本題ではありませんが、京郷新聞の寄稿文で『法律で裁こうとするな。文化的制裁が法律より強い』という主張を見ました。歴史歪曲(とされるもの)をいちいち法律で裁こうとせず、文化的制裁でやっちゃえ、という内容です。ですが、文化的制裁という言葉(記事の題です)に興味があって読んでみたけど、文化的制裁がどんなものなのかは具体的に書いてありませんでした。多分、「歴史歪曲(とされるもの)をやると、社会的に制裁される文化を確立しよう」という趣旨だった・・私にはそんなふうに見えました。引用はしませんが、一応ソース記事(京郷新聞)のURLだけリンクしておきます。外部リンクにご注意を。
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本題は何なのかと言いますと、エントリータイトルにもありますが、「文化的証拠」です。『文化的制裁』な言葉で思い出しましたが、2016年、慰安婦映画『鬼郷』のチョ・チョンレ監督が、「この映画は文化的証拠だ」と話しました。そんなこんなで、今朝は、2016年2月4日のスポーツ朝鮮の<「帰郷」チョ・チョンレ監督、「映画が慰安婦の文化的証拠になれたら」>という題の記事部分引用してみます。
<「映画「帰郷」のチョ・チョンレ監督が、「証拠がない」という話に所信を明らかにした。(※2016年2月)4日午後、ソウル中区『メガボックス東大門』では、映画「帰郷」の試写会が開かれた。この日チョ・チョンレ監督は、「劇中で描かれた、日本の大規模虐殺は、どこまで本当なのか」という質問に対し、「この映画を撮る間、『証拠がない』という言葉を最も多く聞いて、本当に怒った」と話し始めた。続いて彼は「生きている方たちの証言があるのに証拠が無いというなら、私は映画を製作して文化的証拠を作らなければならないと考えた」と言葉を続けた・・(ソース記事:スポーツ朝鮮、外部リンクにご注意を)>
この映画、資金が集まらず、製作の下準備に14年もかかったそうです(これもまた、本当かどうかは分かりませんが)。証拠が無いと言われて怒ったなら、14年間、結果的には証拠を見つけることが出来なかったのでしょうか。で、無いなら作る。いや作らなければならない。私がやらねば誰がやる、そんな結果、文化的証拠とやらを作ったわけです。
京郷新聞の「文化的制裁」も、結果的には同じ趣旨じゃないだろうか、そんな気もします。本当かどうかは二の次で、そういう社会雰囲気を作り、その『文化』の中で生まれ育った人たちに同調圧力をかける、そしてそれを歪曲しようとするものには制裁を下す。文化的証拠もいっぱいある、と。
そう考えてみると、最近の本ブログによく出てくる「個人や社会を制御するのは法律ではない。良心と常識だ」という韓国与党議員の言葉(個人的に、悪い意味でヒットでした)が、ここでいう『文化』とも繋がる気がします。そういう文化が大事であり、法律など怖いだけだ、と・・・それって、『その文化に逆らった人に対して下す処罰』もまた、法律の届かない範囲まで自分勝手にできるという意味ですから。その中では、「法律や証拠を重要だとする考え方こそ、『文化』の重要な一部である」と考える人たちは、非文化的な人間になってしまうのでしょう。制裁の対象、『文化的証拠』を信じない大馬鹿者、として。
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