「日本社会は『わびさび』と『靖国』に分かれています。個人は素朴に暮らす『わび・さび』の文化を志向しますが、支配層は天皇制に捧げられた死を大げさに礼賛しながら靖国神社を崇拝します」。
「私(韓国人)はさくらを見ながら生きる喜びを、知人の日本人は死を見出しました」。
「日本社会は縮小志向のように見えますが、実は拡大志向を隠しているので、機会さえあればいつでも外部に進出しようとします」。
「ものを小さくした(※製品を小さく、高性能にするという日本の特徴)のは遠くまでたくさん売るためであり、弁当が発達したのは長い戦争文化の遺産です」。
これらが日本専門家の意見として、大手マスコミで普通に記事になる・・それが韓国の日本観です。
http://v.media.daum.net/v/20180416030245086
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面白いことに、これらの案件はすべて「韓国人が気にしていること」です。
まず「戦争の~」は、韓国人が羨ましいと思っている日本の文化に対して韓国人がよく使うキーワードです。
コンビニの普及などもあって、ここ数年、急激にクローズアップされた日本の弁当文化。韓国では「日本旅行に言ってコンビニ弁当ばかり食べた」という人も多いです。韓国ではドシラクといって、昔から弁当文化はありましたが、日本ほど発達することはできませんでした。
日本で弁当が発達したのは、公演文化のおかげだという話も耳にします(幕の内弁当は劇の幕の内に食べるものだったという説もありますし)が、個人的には「旅行」が大きな理由だろうと思います。1月に「日本の観光ビジネスを支えているのは、日本人だ」というエントリーにも書きましたが、日本人は昔から旅行好きでしたから。
でも、本記事でもそうですが、とりあえず戦争のせいだとします。戦争に弁当を持っていくのでしょうか?
桜に対しても、日本人が桜から「死」を見出すのは戦争の、天皇のための死を名誉あるものだと思っているからそう考える、とします。
聞いた話しですが、韓国ではなかなか治せなかった歯周病患者が、日本で歯周手術を受けて完治し、「さすが戦争をやった国は違うな」と話したとか。とにかくなんでも「戦争のおかげ」とすればなんとかなる(その文化を格下げできる)と思っているのでしょうか。
投影にすぎない話も目立ちます。韓国文化には「農村文化と宮殿文化しかない」という特徴があります。宮殿文化(王族と、かなり高位層の貴族文化)と農村文化(悪いニュアンスで田舎文化という意味)しかないのが、古くからの朝鮮半島の特徴です。
いまは、宮殿文化はほぼ消滅し、農村文化だけが残りました。王が食べていた料理の作り方すらも残っていません。ソウルなども実は(農村人口の急激な流入による)農村文化の適当な詰め合わせでしかありません。どこか「煩雑でバラバラに見える」「無理矢理詰め合わせた」ソウルのイメージと合い通じるものでもあります。それはそれでいいと思ってしまえばそれだけですが、良し悪しは別にして、それは韓国人自ら身分の低いものとして虐待してきたものでもあります。外国の優れた文化を「自分のもの」にしたがる理由の一つかもしれません。
縮小や拡大の話も、実は投影にすぎません。韓国は、何かあれば縮小(被害者)を演出し、少しでも機会があれば拡大します(加害者になります)。
批判は、肯定的な要素もあります。しかし、自分に向けるべき批判を他人に向けて発するだけなら、そこに肯定的なものなどなにもありません。本ブログでいつも書いている「韓国社会の問題は、問題そのものではなく、その問題の改善が無いこと」のもっとも大きな理由かもしれません。
前に「あなたたちは、自分の恥ずかしいところを隠すために、他人の謝罪を必要としていませんか」という、生徒たちに残した某教授のセリフを紹介しましたが・・・まさにその通りですね。
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短期間にパッと咲いてパッと散る桜の姿に、はかなさ(もののあわれ、諸行無常)を感じることもあるし
「散らない花なんか無い、散るからこそ咲いた時に珍しく美しく感じる」という世阿弥の言葉もわかる。
個人的に桜は、散ってしまっても来年また必ず日本各地で咲いてくれる、みたいな安心感がありますね。再生のイメージというか。
弁当は古くは飛脚や旅人などの携帯食のイメージがあります。
桜については、満開だった桜が散ってしまうのが名残惜しいために多くの歌の題材となったイメージがあります。
そこに天皇は別に…私の中では結び付きません。
韓国の分析?で思うのは、結論ありきの印象論が多いなという事です。
こういったものが罷り通る世の中は、詐欺や扇動の温床となり得るものだと思います。
が、日本にも朝日があるし…詐欺扇動について取締りが出来るようになって欲しい。朝日なんて詐欺罪が幾つあっても足りないし、現在進行形で犯行中。いい加減にしろ朝日!
おっと話題がズレました(^^)
右の耳から入れて左の耳に出してください
『日本人武人説』(ウリ提唱)
日本人は常に戦かつている。現代人は意識していない
季節や災害・・・・・・・など
食事のとき『いただきなす』の一言で生命や運ぶ人作る人の加害者であり、勝者であることを宣言している
赤ん坊でさえ泣くことにより注目せよと命じ、血さな手・足のニギニギで心をわしず咬み、まあるいお目目でかわいい光線発射、ただ範囲が身長の3倍程度
こんな新説を表明するあたしが憎い
わびさび う〜ん 律令国家から 武士の行う 封建制度に代わり
華やか ちゃらちゃから 渋い クールな 文化 教養 生活創造 かな?
管理人様 そろそろ 擬音語が 理解出来る頃かな? 先ずは 雨が しとしと降り 晴れると 太陽が ジリジリと肌を焼く 季節になりますよ。
>「韓国社会の問題は、問題そのものではなく、その問題の改善が無いこと」
永遠に改善はされないでしょうね
だって問題は全て他人のせいなのですからw
自分は被害者なので、改善すべき、反省すべきは他人…
全員がこう思ってるのだから改善されるはずもありませんねw
わびさび=素朴に暮らすって、なんというか脱力感しか感じませんね…
先日、虫の声についての記事を読んだのですが
虫の音を「声」として言語脳で聞くのは
日本人以外にはポリネシア人しかいないという内容でした。
草むらで鳴いている虫の音が
日本人にはよく聞こえるのに同じ場所に立っていても
他の国の人はまったく聞こえないのだそうですね。
日本人にしか虫の音が聞こえないように、同じ場所に立っていても、
日本人にしか見えない風景があるのかもしれませんね。
(シンシアリーさんは虫の音が聞こえますか?)
日本人がミニマムなものが好きなのは、
なぜか日本列島に生えている草花まで小さく可憐だった事と同じように
淘汰されていく生命の中で、そういうものが生き残る素地があったような気がします。
集団で寄り添って暮らしてきたので
「各自が必要な分、少しだけとって他の人にもゆきわたらせる」のが本能的に備わっているというか。
「奪って大きくなる」のではなく
「分けてみんなで生き残る」事を志向する個体が生き残ってきたのかもしれません。
「日本専門家」が、いくら目を凝らして探そうしても見つからない
「残忍な征服欲」は日本では別なものに置き換わっているのに、
その代わりにそこにあるものがきっと見えないんだろうと思います。
ところで、お弁当と言っても、観劇の為のものや、野良仕事の合間に食べるもの、行事、旅行、仕事や学校に持っていくものなど
元々のなりたちや意味が違うものすべてがお弁当なので
そもそもなぜ発達したかっていうのはひとつの理由で語るのは難しいような気がします。
「かわいいは正義」と言ってしまえば全部解決するような気もしますが。
自分の生き方に自信が持てないから周りの目ばかりが気になる、その典型的な例ですね。
日本の事はどうでも良いから、自分の姿を、その現実を、曇った目を見開いてよく見なさい。
日本人の考え方文化風俗は だいたい江戸時代のせい
とくに「人口100万人、男単身世帯多数、高い給金とありあまる仕事」の江戸が
旅行文化がその最たるもので
地区で伊勢参りの積み立てをし、一人分貯まったら順番に伊勢参り。
旅籠はもとより土産物屋が発展。軽くて痛まない土産が多数開発され、積み立て(その時点では自費は1/5しか払ってない)してくれた「近所に土産を配る」風習が生まれる
300年平和だったせいで子供から犬まで、ほとんどの人が伊勢参り行ったという大旅行時代(大航海時代に対抗してみる)
江戸風俗を調べると日本人というのがずいぶんわかる気がしますよ
まあ飯テロ情報が圧倒的なのが食欲中枢に悪いけどw>江戸風俗本
桜のイメージは?って日本人に聞いて、死と答える人はどれくらいいますかね。散るイメージの強さはありますけど、それを短絡的に死にだけ結びつけるのは感性が貧相過ぎる気がします。そんな日本人はほとんどいないと思いますね。
あと、死のイメージが天皇のためっていうのはあまり深く考えなくても江戸時代に既にあった切腹と矛盾しますね。ハラキリで世界的に知られた日本の古い文化を完全に無視して、戦争にだけ結びつける分析能力は一体なんなんだろうと思います。
ここまで分かりやすい偏向バイアスもないとは思いますが、韓国マスコミの限界がそれくらい低いんでしょうね。シンシアリーさんには申し訳ありませんが、それを信じてしまう国民の能力もそれと同じに思えてなりません。
韓国にストレスを感じるのがこういった日本に対する出鱈目文章が大学教授だとか新聞記事だとかに延々と述べられる事。
文化や技術の横取りと同じくらいに気分が悪い。
自分たちのレベルが低いから理解できないにしても、大学教授とか専門家なんですよね。こんな事書いているうちは、この先も韓国は変われないでしょう。
昔からわびさびを美しいと感じて、その趣を愛してきたのは茶室などを作れる余裕のある支配層や豪族たちで、わびさび文化はもともと庶民のものでは無かったと思います。
造園、庵、茶室、茶釜、値段のつけられないような茶器…
しかし、私達日本人の庶民がそれらを見て心が落ち着くことは確かですし、それは仏教の概念にも通じるように思います。
また、日本人の美意識は想像もつかない(シンシアリーさんは別にして)のではないでしょうか。
恥ずかしいと死んじゃいたくなる。
その恥ずかしいがそもそも韓国人とは別次元で、
おそらく韓国人でしたら開き直るパターンです。
約束したことが果たせないとか、そういったことに恥を感じます。
日本古来から第二次大戦中までとても多かった、生き恥晒す位なら自害するってのも、日本人の独特な美意識の一つです。
「行く河の流れは絶えずして… 」はかなく消えていくものに愛情を感じる文化もわびざびに繋がっているのでしょう。
毎年さくらを見て思うのは「今年も見れたなあ。生かしてもらってありがたいなあ」ですかね。この世の美しさに感謝しています。
お弁当と戦争!!
お弁当はまさに平和のイメージです。
花見の弁当。旅の弁当。相撲観戦、観劇の弁当...今では受験生の塾の弁当や、サラリーマンの愛妻弁当など。
そして、何よりこんなにバラエテイなお弁当が有るのは
「真心」と「愛情」を手作りに込める文化が有るからですよ!
治療してもらっても悔しくて罵らずにいられないのは韓国人だけの文化ですね。だったら来るなって言ったら、ハイ!ヘイト!!