ベダル(倍達)民族って何の意味?

たまーに、ベダル民族という言葉が出てきます。実は昨日の本ブログにもチョコっと出ていました。これ、なに?と思われた方、おられませんか?倍達という漢字についても、別の字を主張する人たちがいるので、ここではベダルと書きます。

結論から言いますと、韓国ではネットでも『あ、これはインチキだな』とある程度の情報が出回っている案件です。本エントリーに書いてあるのも、韓国側のネット情報(ソースが確認できるものだけ絞りました)となります。しかし、それでも、ベダル民族は、韓国では結構有名な言葉です。「古い本に書かれている、我が民族の呼び方の一つ」として定着しており、自分の名前にする人たちもいます。

 

ベダルは、檀君神話の『檀』の読み方の一つです。これがバクタル→ベクタル→ベダルになった、とされています。すなわちベダル民族は「檀君の民族」と同じ意味になります・・と、ある本に書いてあります。その本とは、「揆園史話(ギュウォンサファ)」。1675年に『正しい歴史のために』書かれたとされる作者不詳(北崖子という筆名だけ残っているそうです)の本で、主な内容は、昨日紹介した『愛国歌作ってみた』教授とほぼ同じです。いわゆる「上古史」本です。

中には、『我が民族が清を打ち破っても、もっと強い隣国が侵略してくるだろう』という預言書っぽい内容が書いてあり、無茶苦茶怪しいです。それに、正しい歴史を記すとか言っておいて、年度が全然合いません。本は渤海(バルへ、中国東北部にあったとされる国で、926年に滅亡しました)を朝鮮民族の領土だと主張していますが、「我らの領土を異民族に奪われてからもう1000年となる」としています。1600年代に書かれた本なら、そんなふうには書かないでしょう。926年に1000年プラスすると1926です。ご存知、併合時代は、朝鮮で『日本民族より偉かったんだぞ』とするファンタジー歴史書が乱発されていた頃でもあります。半万年歴史など、ほとんどの上古史がその時代に登場しました。ちょうど1000年じゃないとしても、大まかに併合時代と執筆年度が重なるなら、先の予言(?)も、うなずけます。

 

1675年の朝鮮は、19代の王となる『粛宗(シュクジョン)』時代でした。粛宗が王に即位したのは1674年です。本は、1675年を『上之二年、乙卯の年(粛宗二年、干支で乙卯の年)』と書いていますが、これは間違いです。粛宗は1674年に即位したから、1675年は粛宗2年だと思われがちですが、実は違います。朝鮮では、例え1674年に即位しても、1674年は新しく即位した王の最初の年(1年)ではなく、前の王の最後の年となります。新しい王の1年目は、1675年になります。だから、1675年は「上之二年(粛宗二年)」ではなく、「上之一年(粛宗一年)」です。1675年が乙卯の年なのは合っています。朝鮮時代の歴史家がこの表記を間違えるなんて、ありえません。これだけでも不敬の罪です。

 

もうこのエントリーの笑いどころ、お気づきでしょうか。あの「ベダルの民族」の語源とされている本が、年号(元号)において朝鮮式ではなく日本式を採用していたとは、驚きです。これって、親日清算対象にならないのでしょうか。

最後に、そもそも「バクタル」という言葉がまだ普通に使われているのに(観光名所の峠もあったりします。バクタルジェと言って)、バクタルがベクタルになってベダルになったとか、全然説得力がありません。

 

 

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