ちょうど本の表紙の画像も公開されたので、2月28日発売予定の拙著『恥韓の根源』の最初の部分を紹介したいと思います。本当はいつもの更新(一つ前のエントリー)と同じタイミングでUPしたかったけど、すこし遅くなりました。本エントリーの内容は、前にブログで紹介したのとほぼ同じ内容で、表紙の『笑っていた』ともつながっている部分です。また、最初の部分なので、あとで電子書籍などの「試し読み」でも公開されるでしょう。
本エントリーの原稿はもっとも初期のバージョン(初校、再校の前のもの)です。本はすでに再校まですべて終えておりますので、実際の本とは多少違う部分もあるかと思います。それでは、せひお読みください。
<<二〇二〇年八月一六日、韓国のネットメディア『THE FACT(ザ・ファクト)』に、妙な記事が一つ載りました。韓国のある施設で、併合時代に日本で働いていた朝鮮人労働者たちの写真を展示しました。趣旨は、『日本で強制労働に苦しんでいた同胞たち』といういつもの反日扇動でしたが、それを見てきた観覧客たちが、ある疑問を提起しました。苦しんでいたはずの人たちの写真なのに、なぜ皆『微笑んでいる』のか、わけがわからない、というのです。この記事、本書のきっかけにもなりました。
併合時代、多くは普通の労働者として、戦時には徴用工として、多くの朝鮮人労働者たちが日本各地で汗を流しました。しかし、彼らの存在は、戦後韓国において邪魔でしかありませんでした。後で似たような趣旨の考察をまた書くことになりますが、韓国は併合時代そのものを違法的なものだとしており、韓国(朝鮮半島)が日本に統治されたことは無く、すべては日本による違法占領だったと主張しています。併合時代の『政府』は、朝鮮総督府ではなく、国外で抗日活動を続けていた『臨時政府』であった、というのです。言うまでもなく、これはデタラメです。併合も、そして戦後に朝鮮半島が独立した(自力で出来たものではありませんでしたが)のも、全ては合法的な事実であるのに、それを無理して否定したため、主張と現実に多くの矛盾点が生じたわけです。そのため、韓国は、併合時代に存在していた多くの事実を隠蔽する必要がありました。後述しますが、韓国が併合時代の文献の考証、言わば併合時代への実証主義的アプローチを極端に嫌がる理由でもあります。
その隠蔽工作の一つが、「徴用」です。徴用というのは、政府による合法的な動員であり、国際法的にも、違法的な強制動員にはなりません。だから、韓国は、併合時代に日本で働いた朝鮮人労働者たちは、基本的には全員が『無理やり連れて行かれた』または『就業詐欺にやられた』などと、いわゆる強制労働の被害者だったと主張しています。ここでいう強制労働とは、単に「無理やり働かされた」という意味ではなく、「enforced labor」と言って、まさに奴隷労働、人間の人権を根本的に踏み潰す、ナチスのアウシュビッツ強制収容所のような労働条件を意味します。日本は、併合時代にもすでに多くの国際条約に加入していたため、もし強制労働があったとすれば、国際法違反となります。韓国側の記事や政治家の発言などからよく出てくる、『強制徴用』という不自然な言葉も、この結果作られた造語です。記録上には徴用になっているけど、強制の字を付けて、政府による合法的意味での徴用だったというニュアンスを、なんどか弱めようとしているわけです。その「被害者」の範囲はとても広く、最近韓国では、併合時代に数百万人が日本に強制労働させられたとする主張が一般化しています。それは、徴用はおろか、併合時代に仕事を求めていた労働者ほぼ全員にあたいする数字となります。韓国の最高裁判所が一部の『日本企業は強制徴用被害者に賠償金を支払うべき』とする判決を確定してから、この数字は日々増えていくばかりです。
新型コロナが問題になる前には、大勢の日本人観光客も訪れた、韓国の『釜山(プサン)』。その釜山にも、その強制徴用被害者たちに関する施設があります。「国立日帝強制動員歴史館」といいます。釜山は、昔から日本との交流が多く、日本領事館もあるため、『反日』関連の市民団体・政治家たちが特に気合を入れている地域でもあります。普通、日本人がよく訪れるところには、日本人観光客を不愉快にさせるような施設は設置しないのが一般的ですが、韓国の場合は、反日思想を『日本人に対する教育』だと思っているため、空港、または日本人観光客が多い場所に、反日関連のインフラやイベントが集中する不思議な現象を見せています。よって、釜山にも、いわゆる慰安婦問題、いわゆる強制徴用(元徴用工問題)など、反日思想と関わる数々の事案に関する施設が存在し、今も増えつつあります。その中の一つが、いわゆる強制徴用被害者たちを追悼するための施設、国立日帝強制動員歴史館です。
二〇二〇年夏頃、その歴史館は、「記憶の跡地」といって、強制徴用被害者たちを慰霊するためのスペースを作りました。基本的には被害者とされる人たちの位牌を並べてありますが、位牌といっても急造したもの(ほとんどは、どれも同じデザイン、同じサイズ、同じ色)でしかなく、展示のメインは写真でした。韓国では、祭祀のときに、位牌の代わりに写真や肖像画など(影幀ヨンジョンといいます)を飾る風習があるため、併合時代に日本で働いた朝鮮人労働者たちの遺族から、当時の写真を集め、それを位牌と一緒に展示したわけです。それが記憶の跡地です。結構広いスペースにモノクロ写真がいっぱい飾ってあるのはなかなか壮観で、いつもは「難しい」「漢字が読めない」などと資料にあまり関心を示さない人たちも、ある種の写真展として、このスペースを訪れました。
ですが、歴史館側が予想できなかった事態が発生しました。そこに展示されている当時の『地獄のような日帝の強制労働で人権を蹂躙された被害者』である朝鮮人労働者たちの写真は、どうみても「苦しんでいる」人たちの姿とは思えないものばかりだったのです。そもそも、それらの写真は、『日本から朝鮮の家族たちに送られてきたもの』がほとんどで、当時の朝鮮人労働者またはその雇用側が、「当時には贅沢品だった写真を撮って、朝鮮の家族に送るほどの余裕を持っていた」という現実を表すものでした。
この件を取材し、記事にしたのは、大手マスコミではなく、ネットメディア「ザ・ファクト」だけでした。以下、記事『なぜ日帝強制徴用被害者たちは笑っているのか』から引用してみます。今後、本書では引用に< >を用います。また、簡易的な説明など、私が書き加えた部分は、「※」で表記します。
<「日本に強制徴用された被害者の姿にしては、きれいすぎませんか? 何か、言えない内部の事情があったのでしょうね」。(※二〇二〇年八月)一五日、午後一時ごろ、釜山南区(プサン ナムグ)にある国立日帝強制動員歴史観、その五階にある「記憶の跡地」。入口周辺の壁いっぱいに飾られた、日帝強制徴用被害者たちの写真を見た訪問者たちは、ほとんどがこのような疑問を示していた。それらの写真のどれを見ても、そこからは強制徴用当時の残酷な姿など、見当たらない。すっきりした装い、タバコを口にくわえている強制徴用被害者たちの写真からは、逆に、余裕が感じられるほどであった。
「記憶の跡地」フロアに入ってからも、さほど変わりはない。被害者の名前が書かれた位牌がぎっしりと並び、強制徴用された当時の被害者の写真が壁を満たしている。しかし、フロア内部の写真からも、強制徴用被害者たちの悲惨な姿を見つけることは出来なかった。記憶の跡地は、日本の国家総動員法で強制動員された犠牲者を慰霊するために、六月に造成された。
日帝強制動員歴史館の関係者は、「日本は、強制徴用被害者たちが、徴用された地にうまく適応しているように見せるため、人為的に写真を撮影したのです」、「家族に送る写真だから、家族が心配しないように、被害者たちも、無理して、苦しい姿を隠すために演技をしたのです」と説明した・・>
韓国の大手ポータルサイト「ネイバー」を経由してこの記事を読みましたが、ソース記事(ザ・ファクトの記事)のコメント欄でも、「演技をしているようには思えないんだけど、どうしたのだろう」という疑問が結構目立ちました。もちろん、『もともと私たち民族は、どんな苦しい中でも幸せを見出す民族だ。だから笑っていられたのだ』という脱力感あふれるコメントもありました。もし、併合時代の日本に、天才的な演技力にめぐまれた朝鮮人労働者たちが大勢いたとしても、家族に写真を送れた時点で、韓国の言う『日帝の強制徴用は奴隷労働』は成立しなくなります。余談ですが、さすがに写真までここに載せるわけにはいかないので、手数をおかけしますが<「強制徴用被害者」の写真、なぜか「笑顔」ばかり>と<シンシアリーのブログ>でネット検索をかけてみてください。sincereleeblog.comを含むURLが出てくるはずです。一枚だけですが、いい笑顔の写真が載っています。
この記事を日本語に訳してブログで紹介したら、大勢の方々が強い興味を示してくれました。このまま終わりにするのも何かもったいない気がして、それから、古い新聞記事を調べてみました。韓国には、同じくネイバー社が提供する、古い新聞記事のライブラリーがあり、併合時代の新聞でも、東亜日報と朝鮮日報の記事が検索できます。写真は無いけど、記事ならあるかもしれません。早い話、似たような動機で見つけたいくつかの「古い記事」の紹介と自分なりの考えが、本書となりました。
しかし、「あ、そうですね、併合時代のダンド(端島)の朝鮮人労働者たちはですね・・」という記事が都合よくポンポンと見つかったわけではありません。ライブラリーでいくつかのキーワードで検索をかけてみて気が付きましたが、私が考えていたものとは違う記事ばかりでした。ほとんどの記事が朝鮮半島内の出来事ばかりで、そもそも日本で取材して記事を書くための人的・物的インフラと努力が不足していたのではないかと思われます。
そんな中、少なくとも私が見つけた記事の中で、先の「ザ・ファクト」の記事を連関性が高いのは、一九二二年六月八日東亜日報の『長崎付近の朝鮮村』という題の記事でありましょう・・>>
ブログで紹介していない記事もありますが、すでに紹介済みの記事でも、字数と時間に余裕がある分、その背景説明や個人的な考察なども含めて完全版(曖昧な表現ではありますが)という形でまとめることができました。併合時代の記事、基本条約前後の韓国側の記事などによる元徴用工問題、韓国で言う文化的制裁・文化的証拠のこと、『被害者中心主義』とは何か、そして、『三権分立』など韓国側のスタンスの中に潜んでいる、『日本の主権への侵害』たる側面、などです。また、『関東大震災直後の朝鮮人労働者避難施設』訪問記なども収録してあります。ぜひ、ご一読を。アマゾンリンクは下の「拙著のご紹介」にあります。
♨ 拙著のご紹介♨・・以下、拙著のご紹介となります。本の題の部分はアマゾンリンク(アソシエイト)になります。リンクされたページで電子書籍版もお選びいただけます。
・新刊<恥韓の根源>、予約受付中です。ありがとうございます!100年前の併合時代、1965年基本条約締結を前後しての時期など、古い記事を考察し、それらから今の韓国の反日思想の矛盾を浮き彫りにしてみました。アマゾンの目次・説明、ぜひ本ブログの紹介エントリーもお読みください
・<「反日」異常事態(2020年9月2日発売)>も発売中です。いわゆるK防疫として表出された、韓国の反日思想の本性である『卑日(日本を見下す)』とその虚しさについて主に考察しました。
・<高文脈文化 日本の行間>は、私が日本で暮らしながら感じた、日本、特に『日本語』の不思議な魅力に関する本です。
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