韓国の新造語「平均アッパーカット」とは・・大手メディアが「道徳平均アッパーカット」を指摘

少し前の(9月11日)の朝鮮日報のコラムですが、どことなく、本ブログで書いてきた内容、特に『韓国の日本観』とも繋がっているような気がして、今日エントリーしてみます。まず用語を一つ説明したいですが、韓国のネットには「平均アッパーカット(原文では『平均上げ打ち』)」という言葉があります。例えば、スーパーリッチな高所得者がいると、他の人たちの所得が低くても平均が高くなり。実体が把握できなくなります。そういう現象から来た表現で、実際はそう『◯◯の分野で優れている』わけでもないのにそういうふりをする人または行為などを、◯◯平均アッパーカットと言う、そんな使い方もあるようです。ソース記事の朝鮮日報がそんな使い方をしていて、この言葉を、道徳関連で引用しています。自分は道徳的に上の人で、相手は道徳的に下だという考えを強く持っている人たちのことで、実際はそうでもないのに『道徳の平均にアッパーカットをしている』という、ジョーク交じりな書き方です。

そして、『あなたは、あなたが思っているほど、道徳的ではありません』、とも。ダイレクトでいいですね。この道徳平均アッパーカット、本ブログでも何度も取り上げた日韓関係の「道徳的優位」という言葉を持ち出すまでもなく、韓国社会のいたるところで確認できる「教化」たる考えとも繋がっていると言えるでしょう。徳の高い人が、そうではない人を正しく導くべきだという考えから始まったものですが、実際は、「他人に自分の言う事を聞かせる」ための名分のようになってしまいました。高い徳で相手を感化させるのではなく、逆に「私に感化されない人に問題がある」という間違った考えになってしまったわけです。道徳平均アッパーカットも、似たような現象だと言えるでしょう。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・(※見出し)「思うだけでいいだけのことをわざわざインターネット上で『訓戒(※間違えないように教えてしつけること)』する世界。相手の立場で考えることが必要。私たちは、私たちが思っているより道徳的ではない」。 大韓民国青年会社の代表コミュニティは、「ブラインド」だ。韓国だけで600万人以上が加入したこのアプリは、利用者のIDの代わりに、職場が公開される。構造がこのようになっているだけに、大企業の会社員たちが発言権を得やすい構造になっている。主な談話もまた、離職、キャリア、インタビューの感想、年俸の交渉や比較など、大企業のサラリーマンが縄張りを作っていくことになりやすい。大企業の雇用が20%にもならない国で、このようなコミュニティが代表といわれる現実が、「平均アッパーカット」という流行語ができた理由の一つであろう。

 

(※2021年基準OECDデータで「250人以上の企業の雇用が全体の雇用で占める割合」は、韓国14%で、OEC国でも特に低い数値です。アメリカが58%で1位、日本は約40%で6位。詳しくは9月24日にエントリーしています) 50%に収束しなければならない平均値を、上位20%がもっていくこの現象は、所得、財産、学閥などの有形資産にのみ存在すると思われがちだ。しかし、無形の「平均アッパーカット」も存在する。インターネットで流行っている「道徳平均アッパーカット」現象の話だ・・(※社会的に問題を見て怒りを覚えるのは仕方ないが、そういう次元の話ではないとしながら)・・「道徳平均上げ」の問題点は、十分に異見がありえる行為にまで適用されてしまう点だ。単に自分の理解が足りないだけなのに、それを他人の道徳の問題のようにしてしまうからだ。

ネットでは、社会的弱者に向けた道徳的『訓戒』が溢れている。カフェで子供と一緒に遊んでいるだけの母親を『他人のこと考えないで自分の子を可愛がる』と決めつけたり、基礎生活受給者を無条件で社会的な問題とする行動、などなどだ。あえてインターネットに文まで載せて『公開的に問題にする』理由の核心は、二つだ。自分に向けた寛容と、他人に向けた不寛容だ。だから「あの人は道徳ではなく、私は最小限の道徳心を持っている人だ」という話をするわけだ。では、他人を道徳的ではないと言う人々は、本当に道徳的なのだろうか。わからない。ただし、平均値だけを見てみると、そうでない可能性が高い。

 

2015年、ドイツのケルン大学である実験が行われた。実験者側からランダムにスマートフォンに信号を送ると、参加者は信号を受けるたびに直前1時間の間、自分がした道徳的なこと、道徳的でないことと、直前1時間観察した他人の道徳的なこと、道徳的でない行動を書くことになっていた。実験の結果、自分が道徳的なことをしたと報告した頻度は7%、他人が道徳的なことをしたと報告した頻度は3.5%だけで、倍の差があった。この他にも、人間が他人よりも自分を過大評価した心理学実験の結果は、あふれている。多くの人が自分自身の道徳心さえ「平均アッパーカット」している現実だ。

十分に事情があるかもしれない人々、決して道徳的にどうかを論ずるほどでもない行為をあえて道徳で論ずることで、道徳平均アッパーカットをした結果は、そのままその社会に返ってくる。そこは、なにがあってもなにも間違えてはならない世の中、悔しいことがあっても弁護してもらうこともできない、そんな世の中になってしまうのだ・・・・他人を訓戒したくて『指』がうずくときは、もう一度考えてみよう。私たちは、私たち自身が思っているほど道徳的ではないということを(朝鮮日報)・・>>

 

随分前・・本を書くようになった直後だと覚えていますが、「他人に厳しく、自分に寛大な人が多すぎで問題」という内容を書いたことがあります。それが、なにもかも他人の問題とする流れになり、社会問題に繋がっていくという、そんな話だったと思います。表現は異なれど、この道徳平均アッパーカットも同じ趣旨の話ではないだろうか・・そんな気がする、今日この頃です。言い換えれば、そのときから何も変わっていない、というかさらに昇竜拳っぽくなった、とも言えますが。ちなみに、詳しくかけるほど考えがまとまっているわけではありませんが、なにか自分の力が足りなかったことを日本では「至らない」と言いますが、韓国では「モンナン(モンナッタ)」と言います。

これは、『生まれが足りなかった』という意味になります。語源的に、どことなく自分の努力ではなく、生まれによって事前に決まっていたことに問題があるような、そんなニュアンスです。ちなみに韓国では偉い、優れている、などを「ジャルナッタ」、すなわち生まれが良かったと言います。アッパーカットという面白い表現ではありませんが、こういう単語が定着しているのを見ても、似たような考え(自分の問題ではないとする考え)はずいぶん前からあったのではないか、そんな気もします。潔く「(自分が)至らなかった」と言えばいいのに。

 

 

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