希望と絶望・・社会問題が解決しない理由は何か

新刊の紹介ですが、最近書いてきた内容(『陣営論理』『気を抑えるのか』などなど)とも繋がっているので、恐縮ですがこのまま今朝の更新内容にしました。お読みくだされば幸いです。今回は、一言で「社会問題に関する話」ですが・・なんで解決しないのか、というのが核心です。世の中には多くの問題があります。でも、それに対する見方として、「希望と絶望」という言葉がよく使われます。ケース・バイ・ケースで単語の使い方は変わるでしょうけど(パンドラの箱に関する解釈のように、「希望」をむしろよくないとする場合もあるが、そういう『どちらもバッドエンド』な見方を論外とするなら)、一般的に「希望」のほうが良い意味なのは言うまでもないでしょう。

そもそも何の問題もないならこんな言葉が必要無いかもしれませんが、さすがにそのような楽園はどこにも存在しないわけですから。ある意味、私は個人的に日本社会からは「楽」を、韓国社会は「疲れる」を見出すと書いてきましたが、表現の趣旨的には似ているのかもしれません。これまた考え方はひとそれぞれでしょうけど、私は希望と絶望をわける現象として、「分断」があると見ています。社会において、どうしても意見が合わないということはあるでしょうけど、それを理由に完全なる分断を試みる人たちがいます。

 

「私たち」だけを完全に別のものとすることで、問題の解決、いや「解決されたとする」ことにしてしまうわけです。すなわち、「私たち」と別の考えを持つ人たちの集団を、「完全に別の社会のもの」とすることで、「私たち」が存在する社会には何の問題も存在しないことにしてしまうわけです。昨日のエントリーでも書きましたが、陣営論理などで「一つの国、二つの国民」という表現があります。もっとわかりやすく書けば、「一つの国に二つの国がある」です。そのほうが、問題が無いからです。なぜなら、問題は「私たち」以外のことだから。そのためには、いつまでも続く対立が必要です。「相手側」を認めたりすると、また解決すべき問題が発生します。私たちも同じ共同体になってしまうから、その問題の責任の一部を背負うことになります。「善◯論が、画期的な問題解決手段になっている」とでもいいましょうか。

 

拙著では、これを「分断」と表現します。政治だけでなく、社会各分野にあらわれている様々な分断。若い人たちと高齢の人たち、女性と男性、こっちとあっち、私と他人、豊かな人たちとそうでない人たち、すべてにおいて、「分断」、すなわち「私たちとは何の関係もない領域のものだ。その証拠として、問題は相手側によるもので、私たちはそれを対立している」という悲しい考え方が広がっています。特に少子化問題、合計出生率を探ってみるとこの現象は分かりやすく、国家としてシステムそのものの、いわば老化に繋がっています。問題が解決しないからです。誰も「私たちの問題」としないからです。問題が解決しないから、希望ではなく、絶望になるわけです。

本人たちは、気づいていません。とても賢い方法だと思っています。だから、「私たち」の中でもなにか問題が発生すると、また分断がおきます。また「賢い解決法だ」と思うかも知れません。でも、そうやっていくと、最後に残るのは、自分自身だけでしょう。意見の対立だけを言っているわけではありません。この前、朝鮮日報の新年(2023年)世論調査結果、「支持政党が異なる家との婚姻」はこまるという人が40%を超えていることからも分かりますが、「その意見だけ」ですむ話ではありません。連鎖します。「それはそれ、これはこれ」という考え方はしません。全ての分野において、分断が連鎖しています。

 

社会問題というものが存在しない国はありません。一部では、日本と韓国の社会問題は似ている、似たような問題を抱えているという見解もあります。でも、そこには、この『分断』という観点から見てみると、根本的に異なることが分かります。社会問題が発生するのは仕方ないかもしれません。でも、それが解決しないのはなぜか。そこに分断があるからではないのか。誰も「私の問題」と認識しないからではないのか。それが様々な形の「老化」で現れており、その中でも特にわかりやすいのが合計出生率関連ではないのか・・と。 恐縮ですが、この「社会の分断」について、新刊が12月21日に発売されます。韓国の絶望、日本の希望というタイトルです(※リンクはアマゾンアソシエイトです)。簡単な内容紹介などは、ページを参考にしてください。

 

 

おかげさまで、新刊「韓国の絶望、日本の希望(扶桑社新書)」2023年12月21日に発売されます(アマゾン発売日)。詳しくは、下記のお知らせをお読みください。ありがとうございます
・以下、コメント・拙著のご紹介・お知らせなどです
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