石破総理、「戦後80年メッセージ」8月15日、9月2日ともに見送りか

石破茂総理が、いわゆる「戦後80年談話」を(8月15日、9月2日ともに)見送ることにし、調整に入ったというニュースがありました。めずらしく日本語記事がソースで、朝日新聞(8月1日、ヤフー版)です。まだ確定ではないみたいですが、本当に見送りになると、毎年続いてきた談話シリーズが途切れることになります。「若い世代に責任を負わせるべきでない」とした、いわゆる安倍談話のように、既存の談話と比べて新しい内容が無いなら、無理して出す必要もないでしょう。このまま「何もしない」路線で行ってくれうなら、そのほうがいいではないでしょうか。本ブログでも何度も取り上げましたが、李在明政権になってから(その前も同じでしたが)各メディアが出してきた日韓関係関連記事の核心は、80周年談話と経済協力です。そう考えると、なおさら、もう談話は無しでいいじゃないでしょうか。

記事によると、石破茂総理は、今月15日にも9月2日にも、総理個人としてのメッセージを文書で出すことを見送る方向で調整に入った、とのことです。参院選での負けが大きく響いたようです。いわゆる「石破下ろし」が続いている中、保守派議員だちのさらなる反発が予想されるため、と。記事は、「村山内閣などから戦後の節目に続いてきた文書の発出が、これで途切れることになる」、としています。自民党内の保守派議員たちは、いわゆる「安倍談話」以降の新たな談話は必要ないと主張している、とのことでして。それでも石破総理は、閣議決定を伴う戦後80年談話は出さないものの、私的な諮問機関による検証などを経て、「個人メッセージ」を文書で出すことを検討してきました。今回、それも見送ることにしたわけです(まだ確定ではなく、そう調整に入った、とのことですが)。以下、各紙、<<~>>で引用してみます。




 

<<・・しかし、7月の参院選で与党が大敗し、自民党内では首相退陣を求める意見が噴出。首相は党内で自身の続投への理解を訴えているものの、「石破おろし」の沈静化の兆しは見えない。複数の政権幹部によると、こうした党内の混乱した状況のもと、私的諮問機関に入る有識者の人選は進んでいない。政権内では、首相がメッセージを発出すれば、反石破勢力がそれを口実に退陣要求を強めて政権そのものの存続が危うくなるとの見方が広がり、首相も「歴史認識に触れる機微なテーマにこのタイミングで手を出すべきではない」(周辺)との判断に傾いた。ただし、首相は周囲に「戦後80年の節目に首相を務めている意味をよく考えたい」とも語り、秋以降の党内情勢などを見極めて検討を続けたいという意向もある(朝日新聞)・・>>

 

尹錫喜大統領の頃から、いわゆる「コップの(水の)半分」論が続いています。コップの半分は満たしたから、残りの半分は日本側が誠意を見せるべきだ、という意味です。その尹錫喜前大統領がいまどうなっているのかを考えると、なんでこういうのだけ「継承」を主張するのか疑問ですが、とにかく政権が変わってもこの主張は変わりませんでした。前にも引用したことがありますが、6月10日の朝鮮日報もそうで、石破総理が80年談話で「努力」を示す必要がある、などと書いています。




<<・・(※戦後80年談話で、韓国側が望んでいる表現は出てこない可能性が高いという話の後に)そもそも談話を出さず、専門家分析だけ発表するという報道(3月、産経新聞、読売新聞など)もあります。この場合、李大統領が望む表現は出てこないでしょうが、石破が当時の日本の「失策」に言及する可能性はあります。執権自民党の保守係でも、このような可能性について緊張していると聞きます。現在、現地政界の状況を考慮した時、石破が(※失策指摘など)最大限の「努力」を見せれば、両首脳間の和合の余地を期待できるという部分です。李大統領と石破首相は15~17日、カナダのアルバータで開かれるG7首脳会議で初対面すると思われます。このような相性が、実際の外交ステージにも現れるかどうかに関心が集まります(朝鮮日報)・・>>

参議院選挙のとき、韓国の多くのメディアは、「李在明政権と石破茂政権はすごく相性がよかったのに」という記事を載せていました。なにかあったのか、と言いますと・・「まだ」なにもなかった、という状況でしたが。そもそも参議院選挙のとき、両国関係が話題になったことなどありませんでしたし。それは、こうなること(韓国側が『望む』表現が出てこない)を予想していたから、かもしれません。筋目の談話が途切れる・・一時的なものかもしれませんし、単に選挙結果による保身のための措置かもしれません。しかし、これはこれで、望ましい「変化」ではないでしょうか。いままでの内容を考えると。

 




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