『新・両班(ヤンバン)』とは

本ブログでは、たまに書籍のレビュー記事などを引用することがあります。ただ、その際にはいつも同じ趣旨を書いていますが、その本を読んでいないので(後で買うのもありますが)、あくまでソースは『記事(で紹介されている部分)』だけになります。今回もそういう内容です。自分も書きながら気をつけます。

さて、韓国で、『新・両班社会』という妙な題の本が発売されました。基本的には、韓国では586とも言いますが、運動圏(活動家)世代を皮肉る内容です。彼らの『正統性(統治の名分)』または正当性が、朝鮮時代の両班そっくりだ、というのです。なんでこの件をエントリーしたかと言うと、21日の過去エントリーとなりますが、ラムザイヤー教授のときに紹介した、『経済概念についての論文に、道徳性で反論する人たち』ととても似ていたからです。以下、ソース記事となる朝鮮日報から引用してみましょう。<<~>>が引用部分となります。

 

<<・・アメリカのシカゴ大学で人類学博士を受けた著者(※キム・ウンヒ氏)は、「運動家が語る『正義の社会』とは、道徳的に優越した人々による統治、すなわち『徳治』を目指す両班社会であり、法治に基づく近代的自由民主主義社会ではない」という。彼らの言う正義(儒教の徳治)と、自由民主主義社会で言う正義(法治)は、ただの同音異義語でしかないとの主張だ。新・両班社会で両班と『君子』は、民主化活動家、独立運動家などの社会運動家だ。自分の仕事を熱心にした人たち、儒教的観点からすると『私利私欲』を追求した人たちは、小人輩(※君子の反対概念で、徳が無く、自分のためだけに行動する人たち)だ。既得権とも言うし、積弊勢力とも言う。

身分とは世襲されるものだ。「親日清算を強調する政権で、独立運動家の子孫に対する礼遇を強化したのは、道徳的に立派な君子の子は代々礼遇を受けなければならないという、両班意識の現れである」と著者は書いている。政府主導の「歴史の立て直し」や「過去史清算」というのも、朝廷(※この場合、王宮の意味)で歴史記録の権利を独占していた朝鮮時代と同じだ。著者は、いまを「左右の対立」ではなく、「前近代と近代が対立している」という・・>>

 

韓国が朝鮮、特に大韓帝国のときと同じだという趣旨は、私も何度もエントリーしてきました。そして、「思わしくない意味での朝鮮流の儒教思想」を極大化させて出来たがったのが、北朝鮮である、とも。主体思想というのは、信奉者たちにとっては道徳ですから。朝鮮時代の統治は、徳の高い人を地方に派遣し、その道徳で感化させるためのものでした。少なくとも表面的には。

じゃ、徳が高い人をどう決めるのか。文官になるためのテストはありましたが、それはあくまで職位を決めるためのもの。要は全てが身分であり、身分がそのまま徳でした。なぜなら、徳が高いから身分の高い存在として生まれたからです。そこまで極端に考えない人たちでも、人の徳をどう測るのか。それが『統治』にどう繋がるのか。規則を破った人に対し、『叱る』またはその行為を物理的に止めさせることは、果たして『徳』なのか?多分、こうなるでしょう。『君子はそんなことしない。徳で感化させる』。

実際は、まったくの反対でした。徳の高い(と自分で言う)人たちは、損得による統治、一方的に自分だけが得をする統治を行い、それを『私は身分が高いから(徳が高いから)これは正当な私の権利である』と主張するようになります。いや、主張というか、信仰ですね。法治とは、法の前で誰もが平等だということを基本とします。徳が高いだろうが得が高いだろうが、法は法です。ラムザイヤー教授に「道徳」をぶつける人たちも、日本に対していつも韓国の『道徳的優位』を主張する人たちも、根は同じかもしれません。彼らは、両班になりたいのでしょう。または、もうなっていると信じているのでしょう。

3月2日発売予定の『卑日』にも、「最近、韓国で『韓国はなにもしなくていい』という主張が流行っており、まるで両班のようだ」という内容を、主要テーマの一つにしています。身分の低い人たちがやるから、身分の高い人は何もやらなくていい。やらなくてもなんとかなる。じゃ、身分が高いとは何か。徳がある、すなわち道徳的に優れいている韓国であり、そうでない日本が何とかすべきである、と。そういうトンデモナイ理屈になってしまうわけです。意図していようがいまいが、態度にそう現れています。特に、そのテーマが「国際『法』を守れ」なら、なおさらでしょう。本エントリーにコメントをされる方、またはコメントを読んでみたいと思われた方は、こちらのコメントページをご利用ください。なぜこういうシステムになったかの説明も書いてあります。

 

 

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