1894年、日本が朝鮮側に木材の代金を払うために汽船をチャーターした理由

前から報告していた、ザ・ニューコリア(1926年)の翻訳作業が、いったん、完了しました。本ブログで正式に紹介する日も来るでしょうけど、それまではまだ時間がかかりそうです。で、多分ブログで引用するのはこれが最後になると思いますが、当時の朝鮮政府の「通貨」に関する話をしてみたいと思います。まず面白いのが「當百銭」という白銅貨(ニッケル製)ですが、これは、1866年、王権強化の象徴として景福宮(キョンボククン、当時の王宮)増築工事費用のため、政府が発行しました。

これがなんで費用調達になるのかといいますと、当時は通貨に入っている金属の価値がそのまま通貨の価値になっていた時代です。ですが、ニッケル製の當百銭は、当時一般的に使われていた銅貨である「葉銭」の100倍の価値、まさに高額硬貨でしたが、実際に入っているニッケルの価値は、そこまで高くありませんでした。それを、『100倍』『5倍』と決めつけて流通させたわけです。当時の鋳造局「典圜局」としては、まさしく大儲けでした。しかし、そんなものがうまくいくはずもなく、公式には100倍なのに、実際の取引では100倍の価値が認められず、貨幣の価値が急落、物価の急騰を巻き起こしました。それから、1904年から、日本の通貨政策が入った・・そんな時代の話です。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・旧朝鮮政府の統治下では、さまざまな問題が重なり、商業と製造業の発展が妨げられていた。その中でも特に重要なのは、通貨制度の問題、そして、生命と財産の安全が守られていなかったことだ。朝鮮の古い通貨は、理論上では、銀本位制に基づいていた。しかし、実際に造幣局が発行した銀貨の枚数が非常に少なかったため、実質的にはyupchun(※葉錢)とよばれる銅貨、またはtang-pak(※當百銭)、 tang-oh(※當五錢)と呼ばれるニッケル製の白硬貨を使用して、各種取り引きが行われていた。前者は名目上葉銭の100倍、後者は5倍の価値があった。銅貨には2つの重大な問題があった。1つは、商品に対する銅貨の実際の交換価値は銅の含有率の本質的価値に依存し、したがって銅の市場価格によって価値が変わってしまうこと。もう1つは、銅貨の価値が小さすぎるため、大規模な取引では代金のために多くの、かなりの重量の銅貨が必要だったことである。そのため、日清戦争中に日本軍が朝鮮の奥地で木材を買ったとき、日本軍は蒸気船を丸ごとチャーターし、船いっぱいの銅貨(※葉銭)を代金として運ばなければならなかった。

 

一方、ニッケル製の硬貨は、名目上の価値が刻印された象徴的な貨幣であった。もともとは朝鮮政府が銅貨(※葉銭)の補助通貨として鋳造したもので、短期間は額面通りの価格で流通していた。しかし、これらの貨幣の実質価値と額面価値の差により、これらの貨幣の発行は非常に儲かるビジネスとなり、最終的に造幣局は無差別にこれらの貨幣を発行するようになった。その結果、貨幣の額面価値は意味を持たなくなった。さらに偽造も多く、これらニッケル貨幣は最終的に廃止されることになった。驚くことに、朝鮮の鋳造局は、偽造者たちから賄賂を受けて、公式金型を彼らに貸してやったりもした。以下に述べる、日本による朝鮮の通貨制度改革に関する記述は、1910~11年度の総督府年次報告書から抜粋したものである。1904年、日露戦争中に、日本人の財務顧問が朝鮮政府に雇われ、朝鮮政府に次のような通貨改革措置を取らせた。

 

(1)朝鮮の通貨基準は日本と同一にすること。これを実現するために、1901年に朝鮮政府が日本の金本位制をモデルに制定し、新しい通貨規定を施行した。(2)ニッケル貨幣は流通から撤去し、旧銅貨(※葉銭)は当分の間、使い続けることにした。(3)健全な補助貨幣が流通するようになったら、その葉銭もすぐに回収することにした。(4)すでに朝鮮で厚い信用をうけていたDai-ichi Ginko(※日本第一銀行)に中央銀行としての役割を与え、そこから発行する紙幣を公的、私的を問わず、すべての取引において法定通貨として認めるようにした。また、日本政府の通貨は、鋳造貨幣であれ紙幣であれ、朝鮮政府の要求する品質的に問題がないなら、朝鮮半島全域で法定通貨にするようにした。(5)通貨調整(currency adjustment)は、朝鮮政府の政府財務機関である度支部の長による監督の下、第一銀行によって行われるようにした。

通貨改革の第一歩として、1904年11月に朝鮮の鋳造局(典圜局)が閉鎖され、朝鮮の新しい貨幣を発行する作業は大阪の日本帝国造幣局に委託された。1905年7月、白銅貨と銅貨の回収が始まり、1911 年 2 月までに 4 億枚の白銅貨と、約600万円相当の銅貨が回収された。旧朝鮮政府の混乱した通貨制度を廃止し、日本の金本位制と同じ制度に置き換えるのにかかった総費用は、800万円未満だった。安定した通貨制度がもたらしてくれるさまざまな利点を考えると、これは安いものだと言えるだろう。

 

1918年の初め、朝鮮で流通していた貨幣の価値は6,960万円と推定され、そのうち旧朝鮮貨幣は300万円にならなかった。1918年4月1日、日本の貨幣法が朝鮮でも法律として制定され、1921年1月1日から朝鮮の貨幣の流通は禁止された。総督府はその後5年間、朝鮮の貨幣を日本のものと交換できるよう努め続けた。朝鮮で最初に紙幣が発行されたのは1902年、日本第一銀行からだった。3年後、これらの紙幣は朝鮮半島で法定通貨となった。

1909年に朝鮮銀行が設立され(※詳しくは、1909年~1911年までは「韓国銀行」という名でした)、紙幣発行権は同銀行に移譲された。1912年、流通していた朝鮮銀行券の価値は約2,500万円、硬貨の価値は400万円だった。1922年の初めには、これらの価値はそれぞれ1億100万円と900万円に上昇していた。通貨問題が解決し、1910年の併合後に全国の盗賊行為が迅速に鎮圧されたことにより、朝鮮半島への日本資本の投資、資源の総合的な開発計画などが急速に進むようになった(1926年、ザ・ニューコリアより)・・>>  明日は、1日休みをいただきます。ちょっと冬らしい風景を見に行ってきます。次の更新は、2月2日(日曜日)の11時ころになります。

 

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