『アンチで始まる社会には、可能性など無い』

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ただいま!帰ってきました。後で写真でも載せてみます。

毎回毎回「曇る」内容ばかりの本ブログですが、今日は相対的に薄く曇る(曇らないとは言ってない)ということで、韓国の『女性学』学者チョン・ヒジン氏の韓国社会観を一つ紹介します。基本的に、『アンチで始まる社会に可能性は無い』です。すなわち、ある事案に無条件で嫌悪をぶつけるような社会は、発展の可能性など持っていない、という趣旨です。

筆者はこの「アンチの対象とされるもの」として、日本、北朝鮮、検察、言論を挙げています。それら4つに対して、韓国社会は無条件的な『アンチ』になる人たちが多すぎる、というのです。北朝鮮と聞いて無条件でアンチになるようでは、検察と聞いて無条件でアンチになるようでは、何の可能性も期待できない、というのです。

以下、ちょっと引用してみます。

 

(PCの場合、ここから「続きを読む』の後になります)

<・・日本、北朝鮮、検察、マスコミ… 。日常と価値観が、特定のターゲットに対するアンチで始まる社会は、可能性など無い。人々は、外部の敵を嫌悪するようだが、実際には絶対的な支配者としているにすぎない。維新独裁や5共和国時代、反・北朝鮮、反共を口実に統治権力が暴走していたとき、国民は息を殺した。今は保守・進歩勢力の動向に応じて、人々はそれぞれの陣営に集まってデモを繰り返す。お互いが相手を「積弊」と糾弾するが、敵の指示通りに動いている形である。 ← ※外部の敵が内部の問題を打ち消す効果を持つため、見方によってはその外部の敵のほうが支配者のようだ、という皮肉です、多分※

 

「おかげで」、内部の不法と不倫は、陣営の後ろに隠れることが出来る。相手の間違いは誇張し、味方の間違いは庇い尽くす。 「組み分け」は、頻繁に行われる合従連衡の政治であるべきで、検察とマスコミを基準にして定められるべきではない。「事案ごとに真実は違う」という話だ。

1994年、ルワンダの集団虐殺は、植民地支配者であるベルギーの分離統治の遺産であった。先住民族であるフツ族と少数民族であるツチ族間の戦争で100万人以上が死亡し、200万人が難民となった。両種族の間には「見た目」の区別は無かった。 「あの人がフツ(またはツチ)族です」という、他人の指の方向が生死を決定した。他人を指名した人だけ、生き残った。韓国戦争当時、村の虐でも同じことがよくあった。ルワンダ事態で機能していた論理と、韓国社会。果たし大差があるのだろうか(ソース記事:京郷新聞、外部リンクにご注意を)>

 

 

「あいつは敵のウリです」と言われた人は、潰される。その人を「敵です」と言った人は、生き残る。その恐ろしい力によって、ウリの内部問題は隠れることができる。だからこそ、アンチで始まる社会に可能性は無い・・・そういう話です。

本ブログで何度か同じ文章を書いた記憶がありますが・・「誰かを悪いと言うことこそが、私は悪くないという証明になる」、韓国社会の致命的な問題点。だから、アリス・ウィートン氏の喩え話に出てくる「嫌われ者は追い出される洞窟が、世界の全てである人たち」みたいに生きるしかない・・その話とも、部分的にオーバーラップするのではないでしょうか。

 

ただ、引用した内容に一つだけ反論しますと、そこに『日本』が入るのは、間違っています。なぜなら、北朝鮮、検察、言論は、すべて「味方と敵」がいます。優勢か劣勢かの差はあれど、少なくとも軍事政権が崩れてからは、擁護する人も、敵対する人もいました。しかし、日本は、『親日』というのはあまりにも無力です。潰されるか否かではありません。「いつ潰されるか」の問題にすぎません。その圧倒的な差があっては、「ウリとナム」すらも成立しないでしょう。韓国においても北朝鮮においても検察においてもマスコミにおいても、ただの『失敗作』でしかない反民族行為者たち、それが親日な人たちです。

 

 

 

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“『アンチで始まる社会には、可能性など無い』” への47件の返信

  1. 南朝鮮人も哀しいんだろうね…。

    自らの行い(アンチ主義)が、母国の発展の役に立たないと知っている。でも、それを続けずには、生きていられない。ゴキブリとして、人間にタカって生きなければならない。でも、それを続けたら、ゴキブリを脱することはできない。dilemma.

    ♪闇に隠れて生きる 俺たちゃ妖怪人間なのさ
    人に姿を見せられぬ 獣のようなこの体

    早く人間になりたい

    ♪暗いさだめを吹き飛ばせ ベム・ベラ・ベロ・ジェイン
    妖怪人間

  2. その暗い洞窟に、彼らはいつごろから暮らしていたのか。
    誰も知らない。
    彼らは、わずかなロウソクを頼りに生きていた。

    自分たちの姿を見たことがなく、洞窟の壁にロウソクの灯が映しだす影を、自分たちだと思い込んでいた。
    ゆらめく影は、世界でもっとも美しく、気高く、神の創りたもうたもののなかで最高の芸術品に違いないのだった。
    そして、この完璧な洞窟が、神に授かった楽園なのだと、彼らは信じていた。

    ある日、彼らの中の一人が、洞窟から外に迷い出た。
    まぶしい光に、彼は思わず眼をつぶったが、やがて目が慣れて来ると、己の姿が見えて来た。
    みすぼらしいボロをまとい、垢に塗れて、痩せこけた手足、自分の本当の姿が。
    彼は、慌てて眼をつぶった。
    己の姿が、そんなモノであって良いはずがない。

    彼は、眼を閉じたまま、手探りで必死に洞窟への道を戻った。
    仲間が寄ってきて「外には、何が有ったのか?」と尋ねると、
    彼は答えた。
    「何も無かった」と。

    そう、そもそも、外など、有ってはならないのだ。
    彼に、ふたたび平穏な日々が戻って来た。
    ロウソクの光をうっすらと浴びて、彼は幸せだった。

  3. 文大統領が頑張るほどに嫌韓の日本人が増えて、結果、韓国が日本からドンドン遠ざかるので日本としては大歓迎ですって論理ですね。要するに、文大統領は親日です(笑)

  4. いや、いや。

    アンチ日本を否定したら、南朝鮮に一体何が残るのよ???

    ムン・ジェイン大統領を信じなさい!

  5. アンチ日本を覆す。

    (期待は非常に薄いですが)きっかけになって欲しいのは、外国にいる同胞(南朝鮮人)です。

    外の世界の紛れもない事実を知ってしまった人たちが、祖国のために愛の鞭を振るう。決定的な役割を担うHEROが現れて、国内の愚民を導く。こんなストーリーを考えてしまいます。(無理筋なのは、十分承知です…)

    ときどき思い出すのは、プラトンの「洞窟の比喩」イデア論です。
    ttps://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%81%AE%E6%AF%94%E5%96%A9

    洞窟の中の人は、外の世界を見たことがないのです。信頼できる友人が、一度でも外の世界を経験して、戻ってくれば……。(あ~、やっぱり、無理筋ですね…)kkkkk

  6. 無条件にアンチにすべきなのは朝鮮王朝の歴史でしょ(笑)

    日本人以上に中華の研究をしていけば、何故自分達はこんな状態なのかと理解出来る筈
    ルワンダを例にせずとも,併合後リャンバンの一つ下の階級が元支配者に恨みつらみを晴らそうとした事ぐらい自明の理なのに、朝鮮王朝をまともな国と捏造すればそれも無理
    朝鮮は憎むべき対象がないと国として纏まらないのなら、対処療法としてアンチの対象を変える事ぐらいしか思いつかないわ

  7. 〉アンチで始まる社会に可能性は無い
    「歴史を忘れた民族に未来はない」
    似てませんか。後半部は大体同じような意味で取り替えても影響しない。
    すると、
    アンチで始まる社会=歴史を忘れた民族
    が成立します。
    何か対象を嫌うことで、自分の歴史を忘れられる、自分を振り返ることをせずに済む。つまり他人を嫌えば、自分が責任を追わずに済むわけです。
    イージーですね。

  8. 原文を機械翻訳してみた感じ比較的、読みやすい文章を
    書いているなと思ったのですが「可能性がない」という
    韓国語にありがちな言い回しは気になりました。

    なんの可能性だよって話です。読解力が普通にあれば
    文脈からして発展の可能性だと推測するのは簡単ですが
    読者が韓国人であることを考えたら省略すべきではない。

    むしろ発展の定義についての補足が必要な部分ですね。
    定義以前に発展の必要性を説くところから始めないと。

    根源的かつ伝統的問題として朝鮮人は発展を望まない。
    だからこそウリナムの構図から脱却できないと思えます。
    それではナムの毒を説いたところで意味は薄いでしょう。

      1. 昔は具体的な警句があったんですよね。
        「朝鮮人みたいなことをするな」って。
        今、それを川崎あたりで言ったら条例違反のようですが。

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