた記事はありません。すなわち旅行記のような形の記事はありません。本エントリーでは東亜日報(6月18日)と朝鮮日報(5月23日)でも、私の読み方の問題かもしれませんが、「そうに違いない」的な文章がほとんどです。オモテナシがどうとかの話というより、ある種の「ほら、これが証拠だ」な記事ではないだろうか、そんな気もします。今年初めから、韓国メディアには『円安はわるいもの』という側面(もちろんそんな側面『も』ありますが)を強調する記事が相次ぎました。それらの『証拠』を見つけようとして、オモテナシという単語を取り出しただけではないのか、そんな気もします。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・円安は輸出企業の価格競争力を高めるための主要な手段だった。だが、投資拡大と所得・消費増加という好循環につながらなかった。海外に生産基地を移した日本企業が増え、輸出拡大の温もりが内需に広がらず低成長は長期化した。むしろ輸入価格の上昇で庶民と中小企業が影響を受け、円の購買力が下がり、日本国民がまずしくなる結果だけ生んだ。長期低成長はおなじみの日本の文化も変えた。先進国のゆったりとした余裕がなくなり、日本特有の「オモテナシ」文化が消えた。安く日本を楽しんでいる外国人観光客に対する、「自分のものを『他の誰か』に取られたとする考え(※意訳です)」により、外国人観光客に「二重価格制」が広がっている。日本製造業を象徴する「モノづくり」も薄れた。トヨタをはじめとする日本自動車業界全体に蔓延した認証操作スキャンダルは、日本企業に適当さが染み込んでいるという証拠だ(東亜日報)・・>>

 

<<・・最近、日本の山梨県のコンビニの前に高さ2.5m、幅20mの黒い幕が設置された。ここは日本最高峰富士山の全景を見ることができ、いつも外国人観光客で混雑しているが、騒音やごみなど問題がおきて、見られなくなってしまったのだ。日本でさえ「コンビニエンスストアの前で地域特産品を売るなどの機会にすることができるが、やりすぎ」という指摘が出ている。東京浅草など日本主要観光地に位置する雑貨店・スーパーマーケット店舗には最近、レジに椅子が設置され、話題だ。アルバイト労組の要求によるもので、メーカーも「座って客を応対してもいい」と続々と指針を変えている。コンビニの前に幕を立ててもスタッフが座ってゲストを受けても、別にいいと見ることもできる。しかし、日本特有の「おもてなし」文化を考慮すると、最近外国人観光客を眺める日本の変わった視線を端的に示す変化だ。

日本食堂・雑貨店などの職員は、お客様に挨拶する際、腰の角度から表情、メント、言葉の速度まで教育を受けることが多い。外部から来た客につくすことで再び訪れるようにするという、いわゆる「おもてなし」文化だ。このような文化が最近、観光客のゲストを扱う方法から始まり、目立つように曇っている。最近円安で外国人観光客が増えてオーバーツーリズム問題が浮上すると、彼らの外国人を眺める視線は冷笑的に変わっている。最も問題は、これを「別に来なくてもいいですけど」なやり方で解決しようとしているということ・・(※二重価格などの話の後に)・・最近、韓国の芸能人が食堂で一般の客たちの食事代を支払った逸話が話題になった。彼は「彼らのお陰で(私が)生きていけるから」とした。日本が観光大国に上がった背景も同じだと思う。特有のオモテナシ文化も一役買っただろうが、逆に着実に訪れる観光客がいなかったら今のように発展したのだろうか(朝鮮日報)・・>>

 

両紙の記事を見ると、どうしても「外国人観光客に対し、ねたみに近い何かの感情を持っている」という結果ありきの内容ではないのか・・そうしか思えません。というか、オモテナシの定義そのものに違和感があります。たとえば、記事内の「レジに座ってもいい」というのが、なんで「外国人観光客を眺める」心理とかかわるのか、よく分かりません。朝鮮日報の記事は、日本側のネットの書き込み(記事のコメント)『日本とて天国じゃないだろう』(だからオーバーツーリズムに関する何かの措置が必要だという趣旨)を論拠のような形で取り上げていますが、それは、オモテナシがあるかどうかではなく『議論』でしょう。

ちなみに、私も日本に移住する際、拙著にこんな文章を書いた記憶があります。日本で暮らすようになると、快く思わないこともあるかもしれない(いまのところ、そんなのありませんが)、そんな話のことで、「私は日本で住むことを選びました。天国で住むことを選んだわけではありません」、と。オモテナシもそうですが、すべての礼儀は一方通行ではありません。オモテナシだって、店が客に施す『だけ』ではありません。客も店のマナーを守らないと、真の心地よさなど成立しません。黒幕などは、そういう見方も必要なのでは。そもそも、日本からオモテナシが消えつつあるなら、なんで韓国を含め世界中から日本へ観光客が集中しているのでしょうか。今日の更新はこれだけです。次の更新は、明日の11時頃になります。

 

 

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