いつもの「K・古い記事」ですが、私が見つけたのではなく、15日付けの東亜日報が1922年の自社の記事を紹介しています。1922年にこんなこともあったんだ、という趣旨でしょう。海外で韓国(または朝鮮半島)関連の何かの展示会をやると、多くの場合、現地の韓国人を中心に『韓国はもっと凄いぞ』という苦情が発生します。そしてそれがそのまま新聞記事になり、国内の炎上具合によっては、政府が抗議することになります。
1922年にも同じことがありました。当時、東京では「平和博覧会」というのが開催され、上野公園に『朝鮮館』というのが出来ました。王の殿閣(王の私宅のようなところ)をイメージして作ったというこのブースは、当時の朝鮮人の模型(人形)、代表的な生産品としてお米と簡単な手工業製品を紹介、朝鮮の民間でよく使う絵などを展示していたそうです。平和博覧会のブースの中でも2番目に大きかったそうで、記事で書いてある以外にもいろいろあったのでしょう。朝鮮からも5000人以上が平和博覧会を見に行ったと言います。
ですが、東亜日報は「詛呪せよ!平和博覧会」という怖い題の記事で、「朝鮮から観光に行くな!」と主張しています。100年前にも日本観光ボイコットがあったとは、驚きです。
長いので適当にまとめてみると、「女の子を(ブースの)案内役に、キーセンを踊りの講演のために東京に招待した」、「殿閣のデザインが本物と違うししょぼすぎる」、「なんで朝鮮の生産品がお米メインだ」、「やすっぽい絵なんか貼るんじゃない」、「朝鮮人人形のイメージが悪すぎる」などで、日本現地の留学生たちの報告による、と。
それに、記事は一貫して朝鮮人観光客のほとんどが『動員された(強制だ)』としながら、『経験のないガイド付きで、着方も分からない人たちがスーツなんか着て東京に行ったところで良い評判などなにも無い』とも主張しています。雨の中、下手くそなガイドとともに慣れない服やヘアスタイルであるきまわっているから、東京の人たちからすると『何だあれは』にすぎなかったのでしょう。東京では『朝鮮人団体(団体観光客)』が、『不愉快』という意味で通用されていた、とも。ソース記事は東亜日報です。
当時としてはかなり気合い入れたイベントだったようですが、その中で2番目に大きいブースを、わざと悪いものにしたのでしょうか。それに、キーセンたちを東京まで連れてくるにもお金はかかるでしょうに、わざわざ彼女たちに講演を用意してやったことを考えると、とても「悪意があるブース」とは思えません。なにより、(1922年の記事ではなく今月の)記事で、「摂政宮(後の昭和天皇)が朝鮮館を訪問し、朝鮮人の女たちが奉迎した」と当時の別の記録が引用されていることからも、『決して悪意ある展示ではなかった』ことは間違いありません。大体、この記事自体、「観光にいくな!」とNO JAPANしていますが、強制に動員されたなら、観光に行くなという記事を載せる理由は何でしょうか。
(9月15日の)記事は、『この記事は朝鮮総督府にすぐに押収された。押収前に配布したものがかろうじて生き残っているのだろう』としていますが、シンシアリーがいつも使っているデジタルライブラリーを見てみたら、普通にありました。保管状態なども、他のものと差はありませんでした。記事そのものはスキャニングなので、すぐ分かります。
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