1923年9月30日、関東大震災後の朝鮮人収容所訪問記事

この前の朝鮮人労働者関連記事もそうでしたが、併合時代の朝鮮の記事を読んでみると、『朝鮮以外の地域を、記者が自分で取材したもの』がそうありません。これは、各新聞社の取材能力の問題というよりは、人力を含めたインフラの問題かもしれません。関東大震災の際は特にそうで、そもそも日本から情報を発してくれるところが殆ど無かったので、『~だそうだ』な記事以外に、朝鮮の記者たちがちゃんと取材して自分の目で見て書いた記事は、ほとんどありません。これもまた、状況が状況だっただけに、新聞社からすると仕方ないことだったかもしれません。

よく問題となる「いわゆる朝鮮人虐殺」の件ですが、警務局が発表した「朝鮮人が暴行されたというのは一部だけであり、噂に動揺しないように」という内容を載せただけの記事もあるけど、海外の抗日団体が「無数の朝鮮人が惨殺された」と発表したと紹介する記事もあるし、「地震以外のことで多くの同胞が殺された」と迂回的に書いている記事もあれば、逆に「朝鮮人と日本人が力を合わせて頑張っている」と書いている美談っぽい記事もあり、世界中から日本に向けられた人道的支援に感動したとする記事もあります。個人的に『本当かどうかが確認できない状態、朝鮮人が虐殺されたというのはかなりセンセーショナルな話だったはずなのに、関連報道そのものが禁じられていなかった』のが印象的でした。ちなみに、海外の団体というのは、ハワイの「国民会」で、朝鮮人虐殺を米国に調べてほしいと要請しているとか。彼らが主張する死亡者数は500人でした(1923年11月29日東亜日報)。

 

そんな中、東亜日報の特派員イ・サンヒョプ氏が、1923年9月30日、千葉県にある朝鮮人収容施設を訪れ取材した記事がありましたので、紹介します。施設には朝鮮人だけでなく中国人も1691人が収容されており、当時の日本は戒厳状態だったようで、訪問には戒厳司令部の許可が必要だった、となっています。

 

<東京付近で朝鮮人をもっとも多く収容しているとことは、千葉県下習志野である。私(特派員)は東京に到着した次の日からここを訪問するためにいろんな関係官庁に交渉してみたがうまくいかず困っていたところ、19日になってからやっと、戒厳司令部の将校と同行することで、心配も多く嬉しさも多い道を自動車で二時間半走り、目的地に到着できた。習志野は東京から80里(※朝鮮の里は日本とは長さが違います)離れたところであり、騎兵旅団の所在地であり、兵隊の練習場がある。朝鮮の人たちを収容しているのは、九州大戦のときに青島で捕虜にしたドイツの砲兵たちがいた居所と、東京から軍隊が練習にきて使っていたが古くて今は使っていない居所の二ヶ所であり、収容されている朝鮮の人は3024人で学生が約170人、それ以外はほとんどが労働者で女子も60人はいて、子供も少なくないし、側には中国人労働者も1691人がいるという。

 

所長である内富少佐からおおまかに説明を聞いた。最初は、一気に大勢の人々が押し寄せてきて、食糧ほかいろいろ実に困難であったが、様々な形で周旋し、食糧も一日に1人米2ホプ(※ホプ、홉は日本で言う『合』で、約180mlです)、麦2ホプずつ与え、やっとの思いでご飯を入れる茶碗も用意でき、今日からは初めてお湯を与え、汁にして食べるようにしたといい、ご飯を炊いて分配したり清潔・掃除などは収容されている人たちでやるようにしてあり、18日からは外で運動することも許可したという。軍隊にあった毛氈(もうせん)もありったけのものを配ってやったり、出来る限りの便宜は図っているとも言った。

 

 

それから収容所長の案内で収容室を見回った。出入り口には兵士が守っており、その中には(※人たちが)敷物の上に並んで座っている光景が、戦時の捕虜ってこのようなものかもしれないし、私の経験からだと、刑務所の手工業の光景とも似ている。会えて嬉しいと思う前にまず驚いたのは、その人たちは誰もがやつれており、顔色は重患者のようだし、気力がまったく感じられない。これはここにきて苦労したからではなく、地震や火災にたまげたまま数日も食べることも寝ることもできず、東京からここまで来るまであまりにも気苦労が大きかったからだという。赤ちゃんを抱いた女性は母乳が出なくなったともいうから、本当に気の苦労が耐えなかったのだろう・・

・・治療を受けている人が400人ぐらいいて、その中の200人は外傷患者だ。普通に収容室にいる人たちも顔に絆創膏が貼ってあったり頭に包帯を巻いたりした人は少なくない。ほとんどはやっと死を免れた人たちである。他にもここの人たちの3分の1は、そんな困難な境遇を経験したという。外傷以外だと脚気と火傷で治療を申請する人が多いという。もっとも多いのは胃腸病で、苦労に耐えられず食べられないものでも適当に食べたり、(※収容所に来てからは)麦などに食べるものが急に変わったせいだという・・>

 

 

収容されている人たちの最大の問題は、『一銭も無し』状態であることです。もし誰かが仕事をくれると言っても、まず服と靴が無い状態だとか。朝鮮に家族がいる人たちは、朝鮮に帰りたいと言うけど、帰るための手段がまだ機能しておらず、本当にどうしようもない状態だとか。別の記事では、船便が再開されてから、数万人の朝鮮人が朝鮮に帰ってきたとされています。

人々は、東亜日報の記者に『会えて嬉しい』『道中ご苦労さまでした』『中にいたのが悪い(地震が起きたところにいた私たちが悪い)』と話し、記者は感動した、とも。地震で夫を亡くした女性、兄を亡くした人のことなど、いろいろな話が載っていますが、収容所の人たちのなかで特に話題になっているのは、朝鮮人の夫と一緒にいるために収容所で暮らすことを決めた日本人妻たち(5~6人いるそうです)の話と、親をなくした日本人の子を東京から千葉まで守ってきた朝鮮人女性の話だそうです。

後、これは同じ紙面の別記事ですが、習志野と目黒競馬場では収容がほぼ限界で、朝鮮人学生たちは「留学生督学符」に、労働者たちは青山に収容することにしたとしながら、それぞれ習志野や芝浦(芝浦から青山に変更となった)ではなく、それぞれの場所に向かうべきだとの内容もありました。どこも、食糧が大変だったそうです。

 

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